紅白初出場時の愛内里菜(2003年)

 “芸名問題”の生みの親は何を思うのか……。

 歌手の愛内里菜が、以前所属していた芸能事務所『ギザアーティスト』から、芸名使用の差し止めを求めて訴えられた裁判にて、12月8日、東京地裁は請求を棄却した。

「事務所との契約終了後、それまで使用していた芸名を使えないというのは芸能界ではよくある話でした。愛内さんの芸名の権利も事務所に帰属していたようで、現在も芸名を名乗り活動していることに対し、訴訟を起こしたわけです」(スポーツ紙記者)

 しかし、東京地裁の判決によれば、

「契約終了後も無期限で会社側の承諾なしに芸名を使用することができない旨の条項は、公序良俗に反するもので無効」

 とのこと。

 この判決を受けて、ネット上では“能年玲奈もまた名乗れるようになるのでは”という声が飛び交った。

「事務所独立後、“能年玲奈”から“のん”に改名した理由が、引き続き芸名を使うためには前事務所の許可が必要だから、というのはファンの間では有名な話。本名である“能年玲奈”に戻ってほしいと願うファンは多いんです」(同・スポーツ紙記者)

 芸能界の慣例を覆すかもしれない、と言われるほど反響の大きい今回の判決。しかし、実は過去に似たようなケースの訴訟が行われていたのをご存じだろうか。

加勢大周さんにまつわる騒動ですね。愛内さんと同じように、事務所側が芸名使用の差し止めを求めてタレントを訴え、結果的には加勢大周さんサイドが勝訴しました」(芸能ライター)

“ふたりの加勢大周”が誕生した芸名騒動

 1991年、当時21歳だった俳優の加勢大周(本名・川本伸博)は、所属事務所に契約解除の旨を通告。これに対し、事務所側が東京地裁にテレビなどへの出演禁止と芸名の使用差し止め、そして5億円の損害賠償を求める訴訟を起こした。

 地裁の判決では事務所側の主張が認められたものの、控訴審で”芸名の使用と活動の自由を保証する“と逆転判決が出たのだった。

「ただ、事務所側の腹の虫がおさまらなかったのか、この判決から1週間後に、新しい俳優“新加勢大周”のお披露目会見が行われたんです。“ふたりの加勢大周”が誕生した一連の騒動はNHKでも報道され、世間からの注目度は高かったですね」(同・芸能ライター)

 結果的には、新旧加勢大周の双方にとって不利益となることを恐れ、事務所側が妥協。お披露目会見から20日後、新加勢大周は坂本一生へと改名し、このドタバタ劇は終幕したのだった。

直撃取材に答えてくれた坂本一生

 当時、22歳の若さでこの騒動に巻き込まれた坂本は、愛内の判決に何を思うのか。現在はジムのトレーナーとして活動する、坂本一生本人に話を聞いた。

「芸名はタレントに使用権があるという判決という意味では加勢大周さんのときと同じですね。加勢大周さんが所属していた事務所インターフェイスから独立し、インターフェイスの当時の社長が加勢大周さんを訴えたけれども事務所が負けましたからね。愛内さんには本来の芸名で堂々と頑張ってほしいと思います

先にセクハラ被害を訴えていた愛内

 加勢大周の裁判の件で事務所が敗訴しているにもかかわらず、今回愛内が訴えられたのはなぜなのだろうか。

「愛内さんが事務所から訴えを起こされたのは2021年5月。しかし、同年3月には、愛内さんが事務所のプロデューサーをセクハラで訴えていた、という経緯があります。最初に訴えを起こしたのは愛内さん側だったわけです。今年10月には判決が下され、こちらは愛内さんが敗訴し、セクハラの被害は認められませんでした」(前出・スポーツ紙記者)

 愛内と事務所の関係が拗れた末の訴訟合戦だったということか。

多額な費用をかけて売り出した名前だから、辞めたあとも使い続けることは認められない、という大義名分が事務所側にはあるのでしょう。しかし、タレントの独立時には事務所側との関係が破綻しているケースが多く、“裏切られた”という感情的な要因も少なからず関係しているんでしょうね」(同・スポーツ紙記者)

 この先、“新愛内里菜”や“新能年玲奈”が誕生することはないと信じたい。

 
現在もアーティストとして活躍する愛内里菜(公式インスタグラムより)

 

現在もアーティストとして活躍する愛内里菜(公式インスタグラムより)

 

紅白初出場時の愛内里菜(2003年)

 

日焼けした肌に白い歯、金髪で笑顔を見せてくれた坂本一生