現場のバス停には花が。ベンチは狭く仕切りもあるので横になれない(事件直後に撮影)

「びっくりしました。被告が亡くなったこともそうですが、あんな酷い殺人をしておきながら保釈されていたとは……」

 被告の自宅近くの住民はそう語った。

 '20年11月、東京都渋谷区のバス停でホームレスの大林三佐子さん(当時64)が、何者かに殴られて死亡するという事件が起きた。事件発生から5日後、現場近くの酒店の一人息子・吉田和人被告(48)が最寄りの交番に母親とともに出頭。

「犯行前日に“お金をあげるからどいてほしい”と頼んだが、断られた。腹が立ったので、石を詰めたペットボトルで殴ったが、こんな大事になるとは思わなかった」

 と供述。吉田被告は傷害致死の疑いで逮捕されたのだ。被告の一家は祖父母の代から続く老舗酒屋で、マンションやアパートも所有する資産家でもあった。被告宅の近隣住民によると、

「彼は中学校で不登校になって以来、ひきこもりになってしまった。20歳ぐらいで一度就職したが、すぐに辞めて……。それでも事件を起こす数年前、常連さんへの配達をしていた父親が亡くなって一人で酒店を切りもりする母親の手伝いはしていた」

景観を壊す“異物”に見えたのか

 そんな被告は近所ではちょっとした有名人だったという。

「実家の2階にひきこもって、そこから見える景色に特異なこだわりがあった。近所の人がパラボラアンテナを設置したり、自宅のシャッターなどを替えたりすると、文句をつけていたそうですから。もしかしたら、バス停で寝泊まりする大林さんが景観を壊す“異物”に見えたのかもしれない」(社会部記者)

 吉田被告は'20年12月に起訴され、来月17日に初公判が開かれる予定だった。てっきり拘置所で公判を待っていると思われたが、実は保釈されていた。

「どうやら今年の3月ぐらいに保釈されていたようですね。反省の色も見せていたし、逃亡する恐れもなかったので、そういう判断になったんでしょう。ですが、人目があるから、外にも出られなくてまたひきこもっていた」(被告の知人)

 そして4月8日の午前中、被告が近所で倒れている姿が発見され、間もなく死亡してしまう。近くのビルから飛び降り自殺を図ったとみられている。

被告が暮らしていた実家のインターホン。壁と自動販売機の間にあるため、押すことができない

 被告宅を訪ねると、母親は出てきてはくれたものの、両手を合わせてお辞儀をしながら、「申し訳ありません……」と呟くのみだった。母親の銀縁の眼鏡の奧の目元には、クマのようなものが見えた。

 一方、被害者が亡くなったバス停は事件後、多くの女性が献花する場所となっていた。

「亡くなった大林さんは若かりしころ、アナウンサー志望でしたが、夢が叶わず、地元の広島で結婚式の司会業などをやっていました。5年ほど前に上京して、スーパーなどでバイトをして生計を立てていたそうです。だが、その仕事を失いホームレスになって、あんなかたちで殺されてしまった。非業の死を遂げた大林さんに多くの女性たちが同情、共感しているんだと思います」(ウェブメディア記者)

 ありし日の大林さんを見たことがある住民は、彼女の印象について、

「事件の5か月ほど前から、大林さんが夜中1時になるとバス停のベンチに座って朝方まで寝ていました。女性だから安全面を考えて、その場所を選んでいたんじゃないかな」

 身長150センチメートルぐらいだった大林さんは比較的、小綺麗な服装をしていたという。

人の助けはいらない

「服装も靴も毎日替えていて、スカーフをしているときすらも。だから最初はホームレスだとは思わなかったんです」(同・住民、以下同)

 ときどき声をかけてみると、

「“大丈夫ですか”“食べ物をあげましょうか”“毛布はいらないですか”と言っても、返事はいつも決まって“いえ、大丈夫です”と。人の助けはいらない、迷惑をかけないといった、凛とした強いものを感じました。生活保護も受けられたでしょうが、それも嫌だったんでしょうね」

 家族にも、自身の困窮ぶりをいっさい伝えていなかったという大林さん。吉田和人被告によって虫けらのように命を奪われてしまったが、矜持を持って生き抜いたその姿は大林さんの“遺言”となって人々の心に生き続けている。

 雨の中、バス停脇には2束の献花があった。

「あれは、今回、自殺と思われる被告の死亡報道を知った方が、それを大林さんに報告するための献花と聞きました」(近所の住民)

 だが、被告が死亡したことで、この事件の真相は永遠に閉ざされてしまった……。