梅宮アンナ

「アンナさんなら、もうここには住んでいませんよ。いい買い手が見つかったとかで、喜んでいました。6月27日か28日だったかな。近所で仲がよかった人には母のクラウディアさんと一緒に引っ越しの挨拶をしたようですが、“父が大事にしていた家を、できる限り守っていきたい”なんてあんなに語っていたのにね。アッサリしたもんですよ……」(近所住民のひとり)

“漬物御殿”と呼ばれていた

 神奈川県南西部にある真鶴─。太平洋に続く相模湾を一望できる小さな町。その山間にある4階建ての真っ白で瀟洒な家。昭和の銀幕スター・梅宮辰夫さんが'19年12月に息を引き取った場所だ。

「梅宮さんは、東京の渋谷区松濤のマンションに40年近く住んでおり、真鶴の家は別荘でした。'16年に十二指腸乳頭部がんを発病して、十二指腸と胆嚢を全摘出。闘病生活が始まったことで、悩んだ末、より高値で売れる松濤のマンションを売却したのです。真鶴を“終の棲家”にすると決めて」(ワイドショーデスク)

 子どものころから釣りが趣味だった梅宮さんは、'91年に真鶴の地に別荘を建てた。

「山の斜面に沿って建てられており、素晴らしい景色が眺められます。バブル期でしたから、建物だけで1億円を超えていたそう。梅宮さんが漬物のチェーン販売で成功したお金を注ぎ込んだ別荘だから、地元の人は“漬物御殿”なんて呼んでいました」(地元の不動産業者)

 毎年夏になると、家族で滞在。真鶴の隣町・湯河原の焼き鳥店『鳥助』の宗政広明さんは、梅宮さんと一緒に過ごした日々を懐かしむ。

「地元の仲間たちで“梅辰会”なんて名前をつけて、梅宮さんを囲んでよく飲みました。真鶴の自宅にも、みんなでお邪魔しましたよ。忘れられないのは、亡くなる2年前に“いつまで俺のことを梅宮さんって呼ぶんだ、それをやめろ”って言われたこと。それで男たちは“オヤジ”と、女性は“お兄ちゃん”とか“パパ”って呼ぶようになってね」

「Uber Eatsないじゃん。無理無理無理」

 そんな地元民に愛された父の思い入れのある家に、娘の梅宮アンナが住むことに。
自身のインスタグラムで高らかに宣言したのは、'21年9月30日のこと。

《父が大事にしていたこの家を完全に引き継ぐ事に至り、私自身、東京を離れる事になりました》

 梅宮さんが亡くなった当初は、売却も考えていた。購入希望者に内覧させたこともあったが、母と住んでみて、考えが変わったという。昨年12月のWEBサイトのインタビューで、真鶴生活の素晴らしさについて、こう熱弁していた。

《せっかくここに住んでるんだから、半径10キロや20キロになにがあるのかを知りたいなと思って探索していて。いまは、それが楽しい。ここから車で30分くらいで、箱根に行けちゃうし、美味しいご飯屋さんもあったりする》

《朝がくると「ここって、素晴らしいなぁ」と毎日思います。最初のうちは、すぐに飽きるかなと思ってたんですけどね》

 東京を離れることを決断し、クルマも湘南ナンバーに変えた。アンナの個人事務所の登記には、昨年10月に代表取締役・梅宮アンナの住所も真鶴に移転している。

'18年、真鶴の自宅前で梅宮辰夫さんは「山城新伍も渡瀬恒彦も菅原文太も、親友は全員死んじゃった」と語っていた

 ただ、同じインタビューで田舎の不便さにも触れていた。

《最初は「Uber Eatsないじゃん。無理無理無理」ってなってました。ピザ屋さんが1軒あるくらいで。やっぱり、東京で生まれて育ってたから、そうなっちゃう》

 暮らしてみると、プラスよりマイナスの要素を強く感じるようになったのか。ただ、そうはいっても、住み始めてから1年もたっていない。

気になる売却価格

「アンナさんはマラソンに夢中になっていたころ、無謀といわれる過酷なレースに挑戦したことがあります。アフリカ大陸のサハラ砂漠を7日間かけて250キロメートル走るという大会で、専属トレーナーをつけて、何か月も前からトレーニングに勤しんで。自分の心を鍛えて、いかに自分が恵まれた環境にいるかを実感したい、と意気込んだのですが、初日でリタイアして帰国……、なんてことがありました」(スポーツ紙記者)

 仕事のある都心と自宅の真鶴を行き来する距離にも、アンナは疲れてしまったのか。

「たしかに、アンナさんは真鶴を気に入っていたし、梅宮さんの思いも詰まった家だから手放したくはなかったんです。でも、都心まで車で1時間半から2時間かかる。道路工事をやっていたりすると、その倍かかることもあって。なによりクラウディアさんが、都会と比べて生活するのが大変だと訴えており、年齢的に自動車の運転を止められているから、昼間はずっと家にこもるだけで、つらそうだったとか」(梅宮家の知人)

 売却を決めたが、そのままでは売り物にならないこともわかった。

'20年2月、家族3人で出演したフジテレビ系『ボクらの時代』。梅宮アンナの娘・百々果さんは現在、アメリカ留学中

「内装が、かなり傷んでいたんです。リフォームしていましたが、コロナ禍で、タイルとか壁紙だとかが手に入らず、やっと8割方が終わったところで、新しい買い手がリフォームを引き継ぐことになったそう」(同・知人)

 思い出の家は、どのぐらいの価格で売れたのか。

「不便な場所だし、建物も古い。4階建てだけどエレベーターはない。階段は急で、お年寄りには向かない物件です。ただ、あの場所は海が一望できて景色は最高。価格は、ほぼ景色代と言ってもいい。古いとはいえ鉄筋ですから、4000万円台から5000万円台でしょうね」(前出・地元の不動産業者)

 パパとの思い出は大切だけど、都心の便利な生活も捨てがたかった……。

 
大きな「辰」の字が彫られた梅宮辰夫の墓(梅宮アンナインスタグラムより)  
梅宮アンナと故・梅宮辰夫さん、楽屋にて(1982年2月22日)
梅宮アンナと故・梅宮辰夫さん、楽屋にて(1982年2月22日)

 

 

 

子煩悩ぶりが伝わってくる一枚(1982年2月22日撮影)
梅宮アンナと故・梅宮辰夫さん、楽屋にて(1982年2月22日)
一緒にいた妻が「そんなこと言っちゃダメ」というのを制して週刊女性に語った梅宮辰夫
梅宮辰夫さん ('74年撮影)