『ジュビロ磐田』時代の森野徹被告(本人Facebookより)

 昨年11月、風俗店従業員に応募してきた当時14歳の女子中学生と性交した上、無店舗型性風俗店で働かせたとして、35歳の男が児童福祉法違反と売春防止法違反で逮捕された事件。千葉地裁は5日、元Jリーガーの森野徹被告に懲役1年6か月の判決を言い渡した。

 高卒ルーキーとして当時J1リーグだったジュビロ磐田に入団した森野被告がなぜここまで転落してしまったのか。

 事件当時、『週刊女性PRIME』は被告の素顔を追いかけていた。

(以下は、2022年7月2日に配信した記事の再掲載です)

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「当時14歳の女子中学生を無店舗型性風俗店で働かせたとして、35歳の男が児童福祉法違反と売春防止法違反で逮捕されました。容疑は'21年11月に千葉県船橋市のホテルで少女を風俗店従業員として働かせ、客にみだらな行為をさせるなどしたというものです」(スポーツ紙記者)

 容疑者の名は、森野徹。Jリーグの『ジュビロ磐田』などに所属した元プロサッカー選手だ。

「SNSで女子中学生と知り合い、従業員としてスカウトする目的でホテルに誘っていました。だがその際、森野容疑者自身も少女にみだらな行為をしていたとして再逮捕されています。森野容疑者は一部供述を拒否しているようです」(同・スポーツ紙記者)

 現在は風俗の“スカウトマン”として身を立てていた森野容疑者。スカウト自体も、職業安定法違反(有害業務の紹介)の疑いで逮捕される事例がある。なぜプロ選手にまで上り詰めた男が犯罪に手を染めるようになったのか……彼の半生を振り返る。

「高卒ルーキーとして当時J1リーグだったジュビロ磐田に入団。磐田では出場機会に恵まれませんでしたが、'09年には当時、神奈川県社会人リーグだった『SC相模原』に所属し、試合にも出場しています」(サッカーライター、以下同)

『SC相模原』に移籍したその年のオフに引退を発表するも、'12年に東北社会人サッカーリーグ2部だった『ラインメール青森FC』で“現役復帰”。しかし、そこでも活躍は見られなかった。

「プロの世界では目立った活躍ができなかった森野容疑者ですが、その“栄光”は高校時代にあったといえるかもしれません」

 17年前の正月、森野容疑者の姿はサッカー少年なら誰もが夢見る場所にあった。

本田圭佑と握手を交わす森野被告

 全国高校サッカー選手権大会の準決勝。高校サッカー部員たちが目指す“国立”の観客は2万人を超えた。その多くが視線を送ったのは、長くサッカー日本代表で“エース”として君臨したあの本田圭佑だ。石川県代表『星稜高校』対千葉県代表『市立船橋高校』。星稜高校の本田は同大会において“超高校級プレイヤー”としていちばんの注目を集めていた。そして高校サッカーの名門“市船”こと市立船橋高校のスタメンに2年生ながら名を連ねていたのが、ほかならぬ森野だ。

 後に“世界的”となる男と同じピッチに彼はいた。試合前、10番を背負う本田と握手を交わす14番を背負った森野。

'05年1月、全国高校サッカー選手権大会の準決勝。『星稜高校』本田圭佑(左)と『市立船橋高校』森野徹被告(本人Facebookより)

「市船は高校サッカーの超名門。最大のタイトルである冬の『選手権』の優勝は5回で、全国大会の優勝回数においては高校最多です。また、選手権本大会は背番号は14番でしたが、それまでの大会では森野容疑者は15番を背負っていました。市船の15番は、“下級生エース”が背負うことの多い背番号。森野容疑者と同じく市船から高卒で磐田に入団したカレン・ロバートも下級生時に15番を付け、3年時にエースとして10番を背負った。カレンはその後ヨーロッパに渡り。現日本代表のキャプテンである吉田麻也選手とも同じオランダのクラブでも活躍しました」

 本田と森野が出場したこの試合は2-2の末、PK戦に突入。結果、市船が勝利を収めている。試合後、森野も含めて勝利に沸く市船ロッカールームを本田が悔しそうな表情を浮かべ訪れた。敗退校より受け継いできた千羽鶴を勝利校に渡す儀式だ。

 森野は後に世界へ飛び立った“本田を倒した”イレブンの1人だった。

「市船はその強さから、千葉県人以外にもファンがいるような人気校です。その市船にあって、地元船橋市出身、下級生時からスタメンで活躍し、3年生では10番を背負った彼には、千葉県人、市船ファンからの期待は大きいものでした」

 しかし、高卒後のサッカー人生は前出の通りだ。そしてそんな彼をさらなる不幸が襲う。

駅のホームから落下して左足膝切断の大事故

「'15年12月に駅のホームから線路に落下し、電車にひかれ左足膝下切断となったようです。この時点ではサッカー選手として活動はしていなかったので、コアなサッカーファンにすら知られていませんでした」

 事故の件を森野は自身のFacebookで次のように語っている。

《暇なので投稿( ´ ▽ ` )ノ
私事ですが、12月4日西船橋でホームに落ち列車にひかれる事故にあいました。
その際、左足膝下切断とゆうことになりました。
サッカーしかしてこなかった自分にとって足がないとゆうのはなんか不思議な感じですが、電車にひかれて生きてた事自体ラッキーだと思ってます笑
義足を作り普段どうりこれからも生活していけるとゆう事なので!
ご報告までに(o^^o)》

《今は障害者雇用で大手の会社狙ってます笑
普通の会社に勤めたことないので楽しみ半分不安半分ですね(o^^o)
まだ仮義足ですがかなりうごけます( ^ω^ )
義足とゆうものを世に広めたいのでPTの講義などに手伝いとしてやりたいなと思います!
まだ義足とゆうものを知らない人にこれから知ってもらう事。
なんか、やりたい事これかもっておもってきました笑
自分と同じとはいいませんが、歩く喜びを少しでも世に広めたいかな。
少数派の方たちかもしれませんが、その少数派の方達の役に立ちたいなとおもいました( ´ ▽ ` )ノ》

 脚を失う――それもサッカーでプロになれるほどの“脚”であり、何よりも信じてきた脚を失ったなかでこの文章は非常に“ポジティブ”に見える。

「プライベートの写真を見ると、言葉は悪いですがプロ時代から非常にチャラく見えます。しかし、森野容疑者はレベルを落としてまで自分がプレーできる環境を模索し続けてきた。今はチーム数が増え、“プレーを続ける”環境が多くなり、カテゴリーを落としてもボールを追い続ける選手は増えました。しかし、当時はそれほどチーム数は多くなく、Jリーグでプレーした選手が社会人リーグに入ってまでプレーを続ける例は少なかったように思います。それを考えると、あくまでサッカー選手時代に限りますが、純粋な熱い気持ちを持ってサッカーには取り組んできたのだと思います」

 森野容疑者の人生に影を落としたのは、プレーする場を失ったときか、脚を失ったときか、はたまた……。しかし、どれだけ期待されてきたとしても、どれだけ頑張ってきたとしても、彼の現在地は容疑者である。

 

 

 

'05年1月、全国高校サッカー選手権大会の準決勝。『星稜高校』本田圭佑(左)と『市立船橋高校』森野徹被告(本人Facebookより)

 

 

全国高校サッカー選手権大会の準決勝。本田圭佑(左)と握手を交わす森野徹被告(当時の試合映像より/『日本テレビ』'05年1月8日放送)

 

 

森野徹被告(本人Facebookより)

 

 

事故から4か月後、森野徹被告が作った和柄デザインの義足(本人Facebookより)

 

 

森野徹被告(本人Facebookより)