コメディアンのクリス・ロックを舞台上で平手打ちした、俳優のウィル・スミス

「今の見た? マジ? ほんと?」

 という瞬間が次々に起きた94回アカデミー賞授賞式(現地時間3月27日)。20年近くアカデミー賞授賞式を見続けてきて、今回は、最も多様性を認めるインクルーシブな授賞結果と展開で、間違いなく最も感動にあふれていた。

 その意義を理解するとき、俳優ウィル・スミスがコメディアンのクリス・ロックを舞台で平手打ちしたことなどは、影が薄れてしまう。

「私たちの居場所は確かにある」

「歴史的瞬間」は、次から次へと訪れた。

当記事は「東洋経済オンライン」(運営:東洋経済新報社)の提供記事です

 式をテレビで見ていた人たちがティッシュに最初に手を伸ばしたのは、式が始まって間もない助演女優賞部門。『ウェスト・サイド・ストーリー』でアニタ役を演じたアリアナ・デボーズが受賞。LGBTなどにも属さない性的少数者クィアを公表する有色人種がオスカー像を手にしたのは初めてと打ち明けた。ヒスパニック系でも史上2人目である。

「自分のアイデンティティについて、少しでも、ちょっとでも疑問に思ったことがある人、あるいはグレーゾーンに住んでいることに気がついてしまったすべての人へ。約束します。私たちの居場所は確かにあるのです」と、オスカー像を高く掲げた。

 最後の言葉は、ウェスト・サイド・ストーリーの名曲「Somewhere(どこかに)」から「私たちのための場所はある」という冒頭の歌詞を重ね合わせている。映画では命を落とすトニーと、恋人マリアがいずこかにある将来を夢見て、歌い上げる美しい曲だ。

『コーダ あいのうた』でろう者のトロイ・コッツァーが、助演男優賞を受賞した際も同じだった。ろう者の受賞として2人目、男性ろう者としては初となる。「オスカーを受けるのは……」と舞台から、彼の名前を手話で示したのは、韓国人女優ユン・ヨジョン。韓国系アメリカ人のヒット映画『ミナリ』で昨年、助演女優賞を手にした彼女の手元とその沈黙の瞬間に、会場全体がハッとした。

 手話を通じてコッツァーは、こんな話を披露した。

「僕の父は、家族で一番手話が得意な人だった。彼は交通事故に巻き込まれ、身体がまひして、手話ができなくなった。父から多くのことを学んだ。彼は僕にとってヒーロー」

 手話の訳者が、涙を抑えて声を詰まらせていた。拍手はまばらだった。なぜなら会場のセレブらが立ち上がり、顔の横で両手をひらひらさせる手話の「拍手」を送っていたからだ。

白人男性主体の組織が変わろうとしている

 ちょっと変わったこんな場面もあった。

「これ、本当にアカデミー賞?」と、友人らが騒ぎ始めたのは、ディズニーのアニメ映画『ミラベルと魔法だらけの家(Encanto)』をテーマにしたバンドとダンサーが舞台を埋め尽くした時だ。映画の舞台である南米コロンビアの長い広がったスカートに麦わら帽子の女性が、これも民族衣装の男性と舞台をぐるぐる回っていた。

 私たちがアカデミー賞で見慣れた、肩や足の露出が多いドレスに身を包んだ白人女性らが、タキシードの白人男性にリードされてアクロバティックなダンスを披露するのとはかけ離れた、のどかな、言葉は悪いが「ダサい」シーンだった。

 次の瞬間、会員のうち93%が白人、78%が男性といういびつな構成で、4、5年前に叩かれた映画芸術科学アカデミー(AMPAS)が、変わろうとしている意図を感じた。授賞式を最初から振り返ると、テニス選手で黒人のセリーナ、ビーナス・ウィリアムズ姉妹が授賞式の開始を告げる大役を授けられ、ビヨンセがパフォーマンスで続いた。

 式の前の「レッド・カーペット」でさえ、従来のくびきがなくなったようにみえた。

 ドレスの批評家を気にせずに自己表現し、ハッとさせる女優俳優が続いた。『DUNE/デューン 砂の惑星』で主演したティモシー・シャラメは、シャツを着ないで素肌の上にジャケットで、編み上げブーツだった。前出のアリアナ・デボーズは、赤いパンツに大きなガウンを羽織っていた。女優クリステン・スチュワートは、ジャケットの下のシャツボタンを留めず、超短いホットパンツ姿で、レッド・カーペットを終わるとハイヒールからローファーに履き替えた。

 ニューヨーク・タイムズ紙は、こう指摘する。「彼らは、巨大な生地を使っておとぎの国のような衣装を着るという、古いハリウッドのパターンを振り落とそうとしているかのように見えた」。

「ミラベルと〜」は、「ベスト・アニメ」部門で受賞を決めた。コロンビアを舞台にしたミュージカルで、主人公はメガネをかけ、鼻も大きく、ぽっちゃり体型で、いかにもヒスパニックという女の子ミラベルだ。

 舞台に立ったプロデューサーのイベット・メリーノは、アニメ部門で受賞する初のヒスパニック系女性だった。「ステキな、多様性に満ちた人々を舞台の中心にすえたことを誇りに思う」と語った。

『パワー・オブ・ザ・ドッグ』や日本映画『ドライブ・マイ・カー』などの作品賞をめぐる争いは、『コーダ あいのうた』の受賞で決着した。ニューヨーク・タイムズのベテラン記者ブルックス・バーンズは、「コーダ〜」が作品賞を得て、会場が手話の「拍手」に包まれているのを見て、こう書いた。

「私はこの瞬間を見るとは、つゆほども思っていなかった」

『ドライブ・マイ・カー』が成し遂げたこと

 日本映画『ドライブ・マイ・カー』は、国際長編映画賞を受賞した。日本映画の同賞受賞は2009年の『おくりびと』(滝田洋二郎監督)以来13年ぶり。濱口竜介監督は、横に控えていた通訳の助けを借りずに英語でスピーチし、最後はオスカー像を振り上げて日本語で「取りました!」と叫んだ。スピーチを短く切り上げるようにバンドの音楽が鳴り始めていたが、こうしたアクシデントが許されたのも、感動の瞬間だった。

『ドライブ・マイ・カー』公式HPより

『ドライブ・マイ・カー』は日本映画で初めて、作品賞にもノミネートされ、それだけで「映画史的事件」だ。アメリカでも全米映画批評家協会賞で作品賞を含む4冠に輝くなど、国内外で受賞ラッシュであることを考えると、作品賞を逃したものの、アカデミー賞をも制覇したことになる。

 映画研究者の池純一郎・コロンビア大研究員は、こう話す。

「3時間という見る人に体力を要求する作品。それでも、これだけ評価された理由は、ドキュメンタリー性ある撮影にある。複雑な感情を映像で表現するのは、映画の目標といえる。濱口監督は、まるで目の前で人が話しているかのようなドキュメンタリーのような手法で、人物の感情を手に取るように見せることに成功した」

 従来のハリウッドでは、興行収入を膨らませるために、あらすじや人物の描き方などがビジネスの一部として築かれ、定着し、成熟してきた。そこで、『ドライブ・マイ・カー』のような作品が注目されたことは、1つの突破口ともいえる。

 人種やジェンダーなどを含めた多様性を広げようとする動きも重なり、ハリウッドやアメリカ社会が変わろうとしているのを強く感じるアカデミー賞の結果だった。


津山 恵子(つやま けいこ)Keiko Tsuyma
ジャーナリスト
東京生まれ。共同通信社経済部記者として、通信、ハイテク、メディア業界を中心に取材。2003年、ビジネスニュース特派員として、ニューヨーク勤務。 06年、ニューヨークを拠点にフリーランスに転向。08年米大統領選挙で、オバマ大統領候補を予備選挙から大統領就任まで取材し、『AERA』に執筆した。米国の経済、政治について『AERA』ほか、「ウォール・ストリート・ジャーナル日本版」「HEAPS」に執筆。著書に『モバイルシフト 「スマホ×ソーシャル」ビジネス新戦略』(アスキーメディアワークス)など。ツイッターはこちら