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 田口ゆうさんは現在、発達障害に焦点をあてたウェブニュースの編集人やフリーライターとして活躍している。都内の一等地に住み、事業を展開する彼女だが、ほんの数年前までは生活保護を受給し、幼い子とふたり、母子生活支援施設で生活していた。そもそもなぜ生活保護生活をするまでになったのだろうか?

DV夫と離婚、育児放棄、子は愛着障害に

「若いころはベンチャー企業の経営企画部門で働いていました。私はバツ2ですが、2度目の離婚が人生の大きな分岐点になってしまったんです」(田口さん、以下同)

 DV傾向のあった2人目の夫とは離婚の際、親権で大いにもめた。結果、生まれて間もなかった子は、元夫の手に渡ってしまった。それでも、ちゃんと育ててくれればまだよかったのだが、ほどなくネグレクト(子育て放棄)状態に。子どもを取り戻すためには裁判をせねばならず、時間を奪われて、仕事も転職を余儀なくされた。

田口ゆうさん

「息子が2歳のとき、やっと私の元に戻ってきました。ただネグレクトの期間が長かったためか、愛着障害が起きていました」

 愛着障害とは、愛情をもって育てられなかった子どもに起きる障害のこと。かかりつけの医師には、

「いますぐ仕事を辞めて3年間べったりと一緒にいて愛情を注いで育てなさい。そうしないと、一生障害を背負うことになる可能性があります」

 と言われた。

「正直“この先生は、何を言ってるんだ?”って思いました。そのころはすでに転職もしていて、私の収入は多くなかった。そのうえ私の両親も熟年離婚していて、父親はアルコール依存症になっていたんです。実家はまったく頼れない状態でした」

 医師は、

「だったら生活保護を受給しなさい。そして母子生活支援施設で生活しなさい」

 と、言い切った。

 実際、当時の田口さんの経済状態はよくなかった。スーパーで働いてなんとか食いつないでいたが、“1日の食事がポテトチップス1袋だけ”という日も。服も数枚しか持っておらず、コートの下はいつも同じ服だった。

「下着はさすがに替えていましたが、それも100円ショップの安物。それしか買えなかったんです」

ホームレスになり、母子支援施設に入居

「生活保護を受給するという考えはまったくなかったので、どうしたらいいかわからず、ケースワーカーさんに相談しました。

 “まず、完全にホームレス状態になってください。その状態なら、基本的にどの区、どの市の役所でも駆け込める”と説明を受けました」

 さらにケースワーカーは、

「どの区に駆け込むかで、対応はずいぶん変わるから慎重に選んでください」

 と付け足した。

 同じ東京23区でも、例えば港区と足立区と豊島区では区の経済状態も、福祉に対する方針もずいぶん違う。だから、なるべく福祉に厚い地域の役所に駆け込んだほうが良い待遇を受けることができる、というのだ。

 生活保護を受給する地域を一度決めてしまうと、あとから変更するのは、非常に骨が折れる、とも言われた。だから最初の駆け込み先は、慎重に選んだほうがいいという。

 田口さんは、福祉や医療が手厚いと評判の、某区役所を訪れた。

「身の回りの品だけ持って“保護してください!”と嘆願したら、トントン拍子で母子支援施設に入居できることになりました。移動は、目立たないようにするためなのか深夜でした。そっとタクシーで移動しました」

 職員とともにマンションにたどり着いた田口さんは、自分の目を疑った。東京の中でもセレブタウンと名高い地域に建つ、高級そうなマンションだったからだ。

 そっとドアを開けると、室内は3LDKの広々とした空間が広がっていた。あとで不動産屋さんに聞いたところ、家賃20万円以上に相当する物件だったという。

「家賃はもちろんかかりません。家電など引っ越しにかかるすべての費用は区が払ってくれました」

母子施設のイメージ

 生活保護だから、住民税も納めない、病院代もかからない、基本的に交通費もNHKも水道料金なども免除される。

「マンション内には24時間体制で警備員がいますし、職員やカウンセラーも常駐しています。“自分で部屋の片づけができない”“子育てが限界です”と相談すれば、手伝ってもらうこともできます」

 もちろんそういう施設であることは極秘だ。周辺住民や知人に知られることもない。

「そのうえで12万円ほどの現金が毎月もらえます。それで何を買ってもいいし、貯金をしても構いません。正直、現在より、ずっと経済状態は安定していましたね」

 施設の職員からは、

「ここの暮らしに慣れないで、染まらないで。これを当たり前だと思わないようにしてください」

 と、くぎを刺された。

 一度入ったら出たくなくなるほどに快適な空間なのだ。

妄想、虐待、クセの強い住人たち

 そのマンションは1棟丸ごと母子生活支援施設であり、ほかの住人も田口さんと同じような状況が多かった。

 それぞれに事情がある母子が何組も住んでいるワケだが、彼らはかなり強いクセを持っていた。

「住み始めたら、すぐ隣の住人から“うるさい!!”と、猛烈な抗議を受けました。子どもも泣かさないように、なるべく音を立てないように生活していたんですが、隣からの抗議は止まらなかった。“室外機の音がうるさい!!”などと言っては、たびたび怒鳴り込んできましたね」

 ある日、田口さん親子は外泊をした。当然、部屋から物音はしないはず。しかし、それにもかかわらず隣人は職員に対して猛烈な抗議をしたという。

 抗議は段々ひどくなり、最終的には、

「隣人が電波攻撃をしかけてきている!!」

 と異常とも思える難癖をつけてきた。

 田口さんも疲れたが、それ以上にクレームに対応していた職員たちがノイローゼになった。また、子どもに対して虐待をする母親もいた。

「もちろん虐待があれば、職員が子どもを保護しますが、実際には、殴る蹴るの“暴力の現場”などを押さえない限り、児童相談所案件にはなりづらいんです」

取材中の田口ゆうさんと村田らむさん

 田口さんが知り合いになった20代前半の母親は、なにかあるたび実子のAちゃんにこう怒鳴りつけていた。

「おまえのせいで、私はお父さんと離婚したんだよ!! おまえなんか生まれてこなければよかったのに!」

 Aちゃんは母親から毎日恫喝され、常におびえていた。

「ある日、施設の共有スペースで、3家族でお茶をしました。その時、Aちゃんが飲んでいた自分のオレンジジュースを床にこぼしちゃって」

 母親は子どものミスを許さなかった。烈火のごとく怒鳴ろうとしたが、子どもはすでに姿を消していた。

「Aちゃん、カーテンの裏に隠れて震えていたんです。あまりの恐怖でオシッコをもらしていました。それを見てAちゃんママは“情けないやつ!!”って、ゲラゲラ笑ったんですよ。かわいそうで、とても見ていられなかった」

 虐待しているつもりはなくても結果的に、虐待になっているケースも。

 母子生活支援施設を転々としている、元不良の母親がいた。施設にいる間は子どもを学校に通わせていたのだが、交際相手ができて施設を出ると、とたんに子どもを学校に通わせなくなった。結局、役所の職員が家に踏み込んで、子どもを学校に行かせるように説得したという。

 役所が母親に、なぜ子どもを学校に行かせないのかと尋ねたところ、

「“小学校には絶対に通わせなければいけない”なんて知らなかった。義務教育なんてものがあるなんて、誰も教えてくれなかった」

 と言い訳をしたという。

 自分が虐待を受けてきた人が、子どもに虐待をしてしまうケースは少なくない。母子支援施設にもその負の連鎖が断ち切れない人がいた。

「元アルコール依存症や元違法薬物依存症の人もいました。“元”というか、実は現役で依存症の人がほとんどだったと思います」

 母子生活支援施設で暮らし、生活保護を受けていたとしても、行動制限はほぼない。もちろん違法薬物は法律違反だからありえないが、酒は好きに飲むことができる。

「昼間からベロベロに飲んでしまう人も。直接は知らないですが、パチンコなど公営ギャンブルをやっている人もいたみたいですね」

 ある日、田口さんは気になって、役所の人に“生活保護で暮らすうえでの禁止事項”があるか聞いてみた。

「生活保護というのは罰ではありません。受給しているからといって、何をしてはいけないとか、買っちゃいけないとかはない。好きにしてください」

 と言われた。

「生活保護で暮らすという時点で、やっぱりどうしても罪悪感を感じてしまう。だから、そう言ってもらえてありがたかったですね」

 生活保護を申請すると、三親等以内の親族に“本当に援助できないのか?”の確認がいくといわれている。身内に貧窮が発覚するのが嫌で、生活保護申請をためらう人もいるという。実際のところはどうなっているのだろうか。

「私の場合、三親等どころか両親にすら連絡はいってなかったです。誰にも知られず生活保護を受け、母子生活支援施設で生活することができました。もちろんケース・バイ・ケースなんでしょうけど、意外と私のようなケースも少なくないようですね」

施設に入居したころの田口さん親子

死ぬくらいなら生活保護を受けたほうがいい

 田口さんが母子生活支援施設に住むことができる期限は2年間。期限は人によって変わるが、彼女は予定どおり2年で立ち退いた。

 そして同じ区にある1Kのマンションに引っ越した。引っ越し代や、初期の家具代などはすべて生活保護でまかなえたという。

「60平方メートルの3LDKから、20平方メートルの1Kに移ったので、最初は『狭い!!』って思いました。でももちろん汚い物件ではないし、知り合いが遊びに来たときは“こんなステキなところに住めて、うらやましい!!”と言われたほどです」

 田口さんは引っ越してからの1年も生活保護で過ごした。子どもに付き添い、愛情を注ぐ3年間を送るためだった。子どもの愛着障害の症状はしだいに治まっていった。

「3年たった後は、すぐに働き始めました。運良くそれなりに大きい会社に入社することができて、1か月で生活保護は即時廃止に。区役所が勤め先を“きちんと給料が払える会社”だと確認したら、すぐ止まるようです」

 生活保護期間が終わった後も、田口さんは同じ部屋に住み続けているという。もちろん自分でお金を払い続けることになるが、そのまま継続して住むことも自由なのだ。

 田口さんは、子どもとの3年間の受給生活後にスパッと生活保護をやめたが、それはとてもレアなケースだと職員に言われた。

“生活保護を予定どおりやめられる人は、めったにいない”と言われました。延々と生活保護で暮らし続ける人が多くいる。そういう人に対して批判的な意見があることも知っています。

 ただ、私は生活保護と母子生活支援施設のおかげで助かりました。とても快適で、現在の日々の生活に疲れたとき、“施設時代に戻りたいな”と思うくらいです。

 今では子どもは9歳になって元気に学校に通っています。現在の制度に感謝しかありません」

 SNSを見ていると“生活保護を受けるくらいなら死んだほうがマシ”などと暴言を吐く人も少なくない。

 しかし、死ぬくらいなら生活保護を受けたほうが絶対にいい。親子で生き場所を失ったなら心中を選ぶのではなく、施設に駆け込んでほしい、と田口さんは語る。

 もし、罪悪感を感じるなら、生活保護生活を終えた後に頑張って働いて、税金を納めるなり、寄付をするなりすればいいだろう。命より大事なものがあるだろうか。

「とにかく『生きる』ことを最優先にしてほしいです」

「今は小学生になった子どもと2人暮らし」という田口さん
田口ゆうさん●マイノリティー向けウェブサイト『あいである広場』編集長兼ライター、漫画原作者。母子支援施設入居経験と生活保護受給体験を経て、現在は9歳の子と暮らす
取材・文/村田らむ●ルポライター、イラストレーター、漫画家。愛知県名古屋市出身。貧困やホームレス、新興宗教など社会的マイノリティーをテーマにしたルポルタージュが多い。近著に『人怖 人の狂気に潜む本当の恐怖』(竹書房)『非会社員の知られざる稼ぎ方』(光文社)など。