倉本聰

 昨年3月24日に亡くなった田中邦衛さん。一周忌を前に、神奈川県内の自宅はひっそりと静まり返っている。

夜は明かりがついているので、今も奥さんは住んでいると思いますが、ほとんどお見かけしませんね。邦衛さんがいらっしゃったときは、ご近所の方たちと親しくお話ししていましたが、最近はあまり外出もされていないようです」(近所の住民)

 田中さんの代表作となった『北の国から』は“国民的ドラマ”と言われるが、それまで脇役が多かった彼にとって、同作の主演は大抜擢だった。

「'81年の10月から連続ドラマとしてスタート。田中さんが演じた黒板五郎は、妻に逃げられたことをきっかけに幼い子どもの純と螢を連れ、故郷の北海道・富良野で暮らし始めます。不器用で朴訥なキャラクターは、田中さん自身にも共通するものがありました」(テレビ誌ライター)

 大自然を舞台に家族の絆を描き、大きな話題に。

それまでの富良野は冬にスキー客が来るだけの町でしたが、ドラマが放送されたことで知名度が上がりました。夏の時期もラベンダー畑を見ようと観光客が来るように。富良野がブランドになって、市内の特産物も売れるようになりました」(スポーツ紙記者)

連ドラ放送40周年を迎えたが……

 ドラマがリアリティーを持っていたのは、脚本を書いた倉本聰の実体験が反映されていたことが大きい。

「倉本さんは東京生まれ。ニッポン放送に勤めながら脚本家としても活動していましたが、芸能界やテレビ業界などに疲れ、'77年に理想の生活を求め富良野へ移住。自分の力で自然とともに生きることを大事にしています。廃材を炭にするなど、電気やガスなどの文明に頼りすぎない生活を実践していますからね。黒板五郎というキャラクターは、倉本さん自身の体験を投影して生まれたんです」(前出・テレビ誌ライター)

 大ヒットしたことで、その後も8作のスペシャルドラマで家族の成長が描かれた。フジテレビを代表する作品になったが、'02年を最後に続編は作られていない。

撮影終盤の田中さんは、ずっと具合が悪そうでしたね。普段なら共演者と談笑したりしていたんですが、最後の撮影が終わったらすぐ東京に帰ってしまいましたからね……」(制作会社関係者)

田中邦衛さんの死後、富良野市にある“五郎の石の家”には献花台が設置され、多くのファンが訪れるように

 田中さんは'15年ごろから入退院を繰り返すように。引退は表明しなかったものの、現場に復帰することはなかった。

今年は連ドラの放送から40周年ということで、富良野ではバスツアーなどのイベントが行われています。純役の吉岡秀隆さんは毎年1回は遊びに来ているんですが、昨年は3回も来訪。仲のいい友人には“また撮影でお世話になります”と手紙を添えたギフトを贈ったそうなので、新たな撮影が始まるのだろうと思っていたんだけどね……」(富良野の住民)

 倉本の制作意欲は衰えていない。'05年に黒板家のその後を描いた短編『純と結の家』を描き下ろしたり、昨年10月に富良野で行われたトークショーでは、こんな続編構想を明かしていた。

フジテレビでは続編制作が難しい

'10年には純の妻の結が勤め先の店長と不倫。'11年に螢と結婚した正吉が東日本大震災の津波に巻き込まれるという展開です。'20年には新型コロナ禍も描写され、五郎は'21年の3月24日、つまり田中邦衛さんと同じ日に亡くなるという内容だったんです」(トークショーの出席者)

 昨年末のスポーツ紙のインタビューでも、具体的に語っている。

今年は、黒板五郎は実際にどういう死に方をしたかということを書きたかったんです。邦さんは死んでるから、過去の映像を使って計画したんだけどフジテレビに使わせないって言われちゃった。純役の吉岡秀隆に富良野まで来てもらって話し合って、脚本も第7稿まで書いたんですけどね。今年40周年だったから『さらば黒板五郎』を作りたかったんだけどね

五郎の遺言が書かれた石碑

“聖地”である富良野をはじめ、確実に続編への期待が高まっているはずなのに、フジテレビはなぜ前向きな姿勢を見せないのだろうか。

今では考えられない撮影スタイルですからね。演者とスタッフ100人以上が富良野市内のホテルを貸し切りにして半年間の合宿状態。倉本さんが撮りたい天候を何日も待つこともありました」(当時を知るフジテレビ関係者)

 フジテレビ自体も当時とは経営環境などが様変わりした。

社員に早期退職を促すぐらい、収益が悪化しています。働き方改革で長時間労働もできなくなり、以前のような“いいものを作るためだったら、とことん時間もお金もかける”というやり方は無理でしょう。会社の体力的にも、続編制作は難しいのだと思います」(同・フジテレビ関係者)

 コラムニストのペリー荻野氏も、倉本のこだわりの強さは本物だと指摘する。

「撮影するときは台本読みから全員が集まって、倉本先生自らが句読点の入れ方までセリフの言い方を細かく指導するんです。先生は、ドラマでは描かれていない五郎の幼少期まですべて作り込んでいました。長期ロケも含め、今すぐに先生のこだわりを完全な形にするのは難しいかもしれません」

 時代の流れに抗うことは難しいようにも思えるが、倉本は希望を捨ててはいない。

親しい周囲の人たちには“ドラマがダメなら、アニメで作れないだろうか”と漏らしていたといいます。今回の『北の国から』完結編に関しては、倉本先生の執念のようなものを感じますね」(倉本の知人)

 脚本家自身が提案した、まさかの“アニメ計画”。実現の可能性はどのくらいあるのだろうか。

アニメという表現なら、確かに長期のロケがなくなりますし、キャストのスケジュール問題も解消されます。北海道の美しい風景描写も、日本の技術力なら倉本さんが追い求める世界観を表現できるかもしれません。しかし、アニメも質を追求すれば当然、制作費は高騰します。ケタ違いに費用を安くできるかといったらそうではないと思いますね」(アニメ雑誌編集者)

 実際にアニメ化の動きは進んでいるのか。富良野市内にある倉本の自宅を訪ねたが、回答を得ることはできなかった。

 フジテレビにも、過去映像の使用許可を出さなかった件について問い合わせたところ、

特にお答えすることはございません」との回答だった。

 アニメならば、五郎の人生を描ききることができるかもしれない。倉本の執念は実るだろうか─。