雅子さま

 10月22日から23日にかけて、天皇皇后両陛下は即位後初めて沖縄県を訪問された。

「“四大行幸啓”のひとつである国民文化祭の開会式に臨席されました。今年で37回目となる同祭は、浩宮殿下時代の陛下が“第1回”に参加されたことを機に、平成時代からご夫妻で担われてきた思い入れの強い公務です。

 コロナ禍の影響で、昨年と一昨年はオンラインでのご出席でしたが、沖縄本土復帰50年の節目である今年、会場へ足を運ぶことができて安堵されたのではないでしょうか」(宮内庁関係者)

重い過去の歴史を全身で感じられて

 両陛下そろっての沖縄ご訪問は、'97年7月以来、実に25年ぶり。その後、陛下は数回足を運ばれてきたが、療養中の雅子さまのお姿はなかった。

「皇太子妃だった雅子さまが、陛下に寄り添いつつ、終始1歩後ろを歩まれていたのが印象的でした」

 そう振り返るのは、'97年のご訪問で、当時、知事公室長として両陛下を案内した粟国正昭さん(79)。

「糸満市摩文仁にある『平和の礎』を訪れたのは、よく晴れた暑い日でした。碑に刻まれた犠牲者などについて、私が説明すると、おふたりともうなずきながら聞いておられました。雅子さまは、最後まで何もおっしゃらなかった。重い過去の歴史を全身で感じておられたのでしょう」(粟国さん、以下同)

 雅子さまは、翌年の『歌会始の儀』で《摩文仁なる礎の丘にみはるかす 空よりあをくなぎわたる海》という御歌を披露されている。今回の沖縄訪問でも両陛下は、平和の礎に足を運ばれた。

「皇后陛下となられた今は、皇太子妃時代よりも責任が重くなると同時に、ご発言の影響力も大きくなります。プレッシャーもおありでしょうが、新たな視点から沖縄を見つめ、これからも寄り添っていただけたらと願うばかりです」

 皇室の方々にとって、沖縄は特別な場所だ。

“真の沖縄”を理解するという意味

「皇太子時代から計11回、上皇ご夫妻は沖縄を訪問されました。初訪問された'75年当時は、皇室に複雑な感情を抱く人も多く、『ひめゆりの塔』で“過激派”から火炎瓶を投げつけられる事件も。その日、上皇さまは“この地に心を寄せ続けていく”と宣言されました」(宮内庁OB)

 在位時最後のご訪問となった'18年3月には、与那国島に足を延ばされた上皇ご夫妻。戦争体験の記憶を次世代へ“継承”することにも尽力された。

「上皇ご夫妻のご意向により、陛下は物心ついたころから、沖縄について学ばれました。幼いころの陛下が沖縄を理解できるように、“本をご紹介ください”と、美智子さまから頼まれたこともあります」

『平和の礎』を訪れ、粟国さん(右)の説明を熱心にお聞きになった両陛下('97年7月)

 そう話すのは、『全国豆記者交歓会』の代表で、'63年から計100回以上にわたり皇室ご一家と交流してきたという山本和昭さん(92)。

「両陛下は今回、沖縄本島をめぐられましたが、“真の沖縄”を理解するために、宮古諸島や八重山諸島、慶良間諸島などもご覧になっていただきたいです。離島には集団自決の跡地などもあり、本島とは異なる歴史が広がっています。両陛下にも、上皇ご夫妻のように足しげく沖縄へ通っていただき、深いところまで突きつめていただきたい。今回のご訪問は、そのスタートラインです」(山本さん)

 雅子さまの“慰霊の旅”は、始まったばかりだ─。