三遊亭円楽さん

「ちょっと気になることを最近、聞いたばかりなんです。今年1月から脳梗塞で長期入院し闘病していましたが、その間、以前から患っていた肺がんの治療ができなかったみたいで。8月末に再び入院した際、事務所は肺炎だと発表していましたが……」

 演芸関係者は表情を曇らせながら、そう振り返る。

 9月30日、落語家の六代目三遊亭円楽(本名 会泰通=あい・やすみち)さんが肺がんのために亡くなった。享年72。落語家としては、これから芸が深まるという矢先の訃報だった。

 満身創痍の晩年になってしまった。2018年に初期の肺がんで手術、2019年には脳腫瘍、そして2022年1月には脳梗塞を発症し、5月まで長期入院を余儀なくされた。自宅療養を経て8月11日に東京・国立演芸場の中席で高座復帰したが、26日に息苦しさを訴え検査を受けたところ、肺炎と診断され再び入院することになったのだった。

「所属事務所は入院期間は2~3週間と発表していましたが、9月末まですべての仕事をキャンセルしていました。われわれの世界では、代演といって自分と同格の代わりの出演者を探すのですが、つい先週に10月の落語会の代演依頼が来たところで、入院が長引くのかなぁと考えたところでした」(同・演芸関係者)

 高座復帰はできたものの、以前とはまるで違う自分自身の身体。自由な動きを失った左半身、おぼつかない口調。高座復帰で落語『猫の皿』をしゃべることはしゃべったが、

「もとの芸に戻るのは難しいかなと……。寄席という大人数が出演する興行でしたら円楽師匠がいることでお客さんは喜びますが、円楽師匠がメインとなる独演会の興行は難しかったのではないでしょうか」(同・演芸関係者)

円楽師匠が落ち込んでいる

 それでも周囲の人々は、円楽さんの回復を願い励まし続けたという。『笑点』(日本テレビ系)関係者が、こんな話を明かしてくれた。

円楽師匠の所属事務所の社長から“円楽師匠が落ち込んでいるのでお時間がありましたら電話をかけてもらえませんか”というメールが『笑点』メンバーに送られた、と聞いています。実際に、長い時間電話をしたメンバーもいて、“何言ってんのか聞き取れなくて、わからないんだよな”って笑っていたそうです。長い間の同志ですから、そんなふうに話すこともできたのでしょうけど、円楽師匠の声のトーンそのものは元気だったようですよ」

 東京・下町で生まれ、“ガキの時分から錦糸町・浅草・銀座で遊んで暮らしてきた”生粋の江戸っ子。その人となりを演芸ライターが明かす。

「元気だったころは麻雀をやって、休みの日は朝から飲んで、ゴルフをやって楽しんでいましたが、遊び仲間のほとんどが地元の仲間。子どもがそのまま年を重ねたような大人子どもでした。寂しがり屋でしたねぇ」

 三遊亭一門の大名跡である三遊亭円生を七代目として襲名することを自らの課題にし、落語協会や落語芸術協会、立川流、五代目円楽一門、上方落語協会を統一する「統一協会」(本人談)をつくり上げるという野望を胸に、円楽さんは生き抜いた。

 その夢の続きは、次の世代の落語家たちに託された。

1981年、31歳の頃の三遊亭円楽さん(当時は三遊亭楽太郎)
1983年、33歳の頃の三遊亭円楽さん(当時は三遊亭楽太郎)
2016年、自身の不倫を謝罪した三遊亭円楽さん。爆笑会見となった
脳梗塞で入院した、三遊亭円楽