路上や街中でのスケボーでトラブルが発生している(画像はイメージです)

 休日の豊洲。『SKATE AND DESTROY』という文字が大きく背中に描かれたTシャツを着た青年が、スケボーで駆け抜ける。“スケートと破壊”。これはスケボー雑誌『スラッシャー』のキャッチフレーズ。同誌は同名のアパレルブランドも持つ。

 青年が“スケボーによって何かを破壊”しているかは定かではないが、今その破壊行為が問題となっている。

オリンピックでスポーツとして注目された“スケボー”

 '21年の東京五輪にて、堀米雄斗、西矢椛がスケートボード種目で金メダルを獲得。この影響でスケボーは大流行しているが、マンションや公園の施設が傷つけられるなどの苦情が多発している。

'21年の東京五輪スケートボード競技で金メダルを獲得した(左から)堀米雄斗と西矢椛

「江東区のタワーマンションや公園の被害が大きい。今年3月、江東区のマンションでスケーターが敷地内に侵入。居住者が諭したところ口論になり、暴力事件にまで発展、警察が出動する事態となりました」(社会部記者)

 江東区のタワマンに暮らす男性はスケボー被害を語る。

「設備が傷つけられたら、修繕費は管理組合の積み立てから出します。騒音やゴミのポイ捨てもある。壊れたスケボーが置き去りにされていたり。注意した際、逆に悪態をつかれた人もいます」

 また、江東区のマンションに暮らす別の男性も、

「スケーターは昼よりも夜になって集まってくる印象です。当然マンションには警備員さんがいて見回りをしているのですが、注意してもやめない。または注意されていなくなるけど、また時間を置いてやってきたり」

 一児の母は、江東区の公園近辺も怖いと話す。

マンション周辺だけでなく、豊洲駅からスケートボード場まで移動するため、歩道をスケボーで走っていく人も少なくないです。1人でゆっくり通ってくれればそれほど心配はないですが、スピードを出していたり、複数人いたりすると怖い。子どもがたくさん遊んでいる公園の近くを通っていくので……

公共物を破損、注意すると“逆ギレ”

 被害は当然ながら江東区だけではない。都内でスケボー被害に遭っているマンションの住民らに話を聞くと……。

共有のベンチは角などが削れたり、割れてしまっています。ただ座っていただけで、こんな傷が出来るわけがない。いくら金メダリストが活躍したって、こういう人がいなくならない限り、スケボーが市民権を得ることはないと思います

豊洲の川沿いにあるベンチ。板上はスケボー車輪跡。削られた傷も残る

「うちのマンションは花壇がスケボーによって傷だらけになりました。“スケボー禁止”のはり紙をたくさん貼って、花壇付近に気づきやすい防犯カメラを付けたことでいなくなりました。正直はり紙がたくさん貼ってあるのは見た目的に良くないと思いますが、しょうがないですね……」

ベンチなどに板を乗せたときの“滑り”を良くするために、ロウか油のようなものを塗っているようなのですが、傷がつくだけでなく、それで汚れてしまったことが非常に腹立たしいです

一度スケボーとぶつかりそうになったとき、謝るどころか、“邪魔だよ”などと言われました。マンションの管理組合からは、下手に注意などをするとさらにトラブルになるかもしれないので、“注意せずに110番と管理組合へ連絡してください”と言われています」

 これらのような破壊行為は当然、罪だ

他人の物を損壊したとして器物損壊罪が成立します。ただし、建造物自体や、建造物から容易に取り外せないなど、建造物にとって重要な物を損壊した場合には、より重い建造物損壊罪が成立する可能性も

 そう話すのは杉並総合法律事務所の三浦佑哉弁護士。7月のある夜、豊洲で滑っていた少年に話を聞いた。

「このへん滑りやすいんで。(傷つけていることについて)いや〜スケボーってそういうもんっていうか……」

 罪の意識はない。

専用施設は“効果なし”

豊洲ゴミ拾いでたびたび発見されるスケボー(三戸区議、撮影・提供)

「一部のスケーターは、社会のルールには従わないストリートスタイルをモットーとしており、注意喚起を行っても、警察に通報しても、効果がありません。

 そして世間はルールやマナーを順守している人も含めて『スケーター』と同一視しているので、スケーターを見ると“迷惑行為をする反社会的な人々”というイメージを抱かれやすいのも問題と感じます」

 そう話すのは、スケボー問題に取り組んでいる江東区区議会議員の三戸安弥(さんのへ・あや)さん。

 スケボーには『パーク』と呼ばれる専用施設がある。五輪以降、パークは全国各地で増加中。“パークだけでやってくれ”という声は多い。

「個人的には“パークがあれば路上スケーターが減る”とは思えません。スケートボードができる場所があるにもかかわらず、施設付近にあるマンション敷地内や公園でのマナー違反報告が後を絶ちません。

 パークを建設することによってそれまで街で滑っていた層の一部がパークに行くでしょうから、一定の効果はあるでしょう。しかし、あくまでも街中の障害物で技を決めることを“良し”としている元来のスケーターに対し居場所をつくったところで効果は期待できません」(三戸さん、以下同)

スケートボードパークを設置しても効果は薄い(画像はイメージです)

 道路交通法において《交通のひんぱんな道路》でのスケボーは禁止されているが、“ひんぱん”とはどの程度か。定義は曖昧といえる。

「現行法上では交通事故を未然に防ぐ取り締まりを、これ以上警察に期待することは厳しいのではないかと感じております。しかしながら、器物損壊という観点で見ると、これは明らかに区民の財産が傷つけられている行為だといえるため、警察と地域とで協力して、徹底的に取り締まる必要があると考えます」

 三戸さんは「スケボーをすること自体を悪とは考えておりません」と話す。

「スケーターの皆さま全体が他者を思いやる気持ちを今よりも強く持っていただき、スケートボードがスポーツ競技として区民から歓迎される状況になることを、心から望んでいます」

 “思いやり”。この言葉は別の取材先でも聞こえた。ほかならぬスケーターからだ。

「スケーターは“空気を読む”必要があります。社会における自分の立ち位置という空気を読む。“これをやったら人に害を及ぼす”という空気の読み方、それはすなわち思いやりということです」

 そう話すのはプロスケーターの森田貴宏さん。スケーターとして現役で活動しつつ、映像制作、ショップ経営、中野区のスケートパーク建設に携わるなど、広く日本のスケボー文化の振興に取り組む。

 森田さんのスケボーの“現場”はストリート。キャリアは35年だ。近所の人に「うるさい」と怒られるなど、否定との戦いだった。しかし、その過程でトラブルを回避する方法を模索し続けた。

スケーターが歓迎される世の中を目指すために

「街で滑るには必要な礼儀作法がある。人に“不快感”を与えないということです」

 森田さんは騒音が少なくなる柔らかいウィール(車輪)を使い、また騒音が出るようなトリック(技)はやめている。歩行者のいる歩道は滑らない。

 車道では、右左折や止まる際に手信号、また言葉で伝える。夜はスケボーの前後にライトを付けるなど、さまざまな対策をとっている。現在、豊洲を中心に街の施設の至るところに“スケボー禁止”が掲げられている。

豊洲のタワマンや公園には至るところに「スケボー禁止」が掲げられる。しかし、同じく傷跡も至るところに……

「僕はスケーターには、この状況をマイナスに思うな、悲観するなと言いたい。なんで怒られるか? その問題と向き合う機会を与えられているんだから、その状況も頭を使って、スケボーらしく、全力で楽しめって思います。

 自分たちなりに考えて、人に迷惑をかけない“答え”を探す。あくまでもスケボーは遊びです。楽しみを一番の目的にしている以上、どんな状況でもその楽しさに対し、社会に対しても真摯な姿勢が必要とされるのだと思います」

 スケボーはとかく“自由”と語られる。何にも縛られず、街を自由に滑る……。

「自由といっても、僕たちがいることで他人の自由を奪っているのなら、それはスケボーという遊びの本来の目的とは大きくズレが生じている証拠です。本当の自由を謳歌したいなら、まず人を思いやらなければならない」

 森田さんはスケーターが歓迎される世の中を目指す。

「僕はこれまで数十回の骨折の経験から、応急処置が自分でできます。例えば交通事故が起こったとき、警察が来る前に何をしたらいいかがわかる。さらに交通渋滞が起こらないように車が動くなら移動させるとか、手信号が必要な状況であればやる。

 街で起こるハプニングに対応できる能力をストリートにいるスケーターたちが持っていれば、遊びながらパトロールしていることになる。僕たちスケーターでも街に貢献することは絶対に可能だと思うのです」

 人気の一方で今、スケーターは“邪魔者”にもなってしまっている。

「立場が弱いということは同じく社会的に立場の弱い人の気持ちがわかるということでもある。思いやりを持って、街で困っている人がいれば助ける、味方になるような存在にスケーターが成長していってほしいと思います」

 自由や権利というものは、なんらかの責任や義務を果たして初めて得られるもののはず。冒頭の『破壊』という言葉には、“既存の慣習や考え方を壊す”という概念も含まれている。世界にスケボーを広めた専門誌の考えは単純なる破壊行為では決してない。