志垣太郎さん

《父 志垣太郎が、2022年3月5日に遠征先の佐賀県において、急な体調異変による心不全により帰らぬ人となりました》

 志垣太郎さんの息子・匠が自身のツイッターで突然の報告をした。

「匠さんは投稿でも、《あまりに突然の出来事であり、私と母は現実を受け止める事ができない状況が続いておりましたが故、発表が遅れてしまいました》と、9か月もたってからの報告になったことを説明。葬儀は一部の近親者だけで内々に済ませたといいます」(スポーツ紙記者)

 東京都出身の志垣さんは1969年に『芸術座』の舞台でデビュー。1971年にはドラマ『おれは男だ!』(日本テレビ系)で森田健作と共演。25歳のときには東海テレビ制作『あかんたれ』で主演を務め、二枚目俳優として脚光を浴びた。声優としてもアニメ『ベルサイユのばら』で“アンドレ”の声を演じるなど、多岐にわたって活躍した。

「1985年には、TBS系ドラマ『水戸黄門』での共演をきっかけに、当時女優だった白坂紀子さんと結婚。その3年後には、2日間に及ぶ難産を乗り越えて長男の匠さんが生まれました。志垣さんは1週間の“産休”を取って病院に泊まり込み、陣痛の際は自分の手が腫れるほどずっと紀子さんの背中をさすり、出産にも立ち会ったと聞きます」(芸能プロ関係者)

『噂の!東京マガジン』を突然降板

 匠は2013年に『和音匠』という芸名で映画デビューし、父と同じ演技の道へ。若いころの父を彷彿とさせる端正なルックスでバラエティー番組などでは父子共演も果たしていたが、志垣さんは人知れず悩みを抱えていたという。

「志垣さんは50代以降、ドラマの仕事が激減。バラエティー番組などのオファーも減り、レギュラー出演していたTBS系『噂の!東京マガジン』も2014年に突然降板となりました。その後は、地方のPR雑誌でのインタビュアー業などをしていました」(同・芸能プロ関係者)

 志垣さんがインタビュアーを務めていた雑誌の担当者に問い合わせたところ、

「今年の1月にお仕事させていただきましたが、元気な様子でした。仕事ぶりも、協力的だったのを覚えています」

 と、特に異変は感じなかったとのこと。

12月6日、文章とともに生前撮影したツーショットを投稿して父・志垣太郎さんの死を報告した匠(Twitterより)

 しかし、志垣さんは陰で“借金問題”を抱えていたとも報じられている。複数人からそれぞれ数百万円単位、合計で数千万円もの借金があったというのだ。

お金を貸したのに返ってこない

 たしかに週刊女性が取材を進めたなかでも、こんな話が。

“志垣さんにお金を貸したのに返ってこない”と、彼が当時、所属していた事務所にも電話がかかってきて、大騒ぎになったこともあったそうです。しばらくたってから、志垣さんはその事務所を急に辞めたと聞きます」(テレビ局関係者)

 志垣さんは2015年のインタビューで、家族について《3人が一緒に一日も長くいられれば》と語っていた。

「佐賀に行く前日にも“俺は100歳まで生きる”と匠さんに語っていたようです」(匠の知人)

 その言葉からは想像できない、あまりにも早い別れとなってしまった。天国の名優は今、何を思う……。

 

12月6日、文章とともに生前撮影したツーショットを投稿して父・志垣太郎さんの死を報告した匠(Twitterより)

 

1974年のフジテレビ系ドラマ『青い山脈』に出演した志垣太郎さん

 

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