『全国高等学校総合文化祭』の書道部門を秋篠宮ご夫妻とともにご鑑賞(8月2日・台東区)

「墨の調整はどうするのですか?」

 7月31日から8月4日にかけて都内で行われた『全国高等学校総合文化祭』。
高校生活で初の夏休みを迎えられた悠仁さまは、秋篠宮ご夫妻とともに書道展をご覧になり、案内人を務めた女子高生にそう尋ねられた。

悠仁さまが「すごい!」と驚かれた作品

「“総文(そうぶん)”とも呼ばれるこの行事は“文化部のインターハイ”とも言われています。開催地は各都道府県の持ち回り。46回目となる今回は東京で行われました。秋篠宮ご夫妻と悠仁さまは、3日間かけて複数の会場を巡り、出場した高校生たちによる展示やパフォーマンスを鑑賞されました」(皇室担当記者)

 '07年以来、『総文』に毎年出席されている秋篠宮ご夫妻。過去には眞子さんや佳子さまも同行された。

「おふたりとも、それぞれ高校3年間“皆勤賞”で出席し、ご卒業後にも姉妹で代わる代わる足を運ばれています。秋篠宮家にとっては“通過儀礼”ともいうべき思い入れの強い行事なのです」(同・前)

 悠仁さまは'20年、コロナ禍の影響で特例的にオンライン開催となった同行事を、ご両親とともにお住まいから視聴されたものの、実際に会場を訪れるのは今回が初めて。

「47回目となる来年で、開催地は“都道府県を一周”することになります。悠仁さまの高校進学と東京開催が重なったのは、ちょうどよいタイミングでした。各会場は秋篠宮邸からのアクセスがよく、限りある日程でより多くの展示を確実に鑑賞できましたし、記憶と記録に残る“地元開催”になったとお見受けします」(皇室ジャーナリスト)

 悠仁さまが対面での公務をされるのは'19年12月ぶり。

「初日は、開会式の後に東京駅前で行われたパレードをご視察。マーチングバンドなどにお手振りされました。翌々日には『小倉百人一首かるた』のトーナメントをご覧になった後、芸術作品をご鑑賞。

 角度によって見え方が変わる美術作品をご覧になった悠仁さまは“すごい!”と驚かれたそうです。最終日はバンドの演奏や合唱を楽しまれ、同年代の活躍に心を動かされたご様子でした」(同・前)

 皇室制度に詳しい『静岡福祉大学』の小田部雄次名誉教授は、皇室と芸術のつながりについて、こう解説する。

「古来、天皇家は日本の文化や芸術の継承者としての役割を果たしてきました。皇族や公家でも、書や和歌、学問に関わる家業を担い、今日までその流れが続いています。
年始に『歌会始(うたかいはじめ)の儀』や『講書始(こうしょはじめ)の儀』が行われるのは、天皇にそうした素養が求められているとともに、日本国家を代表する文化として位置づけられているからです」

これまでずっと男女共学

 若い創造力が結集された『総文』に悠仁さまが臨まれることは、大きな意味を持つ。宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司さんが言う。

「皇室の在り方は、国民の考え方に合わせて自然と移り変わります。“国民”といっても、赤ん坊からお年寄りまでさまざまですが、いずれ即位される悠仁親王殿下にとっては、同じ時代をより長く生きる同年代の考え方が最も影響を及ぼすでしょう。同年代の価値観に触れ、交流を図る経験は非常に大切なのです」

 天皇陛下(当時皇太子)は'99年の誕生日会見で次のように述べられている。

「同世代の方々との交流も非常に大切にしていきたいと思っています。(中略)私と同世代の方々がいったい皇室に対してどのようなことを考えておられるか、どのようなことを期待しておられるか、そのようなことが少しでもわかればと思っています」――

 前出の山下さんは続ける。

「上皇・上皇后両陛下は、3人のお子さま方がまだ幼いころから、沖縄や北海道と本土をつなぐ『豆記者』やボーイスカウトなど、小中学生との交流の機会を頻繁に設けておられました。そうした姿勢が、悠仁親王殿下にも脈々と受け継がれていると感じます」

'10年、宮崎県での『総文』に出席された秋篠宮ご夫妻と高1の佳子さま

 高校生として初の夏休みを満喫し、着々と“天皇への道”を歩まれている悠仁さま。

「これまでの皇位継承者と異なるのが、幼稚園から今に至るまで一貫して男女共学に通われている点。上皇さまや天皇陛下、父の秋篠宮さまは男子高である『学習院高等科』で青春時代を過ごされました。

 皇室に限らず、男子校・女子校出身者は、異性との交流に慣れていないケースも少なくありません。その点、男女分け隔てなく交流されてきた悠仁さまのコミュニケーション能力には、大いに期待できるのです」(宮内庁OB)

“お妃選び”はすでに始まっている

 同年代と交流する機会を増やす中、来たる“お相手問題”に早くも関心が集まる。

「悠仁さまの“お相手”になれば、国民の視線を常に浴びることになるのは間違いないでしょう。そのハードルを乗り越えてまで“未来の天皇”と恋愛できる方は、果たして存在するのか……」(宮内庁関係者)

 これまでも天皇となられる方のお相手選びは難航した。

「候補者が複数人いても、結婚の実現は容易(たやす)くありません。天皇陛下が雅子さまと結婚されたのは33歳のときでした」(小田部教授、以下同)

 弟宮で、皇位の継承とは縁遠かった秋篠宮さまは、学生時代に出会った紀子さまと自由恋愛をし、25歳でご結婚。

「ご自身の経験を踏まえ、眞子さんと小室圭さんの恋愛を否定することはなかったという秋篠宮さまですが、結果的に手放しで結婚を認めることができないほどの大きな問題に発展しました。将来、皇后となる悠仁さまのお相手には、国民から敬愛されることが必須であり、ご本人の恋愛感情だけでは突き進めないと思います」

 かつて『失声症』を患(わずら)った美智子さまや、『適応障害』の療養にあたる雅子さまのように、皇室に“入る”重圧は計り知れない。

‘93年1月、当時の皇太子さまのお妃として雅子さまが内定した皇室会議

「両陛下や秋篠宮ご夫妻と同様、悠仁さまの結婚は、皇室会議を経て正式に決定されます。会議ではお相手に関する資料が必要になるため、入念な身辺調査も行われるはず。
小室さん夫妻のように、国民の理解を得られたとは言い難い結婚になっては、皇室制度の将来を揺るがしかねませんからね」(宮内庁関係者、以下同)

 とはいえ、15歳の悠仁さまに結婚話が上がるのは躁急にも思えるが……。

「候補者は1人でも多いに越したことはなく、悠仁さまの“お妃選び”はすでに始まっています。“自由主義”の秋篠宮さまが、お見合いのような場をセッティングすることは今後も考えづらいため、ご学友はもちろん、公務やレセプションなどの“きっかけ”を、周囲の人々が慎重に見計らっているようです」

 未来の天皇に訪れるロマンスに“失敗”は許されない――。


小田部雄次 静岡福祉大学名誉教授。日本近現代皇室史を専門とし、『皇室と学問 昭和天皇の粘菌学から秋篠宮の鳥学まで』(星海社新書)など著書多数

山下晋司 皇室ジャーナリスト。23年間の宮内庁勤務の後、出版社役員を経て独立。書籍やテレビ番組の監修、執筆、講演などを行っている