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 日本のシングルマザーの就業率は約8割と世界でもトップレベル。にもかかわらず、相対的な貧困率は先進国で最悪だ。せめて、子育て後に人生を謳歌しようにも雇用や社会保険から見放され、貯金も底をついているケースも多い。国から見放された女性たちを取材し、制度の不作為を告発したルポ『シングルマザー、その後』の著者に話を伺った。

 “子どもの貧困”“生理の貧困”という言葉を見聞きするようになった。貧困を招く要因として大きいのが“母子家庭の経済的困窮”だ。

「私はひとりで2人の息子を育てました。大学の学費は息子たちが奨学金で払いましたが、予備校の費用や入学金は私が国の教育ローンを借り、今でも返済中です。この先もずっと仕事をしていくのだと思います」

 そう話すのは、自身もシングルマザーであるノンフィクション作家の黒川祥子さん。

 厚生労働省の調査によれば、ひとり親世帯の8割以上が母子家庭で、貧困率はその半数近くにもおよぶ。子育てを終えた後には多少なりとも穏やかな時間が待っているようなイメージがあるが、シングルマザーの未来は厳しい。

母子家庭・父子家庭の現状

 自分と同じ境遇の女性たちの置かれた厳しい現状を取材した黒川さんの著書『シングルマザー、その後』より、多くのシングルマザーたちが抱える子育て後のリアルな実例を引用し紹介する。

児童扶養手当の終了から生活が困窮

 1人目は、3人の子どもを育てあげた川口有紗さん(仮名・54歳)。25歳で結婚し、26歳から3人の年子を産んだ。夫のモラハラに耐えきれず、子どもを連れて35歳のときに離婚。病院の看護助手とホームページの作成で生計を立てながら、指圧師の国家資格を取得し女性向けのサロンを開業した。

 必死に働き子どもを高校卒業まで育てた後には、予想外の支出が待っていた。

「児童扶養手当がなくなったと同時に、支出が増えました。医療費助成がなくなり、確定申告も扶養控除がなくなって課税額が増えて。今まで免除だった国民年金も払わないといけないし、国民健康保険も扶養家族がいたときは安かったけど、ぐんと額が上がって……。子どもが成人したことにより、ありとあらゆるものの支出が増えていったんです」

 児童扶養手当が終了したことによる困窮は、黒川さん自身も実感しているという。

「高校を卒業して、これからお金がかかるという時期に、この国では母子家庭への福祉のネットワークがばっさりと切られるんです。これは、“母子家庭の子どもは大学へ行くな”と国に宣告されているのと同じです」(黒川さん)

 その後、川口さんは親の介護のために実家に転居。新型コロナの影響でサロンの客足が途絶えたが、どうにか持ちこたえることができた。

「母子家庭としてやっと子育てが終わったと思ったら、次は親の介護。子育てを終えたシングルマザーって、介護要員として白羽の矢を立てられやすい。だって、ひとりだから。それで介護が終わったら、今度は自分が介護される立場になるのかなあ」

 川口さんは“死ぬまで現役”を合言葉に介護と仕事を続けている。

子どもの教育ローンで自己破産したケース

 『シングルマザー、その後』で描かれるもうひとりの実例は、自己破産を経験した水野敦子さん(仮名・56歳)。

「原因は教育ローンです。結局、自己破産するしかなくなりました」

 水野さんは夫の浮気が原因で38歳のときに離婚。長女は小学2年生、長男は4歳のときだった。ママ友の紹介でゴルフ場のキャディーとして働き子どもを育てた。

「このときは、毎月4万円ほどの児童扶養手当と、1万円ほどの児童手当がありました。医療費は無料ですし、水道代は基本料金が免除、有料ゴミ袋の支給、都営交通の無料券など、福祉のネットワークに支えられ、綱渡り状態ではありましたが、何とか、暮らしは成り立っていました。都営住宅に入居できたことも大きかったです」

 長女は公立高校へ進学したものの長男は私立高校へ進み、さらにふたりとも私立大学へ進学することに。子どもの進学を機に家計は火の車となった。

「高校3年間、どうやって、毎年の学費を作ったのか、今ではよく覚えていないのです。必死でした。学校と交渉して、待ってもらったことがあったと思います。長男は2年のスキー旅行にも、3年の修学旅行にも行ってはいません。私立なので積み立てはないし、とんでもなく高いんです。スキーなんて、北海道のトマムまで行くんです」

 水野さんは複数の教育ローンを借り、返済額は月に15万円にも上った。生活費に事欠きキャッシングを重ねて多重債務者となり、自己破産をするに至った。

母子世帯の母の預貯金額

 黒川さんは「これだけ国立大学の授業料が高く、かつ給付型の奨学金が限られているのは、日本だけと言っていい。フランスなど教育費無料の国では生活保護家庭でも子どもが望む道に進ませることが可能です。

 でも日本のシングルマザーは、“子どもが人生の選択肢を持てるところまで連れていきたい”という、当たり前の目標を持つことすら厳しいんです」と解説する。

 現在の水野さんはキャディーの仕事を続けながら、細々とひとり暮らしを営んでいる。

 預貯金がなく、病気や事故にでも遭って、もし働けなくなればセーフティーネットの乏しいシングルマザーたちは生活保護受給者となるしかない。

国によって作られたシングルマザーの貧困

「実は、シングルマザーの貧困は国によって意図的に作られたものなんです」

 黒川さんの口からは衝撃の事実が告げられた。

「会社員や公務員の夫に扶養されている配偶者は、自分で保険料を納めなくても年金が支給される、1985年創設の『第3号被保険者』をはじめ、'80年代には、専業主婦やパート労働をする妻たちへの優遇策が次々と作られました。

 これは、国が女性を“夫に扶養されながら家事・育児・介護を行い、たまに家計補助的な仕事もする”という役割でしか見ていないということ。だから女性は低賃金の非正規労働でいいとされた。ここが、女性の貧困元年と言われるゆえんです。シングルマザーの貧困も、国により作られたものだと言えるでしょう」

 困窮するシングルマザーはどこに希望を見いだせばいいのだろう。

「まずは、国による養育費の立て替え制度の創出ですね。養育費が約2割のシングルマザーにしか、支払われていないことは大きな問題です。

 “自助”を謳う日本では、すべてが自己責任とされ、貧困を隠さぜるをえないし、子どもに負い目を感じているシングルマザーも少なくない。

 私は、“あなたの貧困は、あなたのせいではない”と伝えたい。そのうえで、当事者同士が誇りを持って、SNSを通してでもつながり合えるシステムが大事になってくると思います。何より、社会が多様な生き方を認め合えるよう、変わっていくことを願っています」

黒川祥子さんの著書『シングルマザー、その後』※記事内の画像をクリックするとamazonのページにジャンプします

お話を伺ったのは
黒川祥子さん

ノンフィクション作家。『誕生日を知らない女の子 虐待─その後の子どもたち』で第11回開高健ノンフィクション賞受賞。最新刊『シングルマザー、その後』など、著書多数。

取材・文/熊谷あづさ