スモーカーとノンスモーカーの共生の象徴、喫煙所(場所は刈谷ハイウェイオアシス)

 5月31日は世界保健機関(WHO)が定める「世界禁煙デー」。禁煙の大切さを再認識しようという日。分煙が進む社会において喫煙文化をどう考えていくとよいでしょう。

 愛煙家にとってはたばこは人生に欠かせない存在。愛煙家が意識するかしないかによらず、嫌煙家とは距離ができてしまいがち。

 お互いにどのように折り合い、共生するといいでしょう。健康を目指すのは良いことですが、厚生労働省も、たばこを吸うかどうかは「科学的な情報が十分に提供された上で本来各人の自由な選択に任されるべきもの」と説明しています。

 健康志向のために情報提供をするのはよくても、過度になれば、それが押しつけになって、受け取る人によってはストレスになってしまい関係をギスギスさせることにもなりかねません。たばことどう付き合うか。ちょっとここではそんな人生観のお話をしてみたいと思います。

強まっている「ヘルシズム」の動き

 そういう中で、考えておきたい視点として「ヘルシズム」という言葉について触れてみたいと思います。

 ヘルシズムは1980年に米国イリノイ大学政治科学教授のロバート・クロフォード氏が提唱したものです。その要点は、健康の問題が個人だけの問題ではなく、社会全体の関心事になっているという問題です。

 生活習慣病の問題を考えると、例えば、太るかどうかは個人の問題であって、ダイエットに励むという選択はその人に委ねられていると考えるのはそれまでの考え方でした。たばこにおいても、先に述べた厚生労働省の考え方と共通したものでした。

 ところが、ヘルシズムという考え方の下では、その人の体重を増やさないといった健康の問題が、従来は個人の問題であったのに、みんなで後押ししようと社会全体の関心事に変わったというのです。

 こで何が起きえているかというと、クロフォード氏は「生活全体をすべて医療の目で見るようになった」と言います。もともと病気の問題のみが医療の目で判断されていました。病気になって医療機関を受診すべきかどうかは、医療の観点から考えるからです。それが、ヘルシズムの考え方においては、病気の問題にとどまらず、何を食べるか、いつ眠るか、どれくらい運動するかといった生活習慣も病気の予防につながるものとして医療の問題としてとらえられるようになりました。

 極端なことを言えば、どんな仕事に就くべきか、どんな友だちと付き合うべきか、学歴はどうすべきかも、その人の健康につながる医療の問題としてとらえられるような風潮が生まれたのです。その人が精神的に満たされるか、幸せに生きられるかという生きる価値にまでつながると解釈されるようになりました。

 ここで出てくる問題として、健康を保てるかどうかで、その人の人格の評価にまで関係してくるようになったということ。自分自身の健康を把握できずに、軽率な生活を送っている人は、「怠惰である」と軽蔑の対象になる側面が出てきたのです。

 さらに言えば、「健康は誰もが追求すべき、支配的な価値で、そのほかのすべての価値を左右する」という考え方まで飛び出す結果になりました。つまり、健康を維持できない人は、そのほかの分野でどんなに立派であっても“低評価”の烙印を押されてしまうというわけです。

 身近な問題に置き換えれば、太っている人は、その人がどんなに頑張っていても、太っていることは健康に良くないことであり、その人は自己管理のできないダメな人と捉えられるわけです。

 クロフォード氏は“健康の定義”も変わってきたと言います。健康は現在の問題にとどまらず、「将来の病気のリスク」まで含めた問題と捉えられるようになったのです。

偏見の問題をどう考える

 そんな中で非難の対象になりやすいのが喫煙文化。フランスの研究グループによると、喫煙は科学的な研究が進むほどに、偏見を受けやすい行動になっていると述べています。2010年に3091人に電話調査をしたところ、喫煙の行動に「偏見」がつきまとっている実態が確認されました。喫煙するだけで、その人を色眼鏡で見るというのです。例えば、非喫煙者であるフランス人は「喫煙者とはデートをしない」「子どものシッターとして雇うことはない」といった考えを持っていました。

 さらに、喫煙者を強く非難して、社会的な関係を拒否するというグループが存在していることも電話調査から判明しました。こうした偏見を持ちやすい人というのは特徴もあって、年を取っている人、たばこもお酒もやらない人など。健康志向自体は良いことかも知れませんが、こうした自分自身の価値観を他人に押しつけるばかりではなく、偏見につながると過度と言えるかも知れません。

健康志向の物差しでは喫煙は望ましくないかもしれないが、人柄まで非難される世の中は果たして…… ※画像はイメージです

 ヘルシズムの考え方では「道徳化」と表現しているのですが、喫煙者が他人に迷惑を変えないように心掛けていても、それでも喫煙を非難され続けられるとしたらどうでしょう。

 冒頭のように、厚生労働省の説明からも読み取れるのですが、たばこと健康についての情報提供は怠りなくして健康の大切さを理解してもらうのはよいとしても、最終的にはたばこは本人の嗜好品であることは軽視しない方がよいのかもしれません。本人が選択してたばこを吸うか吸わないかは決めることはできるのです。確かに健康を思いやるのはよいことですが、それが偏見や差別につながるとしたら話は別でしょう。

 もっとお互いを尊重していく道はあってよいはず。喫煙文化は一つの人生観として許容されてもよいのではないかと思われます。

ストレスなく喫煙文化を受け入れられる社会を

 もっとも最近では健康志向が加熱し、不健康な行動を拒否する考え方が過度になる余り、精神的に不安定になる問題も起きています。例えば、健康に悪い食べ物を避ける考えが強すぎて、それで精神的に疲弊するといった問題です。そうした考え方に伴った問題は「オルトレキシア」と呼ばれています。健康を追求するあまり、かえって精神を病んでしまうとしたら本末転倒です。

 日本の調査によると、身体的な健康も大切ですが、心の健康に悪影響を与えるほど健康を気にしすぎるのは避けたいという人も多いようです。インターネットリサーチのネットエイジア株式会社が2022年3月に1000人の男女(20歳~69歳)を対象にウェブで行った「健康に関する意識調査」では、健康第一に息苦しさを感じるという回答が約半数(49.5%)を占めました。健康志向はありますが、それがいきすぎて気持ちが追いついていない人もいるということでしょう。

 基本的には喫煙をするときには健康を意識すべきというのは確かなのでしょう。スモーカーはノンスモーカーと一緒に過ごすときのマナーを大切にすることは意識したいところ。

 同じくネットエイジア社が2022年4月に現在たばこを吸っていない20歳~69歳の男女1,000名を対象に実施したアンケートがあります。周囲の迷惑にならないようマナーを守っていればたばこを吸っても良いと思うか聞いたところ、『そう思う』は66.3%、『そう思わない』は33.7%となったそうです。マナーの遵守が文化になっていけば、ノンスモーカーの“心の壁”も解消していくのかもしれません。

 そうした前提の上で、何度も繰り返すように喫煙がその人の嗜好によるものと考えると、スモーカーとノンスモーカーがいかに共生できるか考えるのは大切なこと。世界禁煙デーを一つのきっかけに喫煙文化についてあらためて考えてみるのはいかがでしょうか。

<星良孝 ステラ・メディックス代表 獣医師/ジャーナリスト>

参考文献

たばこ(厚生労働省)
https://www.mhlw.go.jp/www1/topics/kenko21_11/b4.html

Brown RCH. Resisting Moralisation in Health Promotion. Ethical Theory Moral Pract. 2018;21(4):997-1011. doi: 10.1007/s10677-018-9941-3. Epub 2018 Nov 8. PMID: 30613183; PMCID: PMC6304181.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/30613183/

Peretti-Watel P, Legleye S, Guignard R, Beck F. Cigarette smoking as a stigma: evidence from France. Int J Drug Policy. 2014 Mar;25(2):282-90. doi: 10.1016/j.drugpo.2013.08.009. Epub 2013 Sep 12. PMID: 24315503.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/24315503/

ネットエイジア調べ 「健康第一主義に息苦しさを感じる」50%、「健康のための取り組みは自身で自由に選択したい」95%
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000030.000011314.html

ネットエイジア調べ  5月31日は“世界禁煙デー” 非喫煙者の認知率は14%
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000031.000011314.html