7月26日、加藤智大元死刑囚の刑が執行された。刑確定から7年、事件を起こしてからは14年目の執行となった

'08年、秋葉原無差別連続殺人事件の加藤智大(元死刑囚)が最後に残した絵は希望を含んだものでした。'17年に発表した作品は鬱という文字を敷き詰めて絵を完成させるという凝ったもの。彼は作品を発表することを楽しみに最期まで生きたようです

死刑囚の最後の景色

『死刑囚の表現展2022』が10月14日から16日まで、開催された。法務省によれば、現在死刑が確定している死刑囚は106人で、うち再審請求中の死刑囚は61人(7月時点)いる。法にのっとれば、刑確定後から半年以内に執行しなければならないが、そうはいかないのが現状だ。

「死刑は人の生命を絶つ極めて重大な刑罰ですから、その執行に際しては、慎重な態度で臨む必要があるものと考えています」

 加藤智大の死刑が執行された7月26日、古川禎久法務大臣は執行に関してこう述べた。

 '08年の事件に対して執行は'22年。実に14年の歳月がたっている。

「加藤のように冤罪の疑いがない事件の場合においても死刑執行には慎重な姿勢だから、死刑囚の獄中死を待っているというのが実情です。誰も刑執行のハンコを押したくないんですよ。'90年の左藤恵大臣は宗教上の理由をもとにサインを拒否しましたし、'05年の杉浦正健大臣は就任時に“サインはしません”と明言しています」(法務省関係者)

 法務大臣がサインをしなければ当然死刑は執行されない。

 死刑が確定されてからの長い年月、彼らは何をしているのだろうか。また、彼らは最期に何を見たのだろうか。死刑が確定すると外部との接触は身内のごく数名に限られる。そのため死刑囚の様子をうかがい知ることはできないが、週刊女性では元刑務官、元死刑囚の親族から聞いた話をもとに死刑囚の生活に迫った(証言者の特定を避けるために一部改変しています)。

 死刑囚が他の受刑者と違う点は刑務所ではなく拘置所に収監されることだ。

「死刑が執行されるまでは単独室と呼ばれる独居房に収容されます。広さは約7・5平方メートル。部屋の窓からは空がわずかに見えるだけで外部から完全に遮断された空間です」(元刑務官)

 午前7時に起床し、7時25分朝食。昼食は11時50分で夕食は4時20分。5時から寝ることが可能で、9時には電気が消され就寝というのが決められたスケジュールだ。

「運動や入浴以外は基本的に自由時間です。加藤智大元死刑囚のように『死刑囚の表現の自由展』に出展するための作品づくりに励む死刑囚もいれば、毒婦と呼ばれた木嶋佳苗のように外部に向けてブログで発信する文章を書き続ける死刑囚もいます。

 過ごし方はそれぞれですが、自由ではありません。常に看守のチェックがあり、死刑囚が自殺しないための監視カメラを設置した房もあります。非常に息苦しく拘禁反応を訴える死刑囚は少なくありません」(同・前)

死刑が確定し、宗教に目覚める死刑囚

 中には死刑確定をきっかけに宗教に目覚める死刑囚も。

「拘置所の中には“教誨室”があり、月に1回程度、宗教者である教誨師から教えを受けられます。仏教とキリスト教から選べ、落ち着いた雰囲気が漂っています」(同・前)

 元死刑囚の親族Aさんはその変わりように驚いたという。

「私の兄は自己の欲望から人を殺害しました。非道でどうしようもない人間だったのに、執行される前にはすっかりキリスト教徒となり、聖書の一部を写しては私の元に送ってきていました。それが生きがいだったのでしょう。

 当時は自分を表現できる作品展などはなかったし、考えを発信できるブログもなかった。多くの人にキリスト教を広めたい、と言っていました。被害者のご遺族にも送っていたようです。最後まで身勝手な人だと呆れて、そのことを咎めると、聞く耳を持ったんです。話し合いなどできず反対意見を言われるとすぐに恫喝してきた彼がここまで変わるとは思いませんでした」

 彼が最期に見たものはなんだったのか。

「死刑が執行されたあとに自分に連絡がきました。死刑囚の親族はほとんどが遺体の引き取りを拒否するようなのですが、自分のところは母が引き取りました。結局彼と同じお墓に入りたくないと親族が反対して無縁仏になりました」(Aさん)

 死刑囚に執行が言い渡されるのは当日の朝8時ごろ。

「'60年代ごろは前日あるいは2日前に執行が迫ったことを通告していました。死刑囚はそこから肉親に会ったり、遺書を書いたり、許される範囲で好きなものを食べることもできました。しかし、'75年に死刑を通告された死刑囚が自殺する事件が起き、現在の当日通告につながったんです」(元刑務官)

 '04年の奈良女児殺害の小林薫元死刑囚は、'13年2月21日の朝の点呼のあとすぐに刑が執行され、8時4分に死亡が確認されている。点呼は7時45分ごろ。小林が執行を知ってから絶命するまでの時間はほとんどなかったことになる。

 '68年の永山事件の永山則夫は'97年8月1日の朝に死刑が執行されたが、拘置所に収容されていた死刑囚の話によると絶叫しながら刑場まで引きずられたという。

 前もって刑の執行を知らされるのと、その日の執行を待ち続ける、より精神的な重圧があるのはどちらなのか。

「彼らが最期に目にするのは前室にある仏像の姿です。見ないまま通り過ぎる者もいます。死ぬ間際に南無阿弥陀仏を唱える死刑囚や、ガタガタ怯えて失禁する死刑囚までさまざまです。ただ一つ言えることは彼らに殺された人たちはそんなことを考える間もなく殺された。これだけは忘れないでほしい」(同・前)

事件現場には今でもお供え物が
刑場(イラスト/こうき)

 

(1)死刑囚は執行室の中央にある赤い線で囲まれた踏み板の上に立たされ、足を縛られ、滑車からつるされたロープを首にかけられる(執行室の写真/2010年法務省提供)

 

(2)死刑執行の前に宗教家の教誨師と面会する教誨室。写真は仏壇だが死刑囚の宗教により神棚や十字架に代わる(執行室の写真/2010年法務省提供)

 

(3)ガラス越しに検察官や拘置所の幹部が執行の状況を見届けるための立会室から見た執行室(執行室の写真/2010年法務省提供)

 

(4)そして踏み板が開き、死刑が執行される(執行室の写真/2010年法務省提供)

 

(5)踏み板を開けるためのボタンを3人の刑務官が一斉に押す。執行にあたる刑務官の精神的負担を考慮し、どのボタンで踏み板を開けたのか、刑務官はわからない仕組み(執行室の写真/2010年法務省提供)