滝沢秀明(2015年)

「ついに“滝沢秀明氏”ではなく、やんちゃだったタッキーが戻ってきたという感じですね」とは、老舗芸能プロダクションのベテランマネージャーの弁。

 11月1日にジャニーズ事務所副社長を退任し、同社を去った元『タッキー&翼』の滝沢秀明氏が早くも動いた。同氏のアカウントと思われるツイッターが11月7日に開設されたのだ。

 溢れ出す強大な地球の生命力を誇示するような、真っ赤に燃えたぎるマグマを背景に撮られたプロフィール写真。ガスマクスで覆われて顔こそ見えないが、《冒険家》の肩書きから滝沢氏のアカウントと見て間違いなさそうだ。

 彼が初めて火山に触れたのは2013年、TBSの番組企画でオーストラリア近くに位置する火山島・バヌアツ共和国を訪れた時のこと。

「火口ギリギリまで降り立つという、現役アイドルとは思えない身体を張った危険な仕事でしたが、そこで何かが目覚めてしまった。火山に魅せられたタッキーは以後も世界各国で挑戦を続け、ついには論文も執筆するほどに。れっきとした“火山探検家”の顔を持っています」(アイドル誌ライター)

 そんな熱すぎる思いを胸に押し込めて、ジャニー喜多川さんの後継者として冷静に、時に冷徹にジャニーズ事務所副社長、そしてジャニーズJr.の育成やプロデュースを目的とした子会社『ジャニーズアイランド』社長の任務をこなした滝沢氏。しかし、無理をしていた面もあったようで。

《冒険家》の肩書きの本当の理由

「“小さいジャニーさん”としてプロデュース業にやりがいを感じていたのは間違いない。でも、Travis Japanの世界デビューでジャニーさんへの恩返しを済ませた、Snow Manら可愛がってきた後輩らも独り立ちした今、どこか燃え尽きた部分もあったと思います。

 でも、彼はまだ40歳。個人として挑戦したいことも多々あるでしょうし、これからは自分のためだけに、それこそ火山探検にも好きだなだけ時間を使えますよ」(同・ライター)

 そんな“挑戦したい”気持ちは、《冒険家》の肩書きにも表れている。滝沢氏、いや、タッキーがツイッター開設すると間も無く、元KAT-TUNの赤西仁が《魔女の条件観たよ》がリプライすると、そして元NEWSの山下智久が《ずっと大好きな先輩。》、元関ジャニ∞の錦戸亮も《Boss降臨》と次々と反応。

 ジャニーズを退所した“辞めジャニ”のエールに、タッキーもまた喜んでいるかのように即リツイートしてみせたのだ。またフォロワーには元NEWS・手越祐也らも名を連ねており、わずか1日で155万人を突破。そのカリスマっぷりは健在の模様。

 13歳で入所すると、ジャニーさんからの寵愛を受けて“エリート”コースを歩んできたタッキー。嵐や関ジャニ、山Pや生田斗真ら錚々たるメンバーを率いて“黄金期”を築き、ジャニーズJr.の人気と可能性を底上げした生粋のリーダーの顔も持つ。

赤西軍団らが認める“ボス”の顔

「ジャニーズ副社長としてネクタイを締めたことも手伝って、世間一般には真面目な優等生イメージが強いと思います。でも、本来のタッキーはやんちゃな遊び好きで、時にジャニーさんや事務所幹部の手を焼かせることもありました。

 その反面、芸事にはストイックで手を抜くことを知らないために、時に舞台やコンサートに携わる後輩を叱咤することもあったみたいですね。それこそ赤西ら“問題児軍団”を絞ることもあったそうで、特にプライベートでは“バレずにやれ”と(笑)。彼らにとって尊敬すべき“ボス”の姿が、本当のタッキーですよ」

 と、懐かしむのは冒頭のベテランマネージャーだ。そんなボスが一声かければ、事務所から離れた“辞めジャニ”の集結も考えられるということ。そう、Jr.黄金期のように。

「もちろん、それぞれが築き上げた道を歩んでいるだけに、正式合流することは難しいでしょう。でも、ジャニーズでもSNSやYouTubeなどのネットツールを積極的に取り入れて利益を上げたように、顔を合わせる場はいくらでもあります。

 辞めジャニらが自由に集えるような、それこ“タッキーズ事務所”という新コンテンツを立ち上げるような、そんなワクワクするような冒険を描いているのかもしれません。彼はジャニーさんのエンターテイメントの後継者であり、そして野心家なのですから」(同・ベテランマネージャー)

 タッキーによる、タッキーのための冒険が始まりそうだ。

 
2015年9月、夜の街にそろって繰り出した滝沢秀明と今井翼

 

2015年9月、夜の街にそろって繰り出した滝沢秀明と今井翼
2015年9月、夜の街にそろって繰り出した滝沢秀明と今井翼

 

1998年、ジャニーズJr.黄金期を牽引していた滝沢秀明