大原麗子さん (享年62)

 ドラマ『六本木クラス』が右肩上がりの人気! 新(竹内涼真)による長屋会長(香川照之)への復讐に期待が高まるなか、物語の舞台・六本木の歴史をたどってみると……魑魅魍魎。

 戦前は陸軍の街だった六本木は戦後、駐留するアメリカ軍の街へと様変わり。各国の大使館も近くに置かれたこともあり、外国人が多く集うように。そんな '60年、まだ珍しかった本格高級イタリアン『キャンティ』がオープン。当時の日本にはないオシャレさで、ヨーロッパのサロンのような自由闊達な雰囲気だったという。

三島由紀夫さんや岡本太郎さんといった文化人や財界人も多数通っていて。さらには感度の高い、富裕層の子女も集いました。いわゆる“六本木野獣会”です

 芸能レポーターの石川敏男さんは、そう当時を振り返る。リーダーは田辺靖雄、メンバーには(デビュー前の)峰岸徹さん、中尾彬、大原麗子さん、小川知子、井上順、ムッシュかまやつさん、ミッキー・カーチスら。さらにはメンバーではないものの、加賀まりこや安井かずみさん、荒井由実(現・松任谷由実)なども常連だった。

小川知子(1975年)

“スクエアビル”に通っていた香川照之

「峰岸さんは東宝にスカウトされるなど、多くがこの店で芸能関係者の目に留まってデビューしていきました。また石津謙介さんがアイビールックの『VAN』を六本木から流行させたこともオシャレ度をアップさせたんじゃないですか」(石川さん)

 外国人向けの深夜営業レストランが少なくなかった六本木。その流れをくみ(ホステスが接待をする)クラブが増え始め、夜の街のイメージが色濃く。さらにはディスコ文化の花が咲く。芸能ジャーナリストの佐々木博之さんは、

「初めて六本木に行ったのは '70年代後半。当時の夜の六本木はファッション誌から抜け出てきたような格好の人が多く、学生だった私には街全体に“ドレスコード”があるように感じました(笑)。六本木ディスコの最盛期は『トゥーリア』ができたころでは?」

“六本木ディスコ照明落下事故”( '88年)の現場は同店だ。また香川照之はメディアのインタビューで大学卒業後は“スクエアビル”に通っていたと話している。

スクエアビルは地下から10階まで全階ディスコ。日本初の会員制ディスコ『キャッセル』や『キサナドゥ』、ドレスコードがあった『ザ・ビー』などがあり、どの店も客で溢れていました」(佐々木さん、以下同)

キャッチも増え、街全体が汚れていった

 佐々木さんが『FRIDAY』の記者になったのは '86年。

「創刊2年目で、芸能人はまだそれほど警戒心がなかったのか、1晩で3〜4組の芸能人カップルを見つけたこともありました(笑)。高級クラブに行けば加藤茶さん、志村けんさん、明石家さんまさん、ジャニーズタレント、川合俊一さん、野球選手やサッカー選手はゴロゴロいました。松本人志さんや今田耕司さん、山崎邦正(現・月亭方正)さんもよく見かけました。本当に多くの芸能人が六本木で遊んでいましたね

志村けんさん

 アン・ルイスや荻野目洋子、とんねるずが六本木界隈を歌ったのも '80年代半ば。しかし、

'90年代に入ると、新宿で“おっパブ”などのセクシーキャバクラが流行り出し、その波は六本木にも。それまで外国映画で見るような水着姿の女性がポールダンスをする店はあっても、“お下劣”な店はありませんでした。キャッチも増え、街全体が汚れていく感じがしました

 その後、 '03年に六本木ヒルズがオープン。堀江貴文に代表される“ヒルズ族”が取り沙汰されるように。また芸能ニュースとして衝撃的だった“押尾学事件”は '09年、“市川海老蔵暴行事件”は '10年のこと。

「六本木はお金を生む街ですから“反社”も集まります。オシャレで特別感のあった六本木も、今ではずいぶん雑多で、普通の歓楽街になっちゃったという感じがします。それが嫌で、遊び場を池尻などの別エリアに移す芸能人も出てきましたが、それでも六本木が“芸能人が集う街”であることに変わりはないです」

 
大原麗子さん (享年62)

 

 

加賀まりこ (1965年)

 

小川知子(1975年)

 

若き日の荻野目洋子