昭和歌謡のレコード(ディスクユニオンより)

 昭和ソングが見直されている。新海誠監督(49)の新作アニメーション映画『すずめの戸締まり』では井上陽水(74) の『夢の中へ』(1973年)や斉藤由貴(58)『卒業』(1985年)など計11曲が劇中歌として使われている。

『アサヒ生ビール』のCMソングに使われているのは竹内まりや(67)の『元気を出して』。もとは竹内が1984年に薬師丸ひろ子(58)に提供した曲で、のちにセルフカバーされた。

昭和ソングが再注目、なぜまたヒットしているのか

 稲垣吾郎(48)、草なぎ剛(48)、香取慎吾(45)が登場するサントリーの企業CMで使われているのは故・尾崎紀世彦さんが歌った『また逢う日まで』(1971年)。作詞が故・阿久悠さん、作曲が故・筒美京平さんだ。どちらも昭和期を代表する作詞家、作曲家である。

 2人の凄さを探ると、昭和ソングの優れた点も見えてくるはず。2人と仕事をしていた元レコード会社幹部に聞いた。

筒美京平さんの細部までのこだわり

 まずは筒美さんから。太田裕美(67)の『木綿のハンカチーフ』(1975年)や近藤真彦(58)の『ギンギラギンにさりげなく』(1981年)、小泉今日子(56)の『なんてったってアイドル』(1985年)などを作曲した。

「曲づくりの際、我々プロでも気づかないことまで考え抜く人でした。たとえばマッチの『ギンギラギンにさりげなく』にはかなり高音の部分がある。『さりげなく~』のところです。高音が得意でないマッチは歌っていて苦しそうだった。声がよく出ていなかった。

 なぜ、わざわざ高音を入れたのかと不思議に思っていたら、筒美さんは『苦しそうに高音で歌うときのマッチは一番セクシーなんだよ』と笑っていました。そこまで考えているのかと驚きました」(元レコード会社幹部)

 筒美さんは才能に恵まれていたうえ、勉強家でもあった。

「大抵の音楽関係者は欧米の新曲を、日本でレコードかCDが発売された時点で聞いた。一方、筒美さんは全米チャート上位20位から30位のレコードを輸入し、全米でのヒットと同時に聴いていた。筒美さんは常に世界を見据えながら曲を書いていた」(元レコード会社幹部)

 レベルが高かったはずである。阿久悠さんはどうだったのか。都はるみ(74)の『北の宿から』(1975年)、石川さゆり(64)の『津軽海峡・冬景色』(1977年)、ピンク・レディーの『UFO』(1977年)などを書いた人である。

楽曲作りの時は厳しかった阿久悠さん

 筆者がお会いした生前の阿久さんはやさしく、取材で自宅に行ったところ、わざわざ書斎まで見せてくれた。その書斎はこぢんまりとしており、デスクでなくて座机で詞を書いていたのが印象的だった。

「仕事のときは厳しかったですよ」(元レコード会社幹部)

 今もカラオケでよく歌われる、ペドロ&カプリシャスの『ジョニィへの伝言』(1973年)の歌詞には「サイは投げられた」というくだりがある。古代ローマの政治家・カエサルの言葉だ。このくだりで阿久さんと担当ディレクターが激突した。

 担当ディレクターはこのくだりが「難し過ぎる」として、書き直しを強く主張。だが、阿久さんは最後まで譲らなかった。もしも、このくだりが削除されていたら、詞の魅力は大きく損なわれていただろう。

 今と昭和ソングでは作り方がまるで違うという。

「昭和期はディレクター、作詞家、作曲家、編曲家(アレンジャー)らがそれぞれ激論しながら仕事をしていた。まとめ役がプロデューサーだった。今の曲づくりはほとんどプロデューサー任せ。プロデューサーの指示でディレクターが詞や曲を集め、いい部分だけ切り貼りして、1曲作ることもあります」(同・元レコード会社幹部)

 昭和ソングと作り方がそっくりなのがK-POPなのだそうだ。

昭和ソングとK-POPにある“共通点”

「昭和ソングとK-POPが若者にウケているのは無関係じゃないんです。作り方がほとんど同じなんですから。今の日本の曲は売ろうとするあまり、『サビはいいが、ほかはイマイチ』『イントロで奇をてらうから、全体のバランスが悪い』『詞が分かりにくい』といったものが少なくない。だから、残りにくい。3年経つと忘れられてしまう曲が多いですね」(同・元レコード会社幹部)

 いつの時代も自分で曲をつくり、歌うシンガーソングライターは多いが、これも昭和期と今では違うという。

「たとえば中島みゆきさんには瀬尾一三さんという極めて優れたアドバイザーがいる。本業はアレンジャーですが、みゆきさんに適切な助言をしている。一方、今の時代のシンガーソングライターはアドバイザーがいないケースがある。特にバンド系です。すると、方向性の決定や曲の修正がしにくくなってしまうんです」(同・元レコード会社幹部)

 昭和ソングは海外でもウケている。故・松原みきさんが歌った『真夜中のドア〜Stay With Me』(1979年)はSpotifyグローバルバイラルチャートにおいて、2020年12月10日から18日間連続世界1位を獲得した。

海外でも評価され始めた昭和ソング、次の注目は……

 バイラルチャートとはSpotifyからSNSで曲がシェア・再生された回数などをベースにつくられるランキング。信頼度は高い。

 30年以上前の『真夜中のドア』が海外で売れた背景にはSNSやYouTubeの普及がある。国内外を問わず過去の曲が簡単に聴けるようになったからだ。

 竹内まりやも海外で人気がある。『プラスティック・ラヴ』(1984年)を誰かがYouTubeにアップしたところ、2017年からの2年間で2400万回も再生された。その後、竹内のほかの曲も注目されるようになった。

「国内外の昭和ソングの人気はまだ衰えないでしょう。次に海外で脚光を浴びるのは中島みゆきさんだと見ています。詞の意味が分からない外国人であろうが、彼女のメロディに胸を揺さぶられるはずです。似たメロディを書ける人が海外には見当たらないんです」(同・元レコード会社幹部)

 『時代』(1975年)が世界で歌われる日が来るのか。

取材・文/高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)放送コラムニスト、ジャーナリスト。1964年、茨城県生まれ。スポーツニッポン新聞社文化部記者(放送担当)、「サンデー毎日」(毎日新聞出版社)編集次長などを経て2019年に独立。

 

たのきんトリオ(近藤真彦、田原俊彦、野村義男)

 

森昌子、山口百恵、石川さゆりがイベントで手をたずさえる(1975年8月27日)

 

亜星さんが作曲した都はるみの『北の宿から』が『第18回日本レコード大賞』を受賞。作詞を手がけた阿久悠さんとともに表彰された(1976年12月撮影)

 

1981年9月発売の近藤真彦の4作目のシングルレコード『ギンギラギンにさりげなく』