いのちを救う「スロースクワット」

「『術後の回復が比較的早かったのは、手術後からスロースクワットをしていたからだと思う』と、親しい編集者に話したところ、彼に『先生、それはいのちのスクワットですね』と言われました。まさしくそうだと思いました」

 こう語るのは、東京大学名誉教授の石井直方さんだ。ボディビルダーとしても活躍していた過去を持ち、「筋肉博士」とも呼ばれている。現在石井さんは、誰でも簡単に足腰を鍛えられる「スロースクワット」を提唱している。

いのちのスクワットと言われる理由

 このスクワットはゆっくりした動きなので、関節を痛めたり、血圧の急上昇を起こしたりするリスクが少なく、軽い負荷でも効率よく筋肉を鍛えることができるのが特徴だ。体力に自信がない人や高齢者でも続けられ、ダイエットにも効果がある。

 実はこのスロースクワットが、2度のがんを経験した石井さん自身の命も守ってくれたという。

「最初にがんが見つかったのが2016年で、悪性リンパ腫のステージ4でした。もともと週に2回は筋トレをしていたのですが、そのころは仕事が忙しくて8か月ほどトレーニングができていなかったのです。

 抗がん剤の治療が始まりましたが、退院後、駅から病院までの700mの距離を休憩なしでは歩けなくなってしまったことに愕然としました。足腰の衰えを痛感し、それからスロースクワットを始めたのです。

 抗がん剤の副作用がきつく、食欲もなくなりましたが、乗り切るためには体力が必要です。足裏のしびれもありましたが、3日に1度のペースで行うスロースクワットなら続けることができ、順調に回復していきました。ゆっくりした動きなので、ケガをする危険も少なく、道具も必要がないので病室でも行うことができました」(石井さん、以下同)

 その後、悪性リンパ腫の再発はなく安心していたところ、2020年には、肝門部胆管がんが見つかった。今度は肝臓の3分の2を切除する大手術となったが、そのときもスロースクワットが回復を助けてくれた。

「悪性リンパ腫の入院の際に筋力が衰えたので、今回は手術前からスロースクワットをはじめとするトレーニングを行うようにしました。手術は12時間ほどかかり、その後2日間は集中治療室にいましたが、3日後に一般病棟に戻ってからすぐにスクワットを開始。最近は、術後も動ける範囲で動いたほうが回復を早めることがわかっています。私もスクワットを行ったおかげかかなり早くに退院でき、主治医からも驚かれました

 病気や入院によって活動量が減ると筋肉は衰えるが、健康であっても、加齢や運動不足で筋肉は弱ってしまうので注意が必要だ。さらに筋肉が衰えると、運動することが難しくなり、ますます筋肉は衰えるという悪循環に。運動ができなくなり、家に引きこもってしまうと、うつや認知症にかかるリスクも高くなる。

筋肉は何歳からでも鍛えられる

1スロースクワットのやり方
2スロースクワットのやり方
3スロースクワットのやり方

 一方、筋肉は何歳になっても鍛えられることがわかっているので、筋トレが大事なのだ。

「太ももの前側にある大腿四頭筋は、30歳あたりでピークとなり、80歳のときには半分程度に減ってしまいます。つまり50年で50%減少するため、1年に1%ずつ減少していくと考えられるのです。

 一方、平均年齢70歳の高齢者の方にスロースクワットをはじめとするスロートレーニングを行ってもらったところ、3か月で太ももの筋肉は5%増えました。スロースクワットを続けて5%筋肉が増えれば、身体が5歳若返るといっても過言ではないでしょう

 スロースクワットは、動きがゆっくりで、少ない回数でありながら、筋肉を鍛える効果が高いところが優れている。

「身体をゆっくり動かすと、筋肉が持続的に緊張し、内部の血流を制限します。その結果、筋肉の内部の酸素濃度が低下するために筋線維(筋肉の細胞)がすぐに疲労し、筋肉が激しく動いた場合と同様の状態になるのです。スロースクワットは軽い負荷(最大筋力の30%程度)でも、効率よく筋肉を鍛え増やせるのが特徴です」

 さらに、毎日行うのではなく、週に2〜3回程度行うのが基本だ。

「筋トレを行うと、直後から約72時間後にかけて、筋線維が成長します。この間に新たな筋トレを行っても、筋線維は成長にはつながらないので、3日おきくらいの頻度で行うことをおすすめしています。スロースクワットは朝起きてすぐと、食後すぐ、寝る直前は避けてください。それ以外は1日のうちいつ行ってもいいです」

 スロースクワットは1セット5回からスタートし、慣れてきたら、8回、12回と増やしていく。これを1日3セット行うが、この3セットを行うのに10分もかからないので、続けやすいはずだ。筋肉が「熱くなってきた」「だるくなってきた」「疲れた」といった感覚があれば、効いている証拠だという。

スロースクワットで脂肪が分解されやすくなる

 また、スロースクワットは、やせたい人にもおすすめだ

「スロースクワットをはじめとするスロートレーニングで、成長ホルモンやアドレナリンの分泌がよくなると、代謝がアップして、脂肪が分解されやすくなります。実践してもらった結果、身体が引き締まったり、体重が落ちたりしたという人が続出し、スロースクワットがダイエットにも使えることがわかりました」

 運動不足解消のためにウォーキングを行っている人は多いが、残念ながら筋肉は鍛えられないことも知っておきたい。

「ウォーキングは心肺機能の強化や、認知症予防には効果がありますが、ウォーキングだけでは筋肉はつきません。筋肉が衰えると歩くことも難しくなるので、ウォーキングの前にスロースクワットをするとよいと思います」

 スロースクワットを行うと、筋肉がつくだけでなく、気分も明るくなれる。

「筋トレをしている大学生は、していない人よりも暗記テストの成績がいいというデータがあります。スクワットのような大きな筋肉を使って行うトレーニングは、交感神経を高めることがわかっているので、脳が活性化され、気持ちが前向きになることも期待できます」

 そのほかにも筋トレには、糖尿病をはじめとする生活習慣病の予防・改善や、認知症やがんを予防する効果があることが明らかになっている。

 週2~3回のスロースクワットを続けると、2~3週間で効果が実感できるそう。いつまでも歩ける身体づくりやダイエットのために、スロースクワットを習慣化したい。

筋肉博士・石井直方東大名誉教授が実践!

スロースクワットを実践する筋肉博士・石井直方東大名誉教授

いしい・なおかた 1955年、東京都出身。東京大学理学部生物学科卒業、同大学院博士課程修了。理学博士。東京大学名誉教授。専門は身体運動科学、筋生理学、トレーニング科学。日本ボディビル選手権大会優勝・世界選手権大会第3位の実績も。少ない運動量で大きな効果を得る「スロトレ」の開発者。著書多数。

石井さんの近刊『いのちのスクワット』(マキノ出版刊 税込み1430円)※書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

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<取材・文/紀和静>