King & Prince

 そのデビューは鮮烈だった。

 グループ名は「King & Prince」。『シンデレラガール』という“ザ・王道”なアイドルソングを引っ提げ、純白の衣装に身を包み、まばゆいばかりのキラキラオーラを放った6人。その姿は、歌よし、ダンスよし、ビジュアルよしの“完璧なアイドル”に見えた。ジャニーズから遠ざかっていた大人たちも、この若きグループに心を奪われた。

 しかし、“完璧なアイドル”は、裏側ではそれぞれが苦悩を抱えていたのだ。

(以下、文中敬称略)

唐突な話ではなかった

 11月4日深夜、「King & Prince」(以下、キンプリ)の岸優太、平野紫耀、神宮寺勇太の3名が2023年にグループからの脱退、そしてジャニーズ事務所から退所することが発表された。2018年のデビューから5年の節目を迎えて、3人が去る――。

当記事は「東洋経済オンライン」(運営:東洋経済新報社)の提供記事です

 平野は退所の理由を、「自分の年齢と向き合ったときに海外で活躍できるグループを目指すのは、もう遅いなと感じ、目標を失った」と、説明。「もう遅い」「目標を失った」――世間が抱いていた“キラキラのアイドル”のイメージからはほど遠い発言が重なったようにも聞こえた。

 しかし、彼らのこれまでの発言や行動を振り返ると、このコメントは突飛なものではないことがわかる。むしろ、彼らのこれまでの延長線上にあるコメントだ。

 仕事に責任感をもって取り組み、繊細さもあわせ持ちながら、さまざまな感情を抱えてきた彼ら。“完璧なアイドル”のイメージとは裏腹に、「生きづらさ」を感じていたのだ。

 今回、3人の脱退・退所の大きな理由となっているのが、キンプリとしての海外進出に対するメンバー間の温度差だ。3人は海外進出への意欲が強かったと言われているが、そもそもグループのデビュー時から、海外進出という希望はあった。

「デビューする時から、海外で活動するというのを1つの夢として掲げさせてもらっています」

 2019年に逝去した創業者のジャニー喜多川が存命していたときには、平野は世界進出という夢について、こう語っていた。

「僕らの夢でもあるんですけど、ジャニーさんの夢でもある。ジャニーさんも87歳。あと何十年も一緒にいられるわけじゃないと思う。社長が生きているうちに、僕らが海外進出した景色を見せたい」(「日刊スポーツ」2019年5月2日付)

 2つの重なる夢を追い、ジャニーさんに夢が叶った先の景色を見せたい――それは実現しなかったが、キンプリはコロナ禍前の2019年には武者修行として渡米し、ヒップホップの世界大会で優勝経験をもつメルビン・ティムティムなど、世界レベルのダンサーやプロデューサーによる指導を受けている。

 日本に戻ってきてからも、デビューしているジャニーズグループとしては珍しく「ダンスレッスンを週1で受けている」と神宮寺は語っていた(TOKYO FM「ディアフレンズ」2020年9月1日放送)。平野も「週1で英会話を習っている」と発言するなど(「サンケイスポーツ」2021年8月10日付)、夢に向かって着実に行動をしていたはずだ。

平野がもつ「死への強い意識」

 それでは、今回の平野の「もう遅い」「目標を失った」という発言は、何を意味するのだろうか。

 現在25歳の平野は「もう遅い」のか――判断は人によって別れるところかもしれないが、そもそも平野は昔から自分の年齢を強く意識してきた。彼は20歳の誕生日を迎えたときのことを次のように語っている。

「その年の誕生日に思ったんです。“もう二十才じゃん”って」。地元の仲間に連絡をしたら、消防士になるという夢を叶えているのを知り焦ったのだという。「生き急いでいるようにも見える」と振られると、こう返した。

「明日どうなるかわからないって思いがどこかにあるかもしれないですね。小さいころの2回の手術。母親の大きい病。いつ何が起こるかわからない。それこそ明日死ぬかもしれない。昨日まで遊んでいた友だちを亡くした経験もあるんです」(『Myojo』2022年7月号)。

 友人の死や自身の病気をきっかけに、“死を強く意識している”という思いを明かした。

 平野は、ライブの最後に必ず「死ぬなよ!」とファンに向かって叫ぶ。「コンサートで僕と目が合わなくても、僕を見てくれてる人とか、僕と関わってくれてる人にはなるべく死なないでもらいたい」(フジテレビ「RIDE ON TIME」2018年10月5日放送)という思いを乗せて……。

 死を意識するからこそ、今を無駄にしたくない――自分の年齢への焦りは、岸にも感じられる。

「King & Princeは顔面偏差値の高さが強みと言われてるけど、僕の顔面には期限があるんで」(『STORY』2018年6月号)と、いつかは年齢を経て、ビジュアルのみでは通用しなくなることを強調。その意識は「自分のビジュアルには限界があるから、別にアピールポイントを持っておかないといけない」(『ポポロ』2018年11月号)と、自分の強みを磨いていこうという発想に行き着いた。

 彼らのこういった発言からも、「若いうちに成長しなければならない」という意識がとても強かったことがわかる。

「調子に乗らない」岸、「メンバーに寄り添う」神宮寺

 今回、岸は「器用さが自分にはなく、だんだんと夢と目標に自分の実力の差とギャップを感じるようになっていきました。そして、海外で活躍できるグループになるためには今のままでは到底無理だと感じるようになってきました」と語っていた。

 日本では十分売れているんだし、いいじゃない……と思う人もいるだろう。「King&Prince」の前身となるグループ(「Mr.KING(平野紫耀、永瀬廉、高橋海人)」と「Mr.Prince(岸優太、神宮寺勇太、岩橋玄樹)」の2ユニット)が結成された2015年、ジャニーズJr.として注目が高かった岸は自分を戒めるように、こう言っていた。

「調子に乗ったら終わり。目立つ場所なんてまだたくさんあるし、ここで納得したらダメ」(『STORY』2015年9月号)

 その謙虚な自己評価と、世界進出という高い目標が組み合わさったとき、岸と平野の2人は、自分のいる場所と目標地点との差の距離に愕然としたのかもしれない。

 神宮寺はどうだろうか。彼は今回、「メンバーがこの先一人でも退所する話が出たときに、自分も退所することを決めていた」と語っている。

「この先一人でも」という発言から思い起こされるのは、2021年にキンプリから脱退した岩橋玄樹のことだ。ジャニーズJr.時代から、岩橋が全幅の信頼を寄せていたのが神宮寺だった。

 岩橋はパニック障害を患っていることを公表していたが、デビューの約半年後から休養し、その後脱退することとなる。彼はそもそもが「生きづらさ」を抱えた繊細な人だった。

 ジャニーズJr.としては珍しく、中学時代にいじめられていたことを告白し、「中1になるとみんな言葉とか悪くなるじゃないですか。普通なんですけどあっちは、でも傷ついちゃうみたいな」と、周囲と自分との感覚の差を吐露していた(日本テレビ「リアル×ワールド ~ジャニーズJr.の真実~」2012年9月30日放送)。

 そんな岩橋に、神宮寺は寄り添い続けた。岩橋脱退後、多くを語らない神宮寺だったが、彼の思いは随所に表れている。キンプリは、岩橋の休養中もパフォーマンスの際に彼の場所を空けてダンスをしたり、脱退しても岩橋のメンバーカラーであるピンクの照明を入れる演出をしたりといった行いがあった。これは、コンサートの演出を担当する神宮寺の優しさが透けて見えるようだった。

 優しく繊細であるからこそ、多くのことに気づき、それがときとして障壁にもなる――。それは、彼らに共通した気質かもしれない。繊細さ、責任感、目指すものが大きいゆえの苦悩。彼らの中にはきっと“完璧なアイドル”としては普段見せない、「生きづらさ」があったはずだ。そしてその深い思考があったからこそ、少しづつボタンの掛け違いが起こっていったのではないだろうか。

ジャニー喜多川が予感していたこと

 だが――と思う。もしかしたら、最初からその“掛け違い”に気づいていた人はいたのかもしれない。

 キンプリのCDデビューは、平野がジャニー喜多川に直談判したことがきっかけとなっている。しかし、そのときにジャニー喜多川から返ってきた答えは、「ソロデビューの可能性も考えてみたら?」だった。

 それでも平野は「僕には考えられなかった。僕の中では6人のときがいちばん手応えを感じていたんで」と、グループのメンバーに相談し、今度は6人で直談判にいったのだという。

「今思い出しても直談判は地獄でした。ブチギレる社長と、しどろもどろに話す僕。めちゃめちゃ怖かったです」(『Myojo』2022年7月号)

 表現の仕方もあるだろうが、ジャニー喜多川が“ブチギレる”エピソードはなかなかない。それに平野はすでに単独でCM出演や映画出演を果たしていたし、当時の彼らの人気と実力があれば、直談判すれば社長もすんなり受け入れ、喜んでデビューさせたのではないかと思われた。

 だが、デビューには至ったものの、“ブチギレ”られていたのである。

 ジャニー喜多川は、基本的に、グループのメンバーやデビュー時期に至るまで熟慮に熟慮を重ね、すべて自らの感覚で決めると言われている。その感覚が優れていることは、これまでの数多のグループの成功が証明しているだろう。

 なぜ彼は、相当にその将来を信じ、“最後のお気に入り”とも言われた平野やキンプリのメンバーたちにブチギレたのか。

 もしかしたら、ジャニー喜多川はどこかで気づいていたのかもしれない。彼ら6人が抱えていたものを、そしていつか自分がいなくなった後に、“最愛の息子たち”が道を分かれてしまうことを――。

 しかしジャニー喜多川は、答えを導き出すことをタレント自身に託す人だった。生前最後にデビューさせた「King & Prince」を残す道を選んだ者、「ジャニーさんと見た夢」を自分の中で熟成させていく者。それぞれの思いを貫いた彼らの選択を、決して否定はしないだろう。


霜田 明寛(しもだ あきひろ)Akihiro shimoda
ライター/「チェリー」編集長
1985年東京都出身。国立東京学芸大学附属高校を経て早稲田大学商学部卒業。9歳でSMAPに憧れ、18歳でジャニーズJr.オーディションを受けた「元祖ジャニヲタ男子」。3冊の就活・キャリア関連の本を執筆後、ジャニーズタレントの仕事術とジャニー喜多川氏の人材育成術をまとめた4作目の著書『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)がベストセラーに。また、文化系WEBマガジン「チェリー」編集長として監督・俳優などにインタビューする。SBSラジオ(静岡放送)『IPPO』の準レギュラーや、映画イベントの司会も務めるなど、幅広くドラマ・映画・演劇といったエンターテインメントを紹介している