岡本太郎さん(C)岡本太郎記念現代芸術振興財団

 1970年の大阪万博のシンボルだった 『太陽の塔』を代表作のひとつとし、多数の作品をこの世に残した芸術家・岡本太郎(1911-1996)。

芸術家・岡本太郎

 40代以上には、CMやバラエティー番組に出てきては「芸術は爆発だ!」などとインパクトのあることを言ったりパフォーマンスをしたりする“面白い芸術家のおじさん”、というイメージの人も多いだろう。

 明治後半、当時の人気漫画家の岡本一平と、歌人で小説家の岡本かの子の間に生まれた岡本太郎。青年期はパリで最先端のアートシーンに触れ、日本に帰国後戦争を経験。戦後、それまでの日本の芸術を「石器時代」と喝破し、自身の考える“日本の新しい芸術”を表現し始めた。芸術は大衆のものだとし作品は売らなかったが、本を出せばベストセラー、講演やラジオにはひっぱりだこという人気ぶり。しかし日本画壇からは異端として扱われ、正当な評価をされるようになったのはむしろ没後だった。

 そんな彼が残した「名言」は数知れず。芸術とはなにか、人間とはなにか……。あふれ出るイメージを作品にぶつけながらも、なおこぼれ落ちた彼の言葉は、老若男女、時代を超えてあらゆる人の心に響く。現在、岡本太郎の初期から晩年までの代表作・重要作を集めた没後最大規模となる回顧展『展覧会 岡本太郎』が開催されている。死してなお雄弁に語りかけてくる作品群とともにその“言葉”を噛み締めてほしい。

『太陽の塔』(C)岡本太郎記念現代芸術振興財団

『本職?人間だ』

 画家であり、彫刻家であり、陶芸、書、写真、建築……。芸術のみならず、執筆やタレント業といくつもの顔も持っていた“人間”岡本太郎。いうなれば、われわれも彼の“同業者”なのである。さあ、本職に誇りを持ちましょう。

『芸術は爆発だ!』

「好かれる芸術なんて本物じゃない」「芸術はみんなのものである」など、数々の芸術に対する発言を残す岡本太郎の最大のパンチラインがCMに使われ、流行語にもなったこちら。瞬間瞬間に爆発して生きていた、太郎こそが芸術の塊! 私たちも、破壊することを恐れずに生きたいもの。

『何だこれは!』

 バラエティー番組での太郎の決めゼリフでもあった。見開いた目で、時には怒ったように、時には笑いながら……。そのニュアンスは出会いの感動や「見知らぬものを見知った」という無邪気な喜びに近い。そんな、心が震えた瞬間瞬間を大切にしたい。

『たった一人だけでも、「ノン」という。時代に逆らう人間がいないといけない。』

(『デザイン批評』6号より)

 太陽の塔も、巨匠・丹下健三の設計を半ば強引に変更させて作った岡本太郎。旧来の「こうあるべき」を徹底的に拒否し、常に何かとぶつかりながら瞬間を生き抜いた彼の足跡は、パブリックアートとして今も残り続けている。嫌なことには逆らう勇気を持ってみよう。

『イマジネーションによって宇宙と遊ぶのだ。』

(著書『壁を破る言葉』より)

「芸術は爆発だ!」の自らの解説として「全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。それが爆発だ」と語っていた太郎。常人には想像もつかない感覚だが、自らの内包している宇宙と常に交信していたのだろう。今宵、あなたも空を見上げてみては。

『グラスの底に顔があったって、いいじゃないか。』

(CMより)

 あるとき、ウイスキーのグラスをデザインした岡本太郎。「どんな物にも顔がある」と、静物に対しても独自の感覚で接し、その底には顔をあしらった。彼にこんなことを言われたらひと言「ですよね」と大納得するしかない。

『面白いねえ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。目の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって心身をぶつけて挑む、瞬間、瞬間があるだけ。』

(『岡本太郎』平凡社より)

 日本の新しい芸術を切り開いた岡本太郎の人生は、常に道なき道だった。しかし、その爆発し続けてきた結果が、今日の彼の評価につながっている……にしても、こんなことを言うおじさん、カッコよすぎである。あやかりたい!

『森の掟』(C)岡本太郎記念現代芸術振興財団

「展覧会 岡本太郎」
[東京展]2022年10月18日(火)〜12月28日(水)東京都美術館
[愛知展]2023年1月14日(土)~3月14日(火)愛知県美術館
 公式サイト:https://taro2022.jp/

片岡鶴太郎

 生前の岡本太郎は、テレビタレントとしても多くのバラエティー番組などに出演していた。そのうち、レギュラー出演をしていたのが、'86年〜

 '88年に放送されていた『鶴太郎のテレもんじゃ』(日本テレビ系)。同番組のMCを務め、現在は自身も芸術家として活動している片岡鶴太郎さんに太郎の“素顔”を聞いた。

片岡鶴太郎さんが語る岡本太郎

 鶴太郎さんは、毎週の収録前に、必ず太郎の楽屋に挨拶にいっていたという。

「楽屋に行くと、太郎先生と秘書の方(故・岡本敏子さん)がいらっしゃるんですよ。僕が『おはようございます。鶴太郎です!』って言うと先生は目を見開いて、『誰だ、君は?』って聞くんです。『鶴太郎です!』ってもう一度名乗ると『何だ、それは。名前なんてどうでもいいんだ』。いや先生が聞いたじゃないですか!って。このやりとりが必ず毎週あるんです(笑)」(鶴太郎さん、以下同)

 作品の名前にもこだわらなかった岡本太郎らしいエピソードである。毎週必ず、カメラも回っていないのにそのやりとりをしていた岡本太郎を、自己演出もできるサービスマンだったと思い返す鶴太郎さん。

「僕はバラエティーバリバリのお笑い芸人でしたから、当時は太郎先生のすごさってものがわかりませんでした。一緒に番組で子どもの絵を見たりしていたんですが、太郎先生は、子どもが見たままを描けることがものすごく尊いことだとおっしゃっていましたね。自分が絵を描くようになってから、その言葉の意味がとてもよくわかります」

 岡本太郎の絵は、通常の芸術に期待される「優しさ」「癒し」などの要素をあえて排除していると分析する。

「太郎先生の色って、“不協和音”なんですよね。例えば印象派のモネやルノワールなら心地よい色のハーモニーを感じるのに、太郎先生の色使いは心地よくない。絵に限らず作るものが徹底的に反逆的で、“座ることを拒否する椅子”なんかもそうですよね。『何だ、これは?』と思わせることが主眼なのかなと思うくらい。だからこそ目が行ってしまう、そして心に残るんでしょうね」

 大人になるにつれて、「こうあるべき」にとらわれてしまう現代の人にこそ「岡本太郎の言葉」は刺さるという。

「今はきっと時代に対して閉塞感を抱いている人が多いと思うんです。だから、『自由に生きる』と言われても常識に手足を縛られて解放できない。そんな人たちが太郎先生の生き方を見たら、すべてそれを度外視していてまぶしいでしょうね。

 僕に対して毎回先生が必ず『鶴太郎です』『名前なんてどうでもいいんだ』って言葉のラリーをしていたのも、“名前よりも、人間としてどう生きていくかが大事だ”というメッセージが根底にあったんだろうと思います」

 先行きが不安な今の時代こそ、岡本太郎のように“瞬間瞬間を爆発して生きる”ことが求められているのかもしれない。

片岡鶴太郎(かたおか・つるたろう)●1954年東京都生まれ。『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)でブレイク後、バラエティー番組を中心にお茶の間の顔として人気に。'95年に初の個展を開催し、以後芸術家としても精力的に活動。現在もヨガインストラクターなど、マルチな活躍を続けている。

片岡鶴太郎さん、「座ることを拒否する椅子」以外の画像はすべて(C)岡本太郎記念現代芸術振興財団

(取材・文/高松孟晋)