’95年、まだ6人グループだった『SMAP』。左から森、香取、草彅、中居、稲垣、木村

《まだぎこちない新人女優の、ふとした煌めきを一瞬で掬い取って映像に焼き付けるその手法は、鮮やかで軽やかで普段はおちゃらけているようなのに瞳の奥は厳しいそんな映画監督だった大森監督、早すぎます。残念です》

 斉藤由貴が、悼んだのは、急逝した映画監督の大森一樹さんについて。11月12日に急性骨髄性白血病のため、病院で息を引き取った。

「'86年公開の映画『恋する女たち』は、斉藤さんの2作目の主演映画。それを撮ったのが大森監督でした。大森監督は斉藤さんの主演映画を立て続けに3作撮り、そのひとつで斉藤さんは日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞しています」(映画ライター)

斉藤由貴

人気サッカーマンガ『シュート!』の実写版でSMAPと

 斉藤にとって、大森さんは自分をスターへと押し上げてくれた“恩人”だ。それは歌手の吉川晃司も同じ。

「'84年に公開された吉川さん初主演映画『すかんぴんウォーク』から続く3部作も、大森さんの監督作品です。俳優としても活躍する吉川さんの原点は大森監督の映画でした。新作の構想についても聞いていたようで、さぞショックだったはず」(同・前)

吉川晃司

 大森監督は大阪で生まれ、兵庫県芦屋市で育った。大学は医学部へ進学したが……、

「自主製作した映画が高い評価を得て、医者にはならず映画業界に進みました。村上春樹さんの小説『風の歌を聴け』の映画化や、映画『ゴジラVSビオランテ』など、幅広く何でも撮る人でしたね。のちのスターの初主演映画といえばSMAPもそうでした」(映画雑誌編集者)

 '94年公開の人気サッカーマンガの実写版映画『シュート!』は、'96年に脱退する森且行を含む“6人組”SMAPの初主演映画だった。

まだSMAPが売れていない時期でしたが、仕事の関係で全員そろうことはほぼなかったよう。すでに映画デビューしていた稲垣吾郎さんは忙しくて撮影になかなか来られず、劇中ではケガをして試合を退場したことに。ですが急きょ撮影に参加できることになったので、決勝戦ではケガが治ったことにして参加させました(笑)」(同・映画雑誌編集者)

素晴らしかった織田裕二のセンス

 ウラ話はほかにも。

中居正広さんは“映画の主役をやったら連ドラの主役の仕事も来ますよね”って話していたようで、大森監督は“彼の中では映画よりも連ドラのほうが格上なんだなぁ”とショックを受けていました。木村拓哉さんは中居さんと演技で張り合っていたようですが、“みんな仲がよかった”とも話していました」(同・前)

 大森監督は、織田裕二についてもこんな話をしていた。

'03年公開の映画『T.R.Y.』で、主演の織田さんのアドバイスを取り入れたそうです。織田さんが撮影中に“口出し”するのは有名な話ですが、監督は“彼のセンスは素晴らしかった”と絶賛していましたよ」(芸能プロ関係者)

織田裕二

 古くから親交の深かった文芸評論家の河内厚郎氏は、大森監督が撮りたかったものがあったと明かす。

数年前に“村上春樹さんの小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を映画化したいから、許可をもらいに行くんだ”と話していました。ところが、その後まもなく病気になってしまったんです。彼ならどんな映画を作ったのか、今も気になっています

 そして、こんな話を続ける。

「“現代の社会をとらえることができるのは映画しかない。だから、映画を見ることが大切だ”とよく言っていたのを覚えています。本当に映画への愛情が深い人でした」

 その“愛”こそが、名優たちを世に送り出した─。

『ATARU』撮影合間にタバコを吸う中居正広

 

'89年、デビュー前のSMAP。いちばん後ろが当時15歳の森且行

 

第22回『輝け!日本歌謡大賞』で新人賞を受賞したSMAP('91年撮影)写真/週刊女性写真班

 

木村拓哉 1989年、SMAPは『森永乳業』CMキャラクターを務めた

 

2007年5月、香取慎吾とともにカンヌへ向かう木村拓哉