加藤綾菜、新田恵利

 2021年に亡くなるまでの6年半、母の在宅介護を続けた新田恵利さん。夫・加トちゃんが来年80歳で「介護を見据えてます」という加藤綾菜さん。新田さんから綾菜さんへの心温まるアドバイスとは? 身内の「悔いなし介護」を叶える本音対談。

覚悟も知識もなくいきなり始まった

加藤 新田さんは、6年半もおうちでお母様を介護されたんですよね。『悔いなし介護』を読ませていただいて、年の離れた夫を持つ身としてはいろいろと思うことが多かったです。お母様の介護は、突然始まったのですね。

新田 骨粗しょう症による圧迫骨折で入院した病院を出るときに、いきなり歩けなくなっていたんです。そんな事態は想像もしておらず覚悟も知識も全然なかったので、本当に手探りの介護でした。

加藤 本を読んで、病院選びも大切だとよくわかりました。私の趣味のひとつが病院の先生と仲良くなることなんです。テレビ番組で知り合った先生とは必ずLINE交換(笑)。おかげで、加トちゃんがヘルニアになったときもずいぶんと助けていただきました。医師の知り合いが多いというのは、何かと心強いものですね。

新田 私も今になって、主人と自分のためにお医者さんと仲良くならなくちゃと思っています。

加藤 新田さんは最初から迷わず、ご自宅で介護しようと考えたのですか?

新田 歩けるはずが歩けなくなり、自分でトイレにも行けません。次々とやることが山積みになり、それを兄と1つずつ乗り越えていくうちに何とか回っちゃったんです。当時から、二世帯住宅に母を呼んで暮らしていたのですが、兄が母の居住スペースに同居してくれることになり助かりました。あるとき、取材で「どうして施設に入れなかったんですか?」と聞かれて初めて「施設という手もあったんだ」って(笑)。そのまま3年、4年と過ぎ、最期までなんとかなっちゃったという感じですね。

加藤 私も性格的に、加トちゃんが将来、介護が必要になっても施設に預けることができない気がします。介護の勉強などもしてきて、施設のほうがいいと頭ではわかっていても家でずっと看たいという気持ちが強いですね。でも、親族も遠くにいるし、私1人でどうしたらいいんだろうと不安になったりもします。

新田 大丈夫! 介護保険もあるし、ヘルパーさんをフルでお願いして一緒に介護すればいいんですよ。

加藤 チームで回していけるといいですね。加トちゃんはもうすぐ80歳になります。でも、週1の2時間トレーニングや毎日のウォーキングは欠かさないし、ピラティスにも通うことに。健康寿命をどうやって延ばしていこうかといつも考えています。

新田 その意欲が大事ですよね。私の母も要介護4で介護生活が始まり、訪問リハビリを受けて少しずつ良くなったんです。その後、本格的なリハビリのために40日間入院して頑張ったら、出てきたら要介護3に改善していました。

介護経験者の新田恵利さんから、加藤綾菜さんへのアドバイスが次々と飛び出す

言いふらし介護で気持ちがラクに

加藤 新田さんが出された本に「言いふらし介護」という言葉があってとてもいいと思いました。ひとりで抱え込まないで、人に打ち明けることでラクになりますよね。私もそのときが来たら必ず言いふらします!

新田 最初はブログに書き始めたんですけど。人に話したりブログに書いたりしていると、頭の中でグチャグチャだったものが整理されていくし、いろんな人から共感やアドバイスや励ましをもらえて救われました。綾菜さんはまだ若いから、共感してくれる友達は少ないですよね。

加藤 そうなんです。でも最近、友達の母親が認知症になって、よく相談の電話がかかってきます。愛するダンナさんが認知症になるのもつらいと思いますが、親がなるのも受け入れられなくてつらいですよね。

新田 ぜひ、話を聞いてあげてください。私の母の場合、認知症は軽いまま終わったのですが、もし娘の私を忘れちゃったら、つらすぎて介護できなかったかもしれません。思いが強いだけに……。

加藤 いつもお元気で頼りになったお母様が、以前はできたことがだんだんできなくなっていくのを見ているのもつらい経験だったと思います。

新田 やっぱり最初は怒っちゃうんです。「どうしてできないの!?」って。でも、在宅で看る場合は、毎日のことだから受け入れざるをえない。ある意味、そのほうがラクなのかも。

加藤 施設に入っていてなかなか会えないと、会うたびに新たなショックを受けちゃいますものね。

新田 加トちゃんは、何かできなくなったことはあるんですか?

加藤 パーキンソン症候群になったときはご飯も食べられなくなり、体重も38キロくらいまで落ちてしまったんです。でも、夫婦で1年間「絶対に治すんだ!」という強い気持ちで頑張ってきたので、今は元どおり何でもできるようになりました。とはいえ、いつ突然何があるかわからないので常に覚悟はしています。

不満は本人に言わず周りを受け皿に

自宅で6年半の介護の末、昨年3月に92歳で亡くなった母・ひで子さんと。本当に仲が良い母娘だったという新田恵利さん

新田 母が元気だったころは、親子ゲンカをすると母が家を出て行ってしまうんです。友達の家に1泊してすぐ帰ってくるんですけど。ところが、寝たきりになってからは、ケンカしちゃうと母には逃げ場がないんですね。私が何か傷つけることを言って、母が歯を食いしばって横を向いて泣いているのを見て以来、母を悲しませることは言わないと決めました。でも、ガマンしてばかりいてはストレスがたまるので、嫌な言葉が出そうになったらその場を離れ、自分の部屋で悪口を言いまくっていましたね。

加藤 そういうときって、友達が支えになるものですか? それともご主人?

新田 私は母が39歳のときの子どもなので、やっぱりちょっと介護には早かったんです。周りに介護を経験している友達はいなかったので、もっぱら夫にグチっていました。夫も最初のころは、良かれと思って私をたしなめたりアドバイスしてくれたりしたのですが、「何も言わないで。ただ聞いて」とお願いして。それからは「うん、うん、大変だね。よく頑張っているね。偉い!」とひたすら聞いてくれるようになりました。

加藤 優しい~。いいな~。聞いてくれる人がいるだけで全然違いますよね。

新田 自分だけの時間をつくるのも大事だと思います。綾菜さんはひとりで気分転換できていますか?

加藤 はい。加トちゃんは昼夜逆転生活で、朝6時に寝て午後1時に起きるんです。私は毎朝、ひとりで近所の喫茶店に行ってのんびりと新聞を読みながらコーヒーを飲むのが楽しみなんです。

新田 それはよかった。今後、もし介護するようなことになっても続けてほしいな。でも、本当に加トちゃんは若いですよね~。こんなにかわいらしい奥さんがいたら頑張ろうという気持ちにもなりますよね。私ったら、大先輩に向かって「加トちゃん、加トちゃん」と言っちゃっていますが(笑)。

加藤 私のためというより、闘病していた1年間で「死ぬ直前まで舞台に立ちたい」という気持ちがますます強くなったようです。コロナ禍のせいで舞台の予定が全部なくなってしまったので、次に舞台に立つときにフラフラしないようにと3年間、1人でコツコツと地道に頑張って鍛えてきたことにはわが夫ながら頭が下がります。

新田 自分の目標がしっかりしている人は強いですね。

オムツを自らはいて知った大変さ

加藤 80歳になるのは正直、ちょっと恐怖なんです。いきなり体調が大きく変わってしまうんじゃないかと……。

新田 85歳までは変わらない人が多いですよ。

加藤 あと5年しかない!

新田 いやいや、普通の人で85歳だから、ストイックな加トちゃんならもっと元気でいられますよ。

まだまだ元気な“加トちゃん”こと加藤茶さんを、しっかり支えていきたいと語る加藤綾菜さん

加藤 大きな病気を何度もしているので、医師からも「今度倒れたら危ないので、絶対に怒らせないように」と言われているんです。なので、ケンカしても私は悪くないのにすぐ謝ります(笑)。

新田 愛だな~。私も母を喜ばせたくて、近場のドライブなどに連れ出したりしていました。商店街を連れて歩いたり、植物園に行ったり、食事を楽しんだり。でも、道に段差があったり、エレベーターが遠かったり、駐車場があるレストランが少なかったり、大変でしたね。オムツをしていてもやっぱりトイレに行きたいんですよね。トイレがどこにあるか、出かける前に下見したりしていました。

加藤 私もですが、新田さんもオムツをしてみたことがあるんですよね? 自分もしてみて初めてその大変さがわかりますよね。

新田 出そうと思っても全然出ない(笑)。母の気持ちがわかりました。自分が介護するようになって、その視点で見ると、全然シニアに優しい世の中じゃないなと感じることも多かったです。母が白いお茶碗にくっついた白い米粒が同化してよく見えなくて、残していたんです。中が白くなくて軽いお茶碗を探したんですが、当時は全然売っていなくて。それでシニアに優しい食器をプロデュースしたこともあるんですよ。

母に作った“エンディングドレス”

加藤 介護のゴールって、悲しいけれど看取りであることが多いですよね。そのあたりのことを少し伺ってもいいですか。

新田 もちろんです。母は昔から「恵利にはたくさん面倒を見てもらったから、最期は絶対にありがとうと言って死ぬからね」と言っていたんです。すると本当に最期、兄と私が両脇にいて、そのころには言葉も発せられなくなっていたんですけど、右の私を見て確認して、左の兄を見て確認して、その後、「あ、あ」って声を出して、そのまま目を閉じたんです。きっと「ありがとう」って言おうとしたんですね。母は約束を守ってくれたんだと思います。

加藤 それもおうちで看ていたからこそ、見逃さなかったのかもしれませんね。

新田 母がまだ元気だったころに一緒にテレビを見ていたら、日本伝統の死に装束のことをやっていたんです。母に「あれを着る?」と聞いたら「嫌だ」って。「だったら最期に何を着たい?」って聞くと、母が「ウエディングドレス」と答えたんです。

加藤 わ~ん、すてき!

ドレスを完成させることができなかった

介護をして初めてわかる「介護に優しくない世の中」をしっかり伝えたいと新田恵利さん

新田 昭和一桁生まれで、ウエディングドレスを着たことがなかったんですね。だんだん母が弱ってきて、約束したドレスを用意しなければならないとリアルに考えたとき、待てよ、死後硬直があると普通のドレスは着せられないかもって……。それでいろいろと調べたら、エンディングドレスというガウン型のものがあることがわかったんです。私はハンドメードが得意なので、ウエディングドレス風のエンディングドレスを自分で作ることにしました。母の看病をしながら8割方できたのですが、仕上げたら本当に死んでしまうような気がして完成させなかったんです……。結局、母が息を引き取った後、泣きながら仕上げて、着せてあげて見送りました。

加藤 お母様に見てもらえなかったのが残念ですね。

新田 介護には悔いがないのですが、たった1つ悔いがあって、このドレスをもっと早く仕上げて母に見せてあげたらきっと喜んでくれただろうなと思うんです。何でも早め早めに、もっともっと母が元気なうちに「ママ、できたよーっ!」て笑顔で見せればよかったです。

加藤 でも、私が今までに話を聞いた誰よりも幸せなお母様だと思います。私ももっと母を大事にしようと改めて思いました。とても感動しました。ありがとうございます。

新田 こちらこそ、ありがとうございました。

取材・文/中村裕美(羊カンパニー) 撮影/北村史成

にった・えり おニャン子クラブとして人気を博す。タレント・女優・執筆業のほか、経験に基づいた介護に関する講演なども行う。著書に『悔いなし介護』(主婦の友社)がある。
かとう・あやな 2011年に加藤茶と結婚し、年の差45歳で注目を集めた。夫を支えるため介護や食事法を勉強。著書に『加トちゃんといっしょ』(双葉社)がある。
 
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