NY行きの飛行機に乗り込む直前の小室眞子さんと圭さん夫妻('21年11月14日)

 長い髪を“お団子”にまとめ、ワイヤレスイヤホンを装着。スーツにマスク姿で、ニューヨークの街を闊歩する男性─小室圭さんだ。

「10月31日、ニューヨーク司法試験の合格後、初めて日本のテレビカメラの前に現れました。記者から“おめでとうございます”と声をかけられても完全にシカト。約1分半の直撃取材は、肉声はおろか、リアクションすらも得られませんでした」(皇室担当記者)

7つの質問に無言

 小室さん夫妻は、11月14日で渡米から1年を迎える。

「皇族として30年を歩んだ眞子さんが、異国の地で新婚生活をスタートさせるのは、正直心配でした。物価が高いニューヨークで家計をやりくりできるか。アジア系へのヘイトクライムが急増する中、危険な目に遭わないか。家族に会えない環境がストレスにならないか……。ですが、それらは杞憂に過ぎませんでした」(皇室ジャーナリスト)

 結婚から渡米するまでの約2週間、都内のマンションに住んでいたころは、外出のたびに報道陣に囲まれていたが、ニューヨークでは格段に穏やかで自由な生活を手に入れた。10月21日には、圭さんの司法試験合格が明らかに。

「合格報道後、夫妻の自宅前には、国内外のマスコミが押し寄せましたが、ふたりはなかなか姿を見せませんでした」(在米ジャーナリスト)

 結婚1周年記念日から一夜明けた10月27日、ようやく現地メディアが、圭さんの出勤姿をキャッチ。カメラマンから「コングラチュレーション」と声をかけられたが、圭さんはいっさい応じなかった。日本の報道陣がようやく直撃取材に成功したのが、冒頭のシーンだ。

「眞子さんとお祝いする時間はありましたか?」「支えてくださった人たちに何かひと言ありませんか?」など7つの質問が記者から投げかけられたが、圭さんは顔色ひとつ変えずに黙殺。

「“元皇族の夫”以前に1人の社会人として、この対応はいかがなものでしょうか」

 ある宮内庁OBは、首をかしげながら、こう続ける。

「“急いでいるので”と軽く会釈したり、去り際に“お疲れさまです”と記者に伝えたりするだけで、印象はがらりと変わります」

疑問視される祖国への未練

 これまでの圭さんは違った。

「渡米後は月に数回、海外メディアを中心に夫妻の姿が撮られていますが、張り込むパパラッチに対して圭さんが、“サンキュー”とサムズアップすることもあったとか。眞子さんは軽く会釈をする程度だったといいます」(前出・在米ジャーナリスト)

 今年7月、司法試験終了後の圭さんを『週刊女性』が直撃した際には、言葉こそ発しなかったが笑顔で会釈はしてくれた。

「“3度目の正直”で司法試験を突破した圭さんに、多くのメディアが話を聞きにくることはたやすく想像できました。夫が調子に乗って、口を滑らせたり、取材を歓迎するような態度を見せたりすることがないように眞子さんが“口止め”しているのでは、とも囁かれています」(前出・皇室ジャーナリスト)

 いかなる事情があるにせよ、圭さんの対応を疑問に思った国民は少なくないだろう。

10月31日、司法試験合格報道後、初めて日本のテレビカメラの前に姿を見せた小室圭さん(FNNプライムオンラインより)

「いくら一般人とはいえ、元皇族とその夫であることに変わりはありません。テレビを通して、自分たちの暮らしぶりが国民に届き、もしかすると秋篠宮ご夫妻もご覧になるかもしれない、ということに思いを巡らせれば、自然と別の振る舞いになったはず。
順風満帆な道を歩み始めた夫妻にとって、周囲の視線はどうでもいいのかもしれませんが……」(前出・宮内庁OB)

 結婚会見で「海外に拠点をつくってほしいと私が(圭さんに)お願いしました」と明かした眞子さん。祖国への“未練”は、もうないのか……。翻って日本には、帰省を心待ちにしているご家族がいる。

《今は直接会うことが叶いませんが、庭の花の世話をしながら、木香薔薇のアーチを作り、いつか娘と一緒にゆっくり庭を歩くことができましたら、と思っております》

 紀子さまは今年9月、誕生日文書で、眞子さんへの切なる母心をそう綴られた。

「当初、眞子さんの“里帰り”のタイミングとして有力視されていたのが、美智子さまが88歳の『米寿』を迎えられる10月20日。美智子さまのかわいい初孫である眞子さんが、ニューヨークのお土産話とともに元気な顔を見せるのが、何よりもお祝いになる、という声が上がっていました」(宮内庁関係者)

 しかし、眞子さんが帰国することはなかった。

祖父の一周忌には帰国せず

「圭さんが2度も司法試験に落ちたのが誤算でした。3度目の合否が判明するまでは、日本の地は踏めないと考えたのでしょう。結婚問題を静かに見守ってくださった美智子さまに、感謝と近況を伝えることはできませんでした」(同・宮内庁関係者)

 祖母の米寿はむげにしたが、再び帰国すべき機会が訪れた。

「11月4日は、紀子さまのお父さまで眞子さんの祖父にあたる、学習院大学の名誉教授だった川嶋辰彦さんの一周忌でした」(前出・記者)

 眞子さんと圭さんが結婚する1週間前に都内の病院に救急搬送された川嶋さんは、初孫の晴れの日を見届けた9日後、81歳で亡くなった。

「入院中には、小室さん夫妻がそろってお見舞いに行き、“孫の夫”との面会も実現。ひとりで病院を訪れることもあった眞子さんは、紀子さまと佳子さまとともに最期を看取りました」(同・記者)

眞子さんとの面会を待ち望んでいるであろう秋篠宮ご夫妻(10月29日)

『文藝春秋』'22年1月号によれば、結婚問題が混迷を極めていた時期に、《どうして小室さんでダメなのか、僕にはさっぱりわからない》と、漏らしていたという川嶋さん。自宅で行われた家族葬には、小室さん夫妻も参列したが、一周忌はどのように執り行われたのか。

「“川嶋家”は一般の家庭ですから、一周忌などの法要も皇室のしきたりに従う必要はなく、川嶋家が判断すればいいことです。皇族方の出欠や対応に関する決まりも特にありません。皇室を離れた眞子さんが、“遠く離れたところに住んでいるから伺えない”というのも一般的によくあることで、十分に理解できます。ただ、小室圭さんの司法試験合格のタイミングでもあり、その報告を兼ねて帰国されてもよかったとは思いますね」(宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司さん)

 前出の宮内庁関係者も“凱旋帰国”に期待を寄せていた。

「夫妻にとって“弁護士デビュー”は、結婚の次に大きな節目といっても過言ではなく、秋篠宮ご夫妻へ感謝と抱負を直接伝えにいくのが筋でしょう。川嶋教授の一周忌をスルーし、帰国の機会をむげにするのは、さすがに不義理なのでは……」

 “帰らない”決断が、日本とニューヨークの距離を、より遠ざけていく─。


山下晋司 皇室ジャーナリスト。23年間の宮内庁勤務の後、出版社役員を経て独立。書籍やテレビ番組の監修、執筆、講演などを行っている