筑附の説明会に参加された悠仁さまと紀子さま

「3月18日、悠仁さまは中学校を無事に卒業した報告のため、制服姿で各所を訪問されました。まず、午前中には皇室の先祖などを祀る宮中三殿を参拝。その後、天皇・皇后両陛下や愛子さまとご面会。約20分後に皇居を後にされた際は、沿道に集まった人の影が見えなくなるまで手を振られていました」(皇室担当記者、以下同)

 午後には、東京都八王子市にある武蔵陵墓地を参拝。夕方には上皇ご夫妻のお住まいである仙洞仮御所をご訪問。当日の気温は4度と低く、雨が降りしきる中、仙洞仮御所の前には近隣住民や報道陣が15人ほど集まっていた。

英語の発表で「緊張した」

「悠仁さまは過密なスケジュールをこなされたからか、少々お疲れのご様子。約50分間の滞在を終えてお帰りになる際は、終始うつむかれたまま。“上皇ご夫妻とのご面会中で何かあったのではないか”と、思わず心配してしまいました」

 その理由は、ご本人にしかわからない。ただ、この前日も悠仁さまは、沈痛なご表情をお見せになっていた――。

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 都心では最高気温が20度を上回り、初夏を先取りしたような陽気となった3月17日。悠仁さまは『お茶の水女子大附属中学校』を卒業された。

「卒業式には、秋篠宮ご夫妻もそろって出席されました。式に臨むにあたり、悠仁さまが“充実した3年間になった”と、報道陣に向けてコメントされる一幕も。変声期を経てワントーン低くなったお声、紀子さまをゆうに越すほど伸びた身長……。大きく成長された姿に感無量でした」(宮内庁OB)

 附属幼稚園に入園以来、12年間にわたって“お茶大生活”を送られた悠仁さま。卒業式の後、お茶の水女子大の佐々木泰子学長や附属中の池田全之校長らによる記者会見が開かれた。附属幼稚園から中学校まで、12年間にわたった“お茶大生活”を振り返りつつ、次のようなエピソードが披露された。

「数学の学習において満点を取れずに悔しがり、英語の授業で初めて級友の前で英語による発表をされたときは、飾ることなく“緊張した”と漏らされたお姿が印象的でございました」(佐々木学長)

「3年間、卓球部に所属されていました。一般の中学生にまざって、区の大会に出場されておりました」(池田校長、以下同)

「歓送迎会の委員などをされて、“ひとりはみんなのために”というところもあり、下の子の面倒もみていました」

 皇室ジャーナリストは、こう話す。

「同級生にとって悠仁さまは、“ごくふつうのクラスメイトの1人だった”との説明がありました。これは“ほかのお子さまと変わらないように”という秋篠宮ご夫妻の教育方針が大きく影響しています。

 一方で紀子さまは、校長からじきじきに学校行事の説明を受けられる機会も多かったとか。未来の天皇にとってふさわしい教育環境かどうか、紀子さまは水面下で気を巡らせておられたのだと思います」

まるで何かから逃げるように

 ご両親の配慮もあり、つつがなく卒業された悠仁さま。お茶大と筑波大の間で結ばれた『提携校進学制度』を利用し、4月からは“筑附”こと筑波大学附属高校へ進学される。

「中学の卒業式を終えた悠仁さまと紀子さまは、午後1時40分ごろにお茶大を後にされました。中学のご学友とその母親とおぼしき女性とともに、徒歩で向かった先は、1本の道路を挟んだ向かい側に位置する“筑附”でした」(前出・記者)

 同校ではこの日、午後2時から新入生と保護者を対象とした『入学準備会』が行われた。

筑附の説明会に参加された悠仁さまと紀子さま

「お茶大から筑附の距離は約100メートル。悠仁さまは、紀子さまの数歩前を歩く格好でしたが、終始うつむいていました。沿道に集まった人たちから“おめでとうございます”と声をかけられても、見向きもされず。晴れの日とは思えない、沈んだご表情でした」(同・前)

 悠仁さまの姿をひと目見ようと駆けつけた、近所の男性は残念そうに語る。

「ご学友が“盾”になるように歩かれていて、悠仁さまのお姿は見えませんでした……」

 筑附の正門に着き、悠仁さまが紀子さまに何かを話しかけると、紀子さまはハンドバッグから入校証を取り出して受付の列へ並ばれた。

「入学準備会では、学校生活にまつわる説明や、教科書や柔道着などの販売がありました。会場の体育館には椅子が等間隔に並べられ、紀子さまと悠仁さまも、大勢の人々に混ざって着席されていました。保護者の中には、紀子さまのご様子が気になってチラチラ見ている人もいましたよ」(保護者のひとり)

 スポーツ用品店の袋を手にした悠仁さまが、紀子さまと再び正門に姿を見せられたのは、午後4時ごろ。

「正門前には、悠仁さまの出待ちをする筑附中の男子生徒たちが集まっていました。
その視線に気づかれた紀子さまは、マスク越しにも伝わるほどの笑顔で会釈。一方の悠仁さまは“見て見ぬふり”という感じで、終始うつむきながら歩いておられました。行きと同じご学友母子に続く形で、徒歩で高校を後にされましたが、悠仁さまは、何度も後ろを振り返られて……。まるで何かから逃げようとされているようにも感じられました」(前出・記者)

“未来の天皇”という重責を背負う15歳の青年が逃れたいものとは、いったい――。