松田聖子

「これは間違いなく売れる!」

 あるオーディションのために、200本近くのデモテープを聞いていた音楽プロデューサーの若松さんは、1本のテープを再生した途端、直感的に感じたという。

 その歌声の持ち主が、当時16歳の蒲池法子(かまち・のりこ)こと、のちの松田聖子だった。

歌声だけで才能を発掘

「週刊女性」秘蔵の、デビューしたての初々しい聖子。まだ笑顔にあどけなさが残る(1980年4月撮影)

 当時、CBS・ソニーに籍を置く新米の音楽プロデューサーだった若松氏。その歌を耳にした瞬間のことを本の中で次のように語っている。

全身全霊にショックを受けた。福岡県に住む16歳の歌声はどこまでも清々しく、のびのびとして力強かった。明るさとしなやかさと、ある種の知性を兼ね備えた唯一無二の響き。

 私は元来『直観』が鋭く自分の感覚を大切にして生きているが、そのときの衝撃はいまも忘れられない

 実は、歌のうまい人はほかにたくさんいたそうだが、聖子の歌は全然違った。

「理屈ではなく、その歌声は別格でしたね」

 だが、同僚のプロデューサーやスタッフらに聖子の歌声を聞いてもらうも、誰の反応も薄く、特段大きな評価は得られなかった。しかし自身の「直感力」から、“彼女は売れる”という思いは微塵も揺るがなかった。

 実はこのときのカセットテープには、写真もプロフィールもついていなかったという。歌声だけで「この子だ!」と決めた。

聖子の歌声が収録されている運命のカセットテープ

 その後、福岡に直接、聖子を訪ねていって本人と対面、「想像していたよりすごくいい!」と感じたという。

「紺色のワンピース姿で表れた聖子は、とにかく清楚な雰囲気でしたね。言葉数は多くも少なくもないんだけれど、分かりやすくてハッキリしている、そんな印象を受けました」

反対する父親の心を動かした聖子の“覚悟〟

若松さんが初めて福岡で会った時の印象に近いという、ワンピース姿の清楚な聖子(1980年6月撮影)

 聖子は、件のオーディションの九州大会で優勝を果たすが、父親の猛烈な反対にあい、本選への出場は辞退している。さらに、歌手デビューなんてもってのほかで、その道のりは険しかった。

「お父さんに直接お会いしたり、電話で説得したりしたけれど、ことごとくダメで、最後は電話もしてくれるな、とまで言われて……。

 初めて彼女の歌を聞いてから、お父さんの許しを得て、デビューするまで約2年かかりましたよ」

 そんな父親の心を動かしたのはなんだったのか。

私の、何が何でもデビューさせたいという気持ちと、聖子自身の覚悟がすごかったですね。中途半端な気持ちじゃなく、粘り強く自分の気持ちを貫くっていう覚悟がお父さんを変えたんでしょうね

 途中、聖子から若松氏のもとへデビューへの熱い気持ちをつづった手紙が届く。手紙を受け取るたび、若松さん自身も改めて奮起したという。

「全部で6通。彼女のまっすぐな人間性と、その時々の気持ちが強く伝わってきて、いまも大事に持ち続けています」

 その後、晴れてデビューを果たし、瞬く間にトップアイドルとして人気を不動のものにしていった聖子。

 彼女が多くの人に支持されたのはどんな素質からだったのだろう。若松氏がたびたび繰り返したのは聖子の“勘のよさ”。

今度の曲だから覚えてって渡すでしょう、でも多分あんまり練習してこなかったと思うんですよね(笑)。でも、むしろ、ぶっつけ本番が強い子だから、歌いこなしちゃうんだよね。一生懸命学習して学習して、覚えてっていうタイプじゃないの

デビュー時から変わらない聖子の価値観

松田聖子を発掘した音楽プロデューサーの若松宗雄さん

 実はそういったところも、スターの素質のひとつ、と若松さん。

「“まぁいいわ、どうにでもなれ”と開き直ることで、自分らしさが出るんですね。聖子に限らず、人よりも練習して覚えてってやっちゃうと、逆に売れないことのほうが多いんですよ。

 あとね、性格は歌にもろに出るんですね。だから、いくら歌がうまくて姿かたちがよくても、やっぱり性格が大事なんです。

 歌は娯楽だから、性格の中の娯楽性が高くないと。希望を感じる、勇気づけられる歌のためには、真面目じゃダメなんですね。聖子の歌が親しみやすいのは、聖子の心があってこそだと思います」

 また、もう一つ優れている点は彼女の素直さでサッパリとした気性。

「私が彼女をプロデュースした9年の間、聖子は常に私を信頼してくれ、クリエイションや、やる・やらないなどの大事な局面ではいつも私に託してくれましたね。

 人気が出て、彼女の周りは複雑になったけれど、そこはブレることがなかった」

 シングル、アルバムと、若松氏が用意した楽曲に意見したことは1度もなかったという。

「普通、売れてくるとそんな人はいないんです。特に私はきついことを言うし、歌に対しては怒ったりと厳しかったので、みんな売れると逃げていくんですが、聖子は一貫して私を信頼してくれていましたね」

 昨年、娘の沙也加さんを亡くすという不幸に見舞われながらも、4か月後にはステージへと復帰。聖子を突き動かしているものはなんなのだろう。

歌うことが、根っから好きなんですよね。それが聖子自身の人生、生きている意味っていうのかな。その価値観は、まわりの環境がどうあれ、ずっと貫かれる部分だと思います。

 歌手は人気商売なので、大衆の波動に振り回されたり影響を受けやすいものです。自分の心に波風を立てると苦しくなってしまうから。

 聖子も、たとえうまくいかないときがあっても、自分が何をやりたいのか、自分の気持ちに忠実に、これからも歌い続けていってほしい

お話を伺ったのは……

若松宗雄さん
○1940年生まれ。音楽プロデューサー。CBS・ソニーに在籍、1本のカセットテープから松田聖子を発掘。80年代後期までのシングルとアルバムを全てプロデュース。ソニー・ミュージックアーティスツ社長、会長を経てエスプロレコーズ代表。本書『松田聖子の誕生』(新潮社)が初の著書。
『松田聖子の誕生』16歳の少女がやがて社会現象になるまでの、デビューまでの道のりからスターになるまでの軌跡を、聖子を見出した伝説的プロデューサーが初めて語りつくす。後半は若松氏がプロデュースした各シングル・アルバムの制作秘話が。(若松宗雄著・902円/新潮社)※記事の中の写真をクリックするとAmazonの購入ページにジャンプします