体重測定も「儀式」のひとつ。本人いわく「自己満足であり、自傷行為」だと。最低体重は24キロだ。写真は宝泉薫氏提供

「痩せているという快感ほど、おいしい味はない」

 英国のモデル、ケイト・モスが広めた言葉です。彼女はこれによって、批判も浴びました。その体形や美学に憧れ、ダイエットした人が摂食障害になる危険があるというわけです。

 ただ、ダイエットをしなくても摂食障害になる人はいます。それに、痩せることをめぐる健康と病気の境界は曖昧。痩せていれば得をする、というイメージを今は多くの人が抱いています。

“痩せ姫”とは

 そんななか、

「ダイエットは明日から、とか私の辞書にはありません。365日年中無休だからね」

 と、ダイエットにのめり込む人がいます。かと思えば、

「ダイエットの知識がないから摂食になったと言われるけど、そういう知識なんて死ぬほど持ってるよ」

 と言う人もいます。

 痩せにこだわるあまり、成功や失敗を重ね、健康と病気のはざまで葛藤する人たち。筆者が「痩せ姫」と呼ぶのはもっぱらそういう人たちです。

 その葛藤は、さまざまな気づきをもたらします。そんな人たちの言葉に、ちょっと耳を傾けてみませんか。なかには極端に思えるものもあるかもしれませんが、そこには痩せと付き合うためのヒントも隠されているはずですから。

食事は少なく長く不自由に、が極意

ネットでは有名な海外の痩せ姫画像。浮き出た肩甲骨は「天使の羽」とも呼ばれ、憧れの対象に

 痩せ姫がよく使う言葉に「許可食」があります。食べてもいいものという意味で、太りにくい食材が挙がります。例えば、

「ピザ食べてる友人の隣でサラダだけ食べる。これが努力」

「お菓子もらっても、ありがた迷惑。いつも食べずに持ち帰って、家にたまっています」

 と言う人たちの場合、ピザやお菓子は許可食ではないわけです。

 また、低カロリーの野菜やゼロカロリーのゼリー、ブラックコーヒーなどが許可食だとして、

「今までありがとう、さようなら炭水化物」

 と、宣言する人も。

 その一方で、タンパク質やビタミン、ミネラルなどはなるべくとるという人もいます。食べるスピードも重要で、

「豆乳を20分、りんご半分を30分、昼食には50分かけてる」

「おやつには、アーモンドやレーズンを数粒、リスみたいにゆっくり食べてる」

 などといった工夫がされます。なかには、

「左手を使うなどして、食事をはかどらなくする」

 と言う人も。少量の食事で満足するには、食事の長さが肝心なようです。さらには、

「ウエストをベルトでギュウギュウに締めつける。食事の代わりにウエスト締め」

 そんな方法で、強制的に食事抜き状態をつくり出す人も。彼女はこれで、ウエストを極細にしました。

 こうした感覚がエスカレートしていくと、

「かき氷は人間がとりあえず生きるのに必要な水分と糖分を摂取できる素晴らしい食べ物」

「白湯が甘い。花の蜜のよう」

「薬の糖衣錠のカロリーが気になり、リップクリームさえ塗れません」

 といった境地にも達したりします。こうなると、健康を害する危険も高まりますが、どのあたりから危険なのかは一概には言えず、また、人それぞれでしょう。

白米が蛆に見える「痩せ姫」たち

 ただ、ひとつの目安はあります。許可食以外への拒否感が強まり、許可食そのものがほとんどなくなってしまうという変化です。

 その変化を象徴的に描いたのが、今年5月に発表された渡辺優の小説『Mさん』。痩せさせてくれるという幽霊を信じた女子中学生が主人公です。彼女は幽霊のおかげで、太りやすい食べ物には虫がわいているように見えるようになり、ダイエットに成功。ところが、しだいにほとんどの食べ物に虫が見え始めて─という物語です。

 この小説はホラーですが、現実でも同じようなことが起きます。ある人は「拒食のころ、白米が蛆に見えた」と言いますし、またある人は、食べ物をゴキブリや毒にたとえました。

「汚いし怖いもの。私の場合はゴキブリというか毒だった。これを食べたら死ぬ、って本気で思ってた」

 とはいえ本来、痩せ姫が志向するダイエットは世間で健康的とされるそれと地続きです。最初に述べたように、健康と病気の境界は曖昧。ほどほどにうまくやるのは難しい、という意味で、痩せることは生きることにも似ています。

大食い女子も一時的拒食もありえない

 テレビのバラエティーなどでは「大食い女子」がちょくちょく取り上げられます。そのなかには、大食いぶりを動画で公開して人気を得ている人も。そんな人たちの多くは、標準もしくはそれよりも細い体形です。

 そのギャップもまた、注目につながるわけですが、痩せ姫たちからはこんな声も上がっています。

「痩せの大食いって実在しないよね」

 また、大食い女子が太らない理由について、トイレの回数が多いといった消化機能の特異体質として説明されることもあります。これについては、

「もしかして、お仲間?」

 という声が。トイレで吐いているのでは、というわけです。

 もちろん、特異体質の人だっていないわけではないはずですが、彼女たちにはなかなかそうは思えません。それは人一倍、食べれば太る、食べなければ(あるいは、吐けば)痩せるという現実を経験しているからでしょう。

 なお、大食い女子のなかには、オンオフを切り替えるように、少食の期間も設けてバランスをとる人もいるようです。ただ、拒食から過食を経て拒食に戻った人がこんなことを言いました。

「過食からかなり離れたように思うけど、見えないだけですぐそばにあるものだから、怖いです」

 また、こう嘆く人も。

「冷蔵庫に飲み物1本しまいに行っただけのはずが……アイス1本食べて帰ってきてしまった」

 この感覚がわかる人なら、過食と拒食、大食いと少食の切り替えの難しさも想像できるはずです。

痩せることは生きること

 まして、痩せ姫の場合は「痩せることは生きること」という状況なので、太ることは「人間失格」レベルのつらさを生じさせます。自分の食欲という「見えないもの」との戦い。不安と恐怖におびえる日々です。

 それゆえ、指や腹筋、チューブなどを使って吐いたり、噛むだけで飲み込まないというチューイングをしたりする人も。

「リセットされた気分になれる下剤は、痛みさえも幸福に感じる」

「薬局で買った下剤に利尿剤に痩せ薬。宝物の詰まったバッグを抱えているようでうれしくてたまらない」

 などと、安心を口にしたりもします。

 さらには運動、例えば1日10キロ以上も歩くような過活動にハマる人も。そこまでしないと、怖くて仕方ないのです。

 痩せ姫いわく「摂食は果てしない儀式の始まり」「極端な偏食と極端な行動パターンのルーティン」というわけです。

 しかし、長年かけて培われた体形を変えるには同じことをしていては無理。痩せ姫の場合、やりすぎにも見えるでしょうが、それは痩せることの目的が違うからです。

 世間的に理解されやすいのは、きれいになるため、というものでしょう。彼女たちのなかにも、

「女の子のための服屋さんのワンサイズが入らないなんて、女の子として生きる権利がない」

 などと言ったり、骨格と見た目の関係について詳しくなったりする人はいます。ただ、それ以上に、これは美容ではなく、生き方の問題だったりするのです。

「今の自分を保つには過食嘔吐が必要。生きるために私は吐くの」

「生死ギリギリ、フラフラの極限状態が心地よくて」

 この感覚はなかなか代弁しにくいのですが、痩せ姫には自己実現の挫折や人間関係のつまずきによって深刻な生きづらさを抱えている傾向が目立ちます。その生きづらさが、痩せに没頭することでまぎらわせるというわけです。それはけっして、無駄ではなく、本人には必要なものです。

 しかも、そこからダイエットについてのシンプルなコツも見つかります。

「摂取カロリー<消費カロリーを貫いていたら、停滞していた体重が減り始めた」

「短期間でぐっと減らした方は過食になっている。ずーっと痩せ姫体形を維持してる方は何年という長い期間で減量している」

 といったものです。とはいえ、その実践はなかなか難しく、痩せ姫の葛藤は続くのですが─。それとともに、さまざまな気づきももたらされるのです。

 食と体形という現代的なテーマの最前線で葛藤する人たちから、生み出される金言の数々。痩せ姫のSNSなどには、そういうものがあふれています。もしかしたらそれは専門家の書いたダイエット本以上に、痩せることと生きることについての参考にもなるかもしれません。

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<取材・文/宝泉 薫>