5月上旬、朝8時過ぎに徒歩で通学される悠仁さま。前後には護衛がついていた

 最長10連休といわれたゴールデンウィークが明けて間もない平日。快晴の下、1人の青年が坂道を上る。身にまとうジャンパーとリュックは、いずれも日本のスポーツブランド『デサント』。歩みを速めて筑波大学附属高校の正門をくぐる“未来の天皇”に気を留める人はいない。

 秋篠宮家の長男・悠仁さまが同校に入学してから1か月が経過した。

“ハイブリッド形式”で公務

「警備の人が校内に大勢いますが、もう慣れました。殿下を見かけたのは1度だけ。男子生徒と2人で教室移動していました。仮入部期間には、いろいろな部活に参加していたそうです」(在校生)

 “1人の生徒”として学校に溶け込む半面、皇族としての悠仁さまが背負う“大人の事情”がある─。

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「5月12日、3年ぶりに開催された、日本医師会が主催する『赤ひげ大賞』の表彰式に秋篠宮ご夫妻が出席されました。お代替わりに伴い、天皇陛下から秋篠宮さまに引き継がれた公務のひとつですが、今回が初めてのご臨席となりました」(皇室担当記者)

 令和になって丸3年。未曽有の感染症により、めっきり減っていた皇室の方々のお出ましが徐々に復活している。

「秋篠宮さまのご活躍の場も増えてきました。コロナ禍でおなじみとなったオンライン交流を継続しつつ、地方訪問を再開させる“ハイブリッド形式”で公務をこなされています」(同・前)

 皇位継承の順位が1位の『皇嗣』について、ある皇室ジャーナリストが解説する。

秋篠宮さまの衝撃肉声

「明治から大正、大正から昭和、平成、令和……と、皇位は“父から子”へと継承されてきました。天皇陛下から秋篠宮さまのように“兄から弟”へ天皇の位が移るのは、近現代の皇室史において非常に大きな変化です。秋篠宮さまの即位と同時に“本家”は現在の天皇家から秋篠宮家へ移り、悠仁さまは『皇太子』となります」

 現行の『皇室典範』に従えば、そのように皇位が継承されるが、

「かねて“秋篠宮さまに即位するおつもりはない”と、噂されています。'17年6月に上皇さまの生前退位を実現する特例法が成立しましたが、その後、秋篠宮さまは“兄が80歳のとき、私は70代半ば。それからは(天皇は)できない”と関係者に打ち明けられたそうです。この重大な報道について、宮内庁が否定しなかったことから、多くの人が“真意”だと受け止めました」(前出・記者)

 ちなみに秋篠宮さまは'11年11月に開かれた46歳の誕生日会見でも、高齢に達した天皇の公務のあり方について「“定年制”というのは、やはり必要になってくる」との考えを示されている。

「上皇さまのご進退を念頭に置いた質問に対するご回答でしたが、秋篠宮さまはご自身の未来にも“布石を打った”と受け止められました」(同・前)

5月12日、『赤ひげ大賞』表彰式に出席し、おことばを述べられた秋篠宮さま

 一方、淡い期待を寄せ続けていた人もいる。

「“月日変われば気が変わる”というように、新たに皇嗣となったことで、“こんな皇室を築きたい”という決意や覚悟を抱かれている可能性はあると思っていました」(宮内庁OB、以下同)

 しかし、5月11日に発売された『秋篠宮』(小学館)によって期待は打ち砕かれた。

「著者は、秋篠宮さまと31年間にわたり親交のある元毎日新聞編集委員の江森敬治氏。
秋篠宮さまへの取材を開始した'17年6月から脱稿する'22年1月までの間に計37回、お住まいを訪れたといい、そのやりとりが事細かに記されています」

《皇室史に残る一級の肉声資料》(『週刊文春』5月19日号)と評される同書には、国民的関心事となった小室眞子さんの結婚問題に対する“父の本音”や宮内庁への問題提起などが綴られており、波紋を呼んでいる。

「それだけではありません。皇嗣という立場への考え方や皇族としての人生観が、実に興味深かった。やはり秋篠宮さまは、即位するおつもりがないのだということが、ひしひしと伝わりました」

 その根拠として示された箇所を引用して紹介する。'18年9月に、上皇さまの退位についてどう受け止めたか江森氏が尋ねると、秋篠宮さまはこう答えられたという。

《ある一定の年齢を超えた時期に、余生を大事にすることは、それが天皇であっても同じ人間として人間的に生きる権利という観点からも大切なことではないかと思いました》

 さらに半年後の'19年2月、お代替わりを控えた秋篠宮さまに対し「皇嗣殿下としての心構えや決意を教えてください」と江森氏が問いかけると、

《「うーん」と、しばらく考えていたが、求めていた答えは返ってこなかった》

 前出の宮内庁OBが語る。

“人間的な自由”に制約がかかる

「“秋篠宮さまの素顔を国民に伝えること”を目的として執筆された以上、秋篠宮さまは“ご自身の考えを公にする”意識で取材に応じられたはずです。同書では皇嗣への熱意よりも、“人間的な自由”の主張が目立ちます。私は“天皇になる意識はない”というメッセージだとお見受けしました

 皇室制度に詳しい静岡福祉大学の小田部雄次名誉教授はこう解説する。

上皇陛下が生前退位された前例があるため、秋篠宮さまが高齢を理由に即位を辞退なさる可能性はあるでしょう。幼少のころより“皇位を継承する皇族”としてお育ちにならなかった秋篠宮さまが、今さら皇位継承者としての心構えや生活態度を整えるのは難しいとお考えなのかもしれませんし、多くの人はそのお考えを理解すると思います」

 そう共感を示しつつも、

「皇嗣である以上、次の天皇となるべく心構えや生活態度を養っておくのが務めともいえます。少なくとも、悠仁さまが一定の年齢に達し、皇位継承者としての心構えや生活態度が身につく前に、即位を辞退することをほのめかすのは、軽率な印象を与えかねません」

象徴としての務めについて、お気持ちを表明された上皇さま('16年8月)

 現実味を帯びる秋篠宮さまの“天皇スキップ”。そのしわ寄せが及ぶのは、皇位継承第2位の悠仁さまだ。

「生まれながらにして“いずれ即位する”という運命を背負った悠仁さまは、秋篠宮さまのように“重圧から逃れる”ことはできません。本来は、天皇である父の姿勢を受け継ぐことが“帝王教育”の一環になりますが、悠仁さまの場合、“秋篠宮さまを倣えない”ということに当惑されるのではないでしょうか」(宮内庁関係者)

 仮に秋篠宮さまが75歳で即位を辞退された場合、悠仁さまは34歳で即位されることに。そうなれば、皇后となるお相手へのプレッシャーは計り知れず、“お妃選び”が難航することも考えられるという。

「お気の毒かもしれませんが、未来の天皇である以上、進学や恋愛などの“人間的な自由”に一定の制約が伴うことは免れません。責務へのご自覚を持ち、よき天皇になるための研鑽が求められ続けます」(小田部教授)

 秋篠宮さまが追求する自由は、“重圧と困惑”と化して悠仁さまにのしかかる─。


小田部雄次 静岡福祉大学名誉教授。日本近現代皇室史を専門とし、『皇室と学問 昭和天皇の粘菌学から秋篠宮の鳥学まで』(星海社新書)など著書多数