泉ピン子(撮影/近藤陽介)

「ヒロインが洒脱で小粋でなんとも小気味いい。私にピッタリの役だと思って(笑)」

 泉ピン子主演の舞台『すぐ死ぬんだから』は、自身初の朗読劇であり、女優人生をかけて挑む意欲作。原作は内館牧子の同名ベストセラー小説で、まず本に惚れたという。「本がまぁ面白い。あっという間に読み切って、すぐ出演を決めました。

 (役の)ハナの考え方がエキサイティングでとっても若々しくて、やっぱりこの役を演じるのは私しかいないわよね(笑)。女優人生の最後は朗読劇をとずっと考えていたけれど、これを集大成にしようという気持ちでいます

夫役はピン子直々のご指名で

『渡る世間は鬼ばかり』は'90年から足かけ29年にわたって放送された

 出演はピン子と夫・岩造を演じる村田雄治(62)の2人。村田といえばドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)など共演作も多いが、今回はピン子直々のご指名で出演が決まったという。

「村田さんとは息がぴたりと合う。もともと今日の彼があるのは私のおかげよ(笑)。橋田壽賀子先生のところに何度も連れて行っては“大きい役者に育ててやって”と頼み込み、NHKのドラマで役もついた。2時間ドラマにも彼をたびたび推薦してきたの。村田さんもすごく忙しい人だけど、私が声をかけたら絶対にノーとは言えないはず。それを見込んで出演をお願いしました(笑)

 ピン子演じるハナはビリジアングリーンの鮮やかなセーターに幾何学模様のスカートで颯爽と同窓会にあらわれ、同級生たちから羨望の視線を浴びる。そんなハナも、かつては岩造と営んでいた酒屋の切り盛りにかかりきりで、身なりに全く構わずじまいだった時期も。

 しかしある出来事をきっかけに意識が変わり、外見磨きに励むようになる。一方ピン子も“シャネラー”と呼ばれるなど、ハイブランドの着こなしは有名だ。

「洋服や宝石にはかなりお金を使いましたね。シャネルにエルメスと海外ブランドは一通り着たけれど、私はどれも普段着で着ていましたから。あれがなければ今ごろは億単位の現金が手元にあったんじゃないかというくらい(笑)」

 女優としての意識の高さはもちろん、華やかな装いは自身のポリシーゆえという。

「通帳を眺めながら年老いて死ぬか、それとも流行りのものをバンバン着ておしゃれをしながら今を生きるか。どちらの人生を選ぶかと考えたとき、生きている内は綺麗にしていたいと思って後者にしたの。化粧品も一番高いものを買うと決めています。これから先の人生長くはないし、そうそう減りもしないんだから、いいものを使わなくちゃね」

年齢を感じさせない美しさの理由

泉ピン子(撮影/近藤陽介)

 今年9月の誕生日で75歳を迎え、世に言う後期高齢者に仲間入り。だが肌は白くもちもちで、きめ細かさは驚くほど。手にはしみひとつ見当たらず、年齢を感じさせない美しさだ。これらは全て“投資”の成果だと話す。

「肌は若手の女優たちにも褒められるの。なぜなら若いうちから磨きをかけたもの。若いころの趣味はエステで、月に1回あるかないかのお休みの日はいつも自分磨きに使ってた。当時エステといえばメイ牛山さんか山野愛子さんだったから、お休みの度に毎回全身エステをしてもらって、脱毛にも通ってーー。

 でも最近はエステより鍼や整体などもっぱらメンテナンスよ。役者の友達に会うと、どの薬がいい、サポーターはこれがいい、腰痛がどうだのと、そんな話しかしないんだから。本当にこの物語と同じなのよ(笑)」

「あなたが死んだら死後離婚するからね」

 作中描かれるハナと岩造の関係は、まさに長年連れ添った理想の夫婦像だ。いつも華やかなハナに対し、夫の岩造は「お前は俺の自慢だよ」とテレもなく口にする。ところが岩造亡き後、愛人と隠し子がいたという衝撃の事実が発覚。初めて知る夫の真実に大きな衝撃を受けるも、泣き暮らすようなハナではない。

 愛人と隠し子の前で毅然とした態度を取り、亡き夫に対し「死後離婚」を突きつける。死後離婚とは配偶者の亡き後婚姻関係を終了させる手続きで、届出により相手方の血縁者との関係を断ち切ることができる。ある意味死後のリベンジで、

この言葉は本を読んで初めて知ったけど、痛快よね。結婚している女性なら誰でもその気持ちがわかるはず(笑)」と共感の思いを口にする。

「うちの夫に“今度こういう作品をやるの。原作読んでみて”って渡したら、“すごく面白いね!”だって。“あなたが死んだら死後離婚するからね!”と言ったら、“そうなの? でも僕はそのころにはもう死んじゃってるんだから別にいいよ”なんて言ってたけれど。

 夫との会話はまずそれ。本人は自分がしたことをすっかり忘れているんだから、いい気なものよね(笑)。本当にハナとはいろいろな部分で重なるの」

 ピン子自身、結婚6年目の'95年に夫に隠し子がいることが発覚。ワイドショーを大いに賑わせた。週刊誌のスクープを受け、急遽開いた会見には約100人の報道陣が殺到。詰めかけた記者の前で、「夫を許します」と涙をこぼした。実はあの“号泣会見”は脚本家・橋田壽賀子さんの肝入りだったと明かす。

「私が夫からもらったラブレターをいっぱい持っていって、“こんなに愛されてました”と言って泣いたけど、私も女優だから泣いてるうちに気持ちが入ってどんどん涙が出てきちゃった(笑)。女性たちの同情を集めるからと言われたけれど、まったく逆効果。後で考えるとバカみたいだし、今だったら絶対にあんなことしないわよね。でもあの当時は、芸能人が会見でそこまでしないと許されない時代だったから」

 当時の騒動は凄まじく、体重は38キロまで落ち、円形脱毛症も患った。しかしあれから27年の月日が経った今、

「もうずっと昔の話。気にしてたらこの仕事も受けてないわよ」と懐深く笑い飛ばす。

未だに受け入れられない“ママ”がいない世界

橋田壽賀子さん熱海の自宅にて(2018)

 昨年4月、“ママ”と呼び慕ってきた橋田壽賀子さんが急性リンパ腫のためこの世を去った。95歳だった。ピン子は熱海の橋田さん宅に駆けつけ、最期を看取っている。

「ママの足をずっとさすっていたら、ふと頭をあげて私のことをしっかり見たの。そしてそのままパタリと逝ってしまった。お手伝いさんたちが、やっぱりピン子さんなんだね、やっぱり特別なんだねって言ってくれましたね」

 橋田作品の看板女優として数々のドラマで主演を務め、ヒット作を次々世に送り出してきた。両者のタッグは40年以上にわたり、さらにこの先も新作の構想があったという。

「彼女はもっと生きると思ってたに違いありませんよ。だって90歳を過ぎてもまだ書きたい脚本があるって言っていたんだから。こんなに早く逝くとは思わなかった。

 嘘つきだったのは、エンディングノートを書いていなかったこと。書いてあるって言ってたくせに、どこ探してもないの(笑)。あの人は死ぬ気がなかったんだと思う

 異変を感じたのは、橋田が亡くなる2か月前のことだと、ピン子は振り返る。

「ママは字がとても綺麗な人だった。でも舞台に差し入れをしてくれたとき、手紙の文字が斜めになっていて。それを見たとき私の中でどこか予感めいたものがあった。涙が溢れて止まりませんでした」

 12年前熱海に家を持ったのも、橋田の熱烈な誘いがあったから。「今思うと、私が熱海に引っ越したのはママを見送るためだったんだな、って」とピン子は目を細める。そして公私共に深い付き合いを重ね、コロナ禍直前のクルーズが最後の旅行になった。

「ママは海が好きだったからクルーズ旅行はたくさんしたし、世界遺産はほとんど一緒に行きました。私が一緒に行ってないのは南極くらい。渡鬼の脚本を書き上げて、私に渡して自分だけさっさと行っちゃうんだからずるい(笑)。写真を見ると、本当にあちこち行ったんだなって思います」

 形見は橋田さんが愛用していたメガネ。「これ、ママが最期にかけていたものなの。度を変えて使っています」と常日ごろから身につけ、行動を共にする。本当の親子以上の関係だったと言える。その喪失感は大きく、1年以上経つ今もまだ受け入れ難いものがあると語る。

「今年の母の日、“そうだママに何を贈ろう”って思ったの。毎年いろいろ珍しいカーネーションを贈ってたから。でも贈れない。その辛さ、悲しさといったら……。

 いまだに地震がくると、“ママ大丈夫かな、電話しなきゃ!”って思っちゃう。地震の時いつも仏壇を押さえてたから(笑)」

死生観に大きな変化

 橋田さんの死に直面したことで、自身の死生観にも大きな変化があったという。

「ママの死からものすごく死について考えてる。熱海にお墓を建てたし、断捨離もして、菊田一夫賞も橋田賞も全部捨てちゃった(笑)。ママもそうだったけど、いつ死ぬかなんて誰にもわからないんだから、できることをしておかないと。私にできることは何だろうと考えたら、みなさんに喜んでもらえる作品を届けること。今回の作品にしてもそう。それしかないって思うんです」

 内館牧子との出会いも橋田さんを介してのこと。内館がまだ駆け出しで、橋田さんのもとで下積みをしていた時代の話だ。

「ママから“作家志望の子がいるのよ、彼女にインタビューに行かせるから”と言われ、NHKの大河ドラマ『いのち』の取材に来てくれたのが内館さんとの初めての出会い。

 彼女は私よりひとつ年下で、誕生日は1日違い。でもあの時は自分よりずっと年上だと思っていたんです。当時はまだ会社勤めで、すごくきちんとしてたし、大人でしたね。あれから大先生になっちゃって。この舞台が決まったとき、ママの墓前に“これに出るよ、原作は内館先生だよ”と報告しました。できれば舞台も観てほしかったけど」

 ピン子主演の舞台といえば、これまでは明治座や演舞場などいわゆる大舞台が常だったが、今回はより客席と距離の近い空間で2人きりの朗読劇に挑む。作中はハナをはじめ4~5役に扮し、その変幻自在な演技も大きな見どころだ。

「衣装は全て自前。気合い入ってます(笑)。見に来てくださるお客様との縁は一期一会だと思っていて、だからセリフを覚えるなんて基本。

 橋田作品では12ページ分のセリフを当たり前に喋っていたし、自慢じゃないけどNGを出したことは2度もありません。ただ朗読劇は私も初めてのことだから、村田さんにご迷惑をかけないようにしないといけない。そのためにもまずは自主トレから始めています」

 舞台は8月4日からだが、来年以降も引き続き上演を予定し、地方公演も含め計画が進んでいるという。

「内館先生の故郷の東北も行きたいし、地方もどんどん行って、あちこちの方に観てもらえたらと思っています。観に来てくださる方もきっと同じ歳くらい。どっちが先かみたいな感じで、冥土の土産に持って行ってもらえたら(笑」

 この朗読劇はピン子にとって新たなスタートとなる。感謝を口に、真摯な姿勢で舞台に臨む。

「私が今日あるのは全国のみなさんのおかげ。でもなかなか東京まで見に来てくださいと言うのは難しい。今まで応援していただいてありがとうございましたとお伝えする意味でも、こちらからあちこちへ出向いていきたいです。私でよければ元気をお届けしたいなと。女優の仕事は私の生きがいであり、これは私のライフワーク。本当に命をかける気持ちでいて、この先できる限り続けていけたらと思っています」

朗読劇『泉ピン子の「すぐ死ぬんだから」』

朗読劇『泉ピン子の「すぐ死ぬんだから」』

 ヒロインの忍ハナは78歳。家業の酒屋を息子夫婦に譲り、夫の岩造と共に仲睦まじく隠居生活を送っていた。ところがある時夫が急逝したことから、穏やかだった日々が大きく変わり始める―。 人生100年時代といわれる現代の“終活”劇を原作・内館牧子、台本/演出・笹部博司、作曲・宮川彬良と、最強の布陣をもって痛快かつ生き生きと描き出していく。

 8月4日より東京・池袋のあうるすぽっとを皮切りに、9都市22公演を予定。

<取材・文/小野寺悦子>