初代たま駅長

 動物たちの話題はいつでもほほえましいものです。かつて話題になった動物たちは、“今”どうしているのでしょうか。海外メディアにも取り上げられた猫駅長・たま駅長のその後を取材!

初代の遺志を継ぐ「継承猫」たちが!

 平成の猫ブーム、いわゆる“ネコノミクス”のきっかけになったともいわれる、和歌山電鐵貴志川線貴志駅の三毛猫駅長「たま」。たまが駅長に就任した背景をたどると、廃止の危機にひんしていた貴志川線を、南海電鉄から和歌山電鐵が事業継承した2006年までさかのぼる。

「事業継承の際に、路線や駅の敷地が公有地になりました。その中のひとつに、たまちゃんが飼われていた小屋があった。'06年4月1日の開業セレモニーの際に、飼い主の方が当社の小嶋光信社長に『猫たちを駅の中にすまわせてもらえないか』と直談判したことが始まりです」

 そう話すのは、和歌山電鐵を運営する両備グループ広報の山木慶子さん。たまの目を見た小嶋社長は、「社員の中にもこんなに目力があるものはめったにいない。目が合った瞬間、たまちゃんが自己申告したかのように、たまちゃんの駅長姿が浮かんだ」という。

 その直感は大当たりする。訓練を経て、'07年に無人駅である貴志駅に着任した駅長の凛々しい姿は瞬く間に多数のメディアで取り上げられ、「たま駅長」の名は知れ渡る。

 関西大学の宮本勝浩名誉教授の試算によれば、たま駅長の和歌山県への経済波及効果は約11億円。着任以前は、利用客数が年間200万人を割り込んでいたが大きく増加し、ピーク時('15年度)は232万人に。運賃収入だけの収益分岐点は年250万人。利用客数こそ惜しくも届かなかったが、海外のメディアも多数訪れるなど、たま駅長がもたらした影響力は計り知れない。

「社長面接」に合格して駅長に!

現在のニタマ駅長

「貴志川線沿線には神社が3つあり、この路線はもともとその神社を回るためにできた鉄道です。これだけ多くの人を集めたのは、たまちゃんが神社の神様の使いだからではないでしょうか」(山木さん)

 地方ローカル線の再生のシンボルとなった和歌山電鐵は、地域活性化の功績を残した。'15年、たまが没した際の社葬には、和歌山県知事をはじめとした公人、そしてファンら約3000人が集まった。

 現在、たまの遺志を引き継ぎ、“ニタマ”と“よんたま”の2匹の猫が貴志川線を盛り上げるべく、駅長として奮闘している。

「ニタマは、岡山県で保護され、その後、当社に『里親になってくれないか』と依頼があって預かることに。当社のねこ駅長訓練所に入所し、自ら仕事をする、爪をたてない、帽子をかぶるのを嫌がらないといった社長面接に合格し、今に至ります。名誉永久駅長のたまちゃんがいたからこそ、多くのつながりができました」(山木さん)

 '21年12月にデビューした新しいたま電車ミュージアム号を目当てに、今も多くのファンが訪れるという。

「たまちゃんのためにも、これからも工夫をして、和歌山電鐵の魅力を伝えていきたいですね」(山木さん)

【そのほかにも……あの動物たちの“その後”】

人面魚
1990年に一大ブームを巻き起こす。今も当時のように、善寳寺(山形県鶴岡市)の貝喰池で泳いでいる

ロシナンテ
『雷波少年』(日本テレビ系)のドロンズが挑戦した「南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイク」で人気者になったロバ。現在は、田中義剛が経営する北海道の花畑牧場で暮らしている

カッタくん
山口県宇部市のときわ公園で放し飼いにされていた、オスのモモイロペリカン。幼稚園児とのふれあいが印象的だった。'08年に死ぬものの、1羽の息子、6羽の娘、2羽の孫が

バブルス
故・マイケル・ジャクソンさんと共に暮らしていたことで知られるチンパンジー。現在は米フロリダ州の「Center for Great Apes」(大型類人猿センター)で余生を送っている

取材・文/我妻弘崇