行正り香さんと、闘病時の次女・さくらさん

「10年前、次女さくらは急性白血病と診断されました。なぜうちの子が……そのときの衝撃は今でも忘れられません」

 さくらさんが入院したのは、まだ保育園のころ。当時、行正さんは40代。料理研究家として忙しくも充実した日々を送っていた。

「病気が発覚し、仕事をどうするべきか迷っていました。そんなときに『今はこの仕事をやめないほうがいい』と、当時の職場の上司からアドバイスがあったのです。病気はいつか治ると信じ、その先のことを考えなきゃいけないって」

 実際、仕事で毎日忙しくしていたからこそ、悲しさに打ちひしがれずにすんでいたと振り返る。

「ある日、CMで使われるから揚げを大量に揚げていて……。無意識のうちに突然涙があふれてきたんです。気を張っているつもりでも、私って実はこんなに悲しんでいたんだと。横を見ると、アシスタントも涙を流してました。2人とも油が目にしみて痛いだけとわかったのですが、なんだかほっとして笑ってしまいました」

病院で大好物の焼きおにぎりを食べる闘病中のさくらさん

 短い時間であっても、さくらさんと病室で一緒に過ごす時間は何ものにも替え難いものだった。少しでも温かい手料理を食べさせたいと、よく病院で娘の好物の焼きおにぎりを作った。

「病気になる前から食べることに興味を持つ子で。私の料理の手伝いも進んでやってくれていました。でも入院中は食欲も減退し、食べたいものも食べられなくなってしまったんです。ある日、料理本を持ってきてほしいと頼まれ手渡すと、“退院してから食べたい料理のページはコレ”とたくさん付箋を貼っていて、ずっとそれを眺めていました。“またおいしいもの、いっぱい食べようね”。そんなふうに励ましていました

闘病中の娘のひとり残して仕事へ

 病室に闘病中の娘をひとり残し、仕事へ向かわなければならない。さくらさんも始めは仕事に行く母に対し、寂しいと度々泣きついた。心が痛んだ。

「まだ小学校にも入っていなかったさくらは、平仮名が読めませんでした。でも病室ではテレビを見ることもできず、そのうち仕方なく絵本を読むように。少しずつ文字が読めるようになっていくことが、さくらの気持ちを前向きに変える大きなきっかけになったみたいです。繰り返し読んでいたのは、絵本の『長くつ下のピッピ』。困難な状況でも明るく生きる主人公に自分を重ねていたのでしょう」

 つらい入院期間は1年に及んだ。

行正さんが手がける子ども向け学習webサイト「なるほど!エージェント」。「子どもたちが勉強の機会を等しく持てるようになってほしい。娘の闘病でそのようなことを思い、制作を続けてきました

 「治療で髪の毛が抜け落ちてしまったさくらが、ある日、育毛剤の広告を見て言うんです。『このおじさんたちはもう髪は生えてこないけれど、さくらはまたきれいな髪の毛が生えてくるんだよね?』。そうよ、絶対に生えるよ、と」

 その後、カツラを作ったというさくらさんだが、お寿司屋さんで突然「アツい!」とカツラを取ってしまい、周りの大人たちをぎょっとさせたりもしたそうだ。

本人はどれほど大変だったかと思いますが、明るくふるまう彼女から私たちも逆に元気をもらっていました。退院時にはお世話になった医療従事者の方と離れたくないと泣き……本人は闘病で人の温かさを知り、強さ、たくましさを得たと思います」

 小学校の入学式に出られないため、病院内のチャペルで入学式を開いてくれた。「温かい、家族のような病院だった」と今でも親子で振り返る。

幼い姉妹に生まれた絆

 退院してからも薬の投与は5年ほど続き、その間も副作用によって心身共に不安定な状態が続いた。気持ちが高ぶり、姉かりんさんを叩いてしまうようなこともあったが、姉妹としての心の結びつきはそれまで以上に、より強くなっていった。

「長女のかりんは中学受験を目指して塾に通っていたのですが、周りについていけず、やめたいと言い出しました。もともと絵に興味がある子で、そちらに進みたいと。そのときさくらから『お姉ちゃんのアートの扉を開いてあげて』と声をかけられてハッと気づきました。そして、自分の娘ながら、なんてカッコいい言葉を言うんだろうと感激。結局、かりんは塾のかわりに絵の教室に、とても楽しそうに通い始めたんです。妹ながらしっかり姉を見てるし、応援している姿が頼もしくて

昨年朝日新聞に掲載された、長女かりんさんによる寄稿文

 行正さんが次女の病気を告白するきっかけとなったのは、昨年12月、朝日新聞に掲載されたかりんさんの寄稿記事だった。そこには妹の闘病生活をかりんさんの視点から振り返った、正直な思いが綴られていた。

《(妹のことを)ヒソヒソと嘲笑するように話していたのは、小学6年生の男の子たち。彼らの視線の先にはピカピカの水色のランドセルを背負った、髪の毛が抜けた妹がいました。忘れもしないあの秋の日は、白血病の治療を終えた妹の小学校初登校日でした。(中略)だからこそ私は、彼らが発した心無い言葉にひどく傷つけられました。あの日の空しさが思い出すたびに込み上げてきます》(寄稿文より)

妹は素敵な女性に成長しました

治療を終えたさくらさんの小学校登校初日

 かりんさんにとっても、仲のいい幼い妹が苦しむ姿はとてつもなくつらかった。そんなとき、耳に飛び込んできた周囲の心無い言葉は、10年たった現在も鋭いトゲを彼女の心に突き立て続けていた。しかし、かりんさんは寄稿文をこう締めくくった。

《あれから10年が経ち、妹は16歳になりました。たくましく、面白い、素敵な女性に成長しましたよ》

 一家は、さくらさんの病気を通していろいろなことを学んだという。

「敷かれたレールの上で生きていこうとすると、何か予想外の事態が起こったときに、人は本当に脆いものです。だからこそ子どもたちには、『問題を見極める力』、そして『工夫して解決する力』が必要だと、この経験から強く感じました。しかもいつも親が答えを与えるばかりでは、その力はつきません。人から与えられることを待つのではなく、親が手本となって自ら学ぶ姿勢を子どもたちにみせていかないといけない。そのためには、大人もたくさんトライして失敗して、それを笑い飛ばさなきゃ。その姿が、生きていく勇気を与えるんだと

お話を伺ったのは
行正り香さん 福岡県生まれ。18歳でアメリカに留学、カリフォルニア大学バークレー校を卒業。帰国後、広告代理店に就職しCMプロデューサーとして活躍。2007年に、広告代理店を退社。『19時から作るごはん』(講談社)、『音から学ぶ小学生英語』(新泉社)など著書多数。全国120校で活用される英語教材「カラオケEnglish」、無料の探求学習教材「なるほど!エージェント」を制作している。

取材・文/オフィス三銃士