雅子さまが婚約内定後にお出かけされる際は、ファッションに注目が集まった。平成5(1993)年3月

 キャリアウーマンから新時代の皇后へーー。パンツスーツにハイヒール姿がお似合いの雅子さま。これまでに歩まれた平坦とは言いがたい道程をたどり、その時々のファッションから胸のうちを読み解くくと、令和の皇后陛下の“素顔”が垣間見えてくる。

 今回は特別に愛蔵版写真集『雅子さま 麗しき愛と絆 30年の輝き』(主婦と生活社刊)に掲載された『“雅子さま流”ファッションで振り返る30年の軌跡』の記事を全文掲載する。

「雅子さまが歩まれた30年を振り返ると、ファッションが、その時々の胸のうちを推し測る“バロメーター”になっていたように思えます」

 そう語るのは、雅子さまと同世代で、10年以上にわたり皇室を取材するフリーライターの佐藤あさ子さん。'19年6月、皇后になられてから初めての地方公務となった『全国植樹祭』のため、愛知県にお出かけになった雅子さまの装いは“新時代の皇后”を印象づけるものだった。

毎回異なる洋服でお出かけを

「上品なライトグレーに白のパイピングが施されたパンツスーツ。白と水色のバイカラーのハイヒールでJR東京駅のホームを颯爽と歩かれるお姿は、まさにキャリアウーマンでした。公務に出発されるときもスカートをお召しになっていた美智子さまとは異なる、“雅子さまらしさ”にあふれていたのです」(佐藤さん、以下同)

 皇室に新しい風を吹き込まれた雅子さまのファッションを、写真とともに振り返ってみる――。

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《お妃候補・小和田雅子さん電撃浮上!》

『週刊女性』がそれまでまったく取り沙汰されていなかった女性外交官の名を報じたのは'87年12月のこと。

「ハーバード大学を卒業され、東京大学在学中に外交官試験に合格。'86年施行の『男女雇用機会均等法』が適用された“1年生”として外務省に入省された才色兼備の雅子さまは、多くの女性の憧れの的でした。

 お出かけの際は、毎日違う格好で“いくつお洋服をお持ちなのだろう”と、不思議になるほど。お仕事柄、たくさんのお洋服が必要だったのでしょう。赤や青などのビビットカラーのお召し物は、着慣れていないと無理をしているように見えてしまいますが、雅子さまは決して服に負けていなかった

 皇太子さま(当時)との婚約が正式に内定したのは'93年1月。雅子さまは29歳だった。

「婚約会見にカナリア色のワンピースで臨まれた際は、“なぜスーツをお召しにならないのか”と、少し残念に思いました。大学院生時代に秋篠宮さまと結婚された紀子さまに対し、雅子さまは皇室で初めて社会に出てからのご結婚。新しい風を吹かせてくださるだろうと期待していたのですが、従来のロイヤルファッションにならっているように見えてしまったのです」

雅子さまを象徴する洋服

 同年の6月9日に皇太子妃となられてからは、洋装や着物、公務や日常の場面に応じたお召し物選びを楽しまれるようになった。

「紀子さまは、パステルカラーを基調とし、ビーズやリボンなどで装飾されたかわいらしい雰囲気のお召し物が多かったのですが、雅子さまは、肩パッドの入った洋服やダブルボタンのついたジャケットなど、当時流行ったトレンディドラマに描かれる“働く女性”を体現されていました。ビビットカラーを選び、ジャケットにはパンツやタイトスカートを合わせることが多く、装飾を控えたシンプルなデザインがよくお似合いでした」

鮮やかな色と淡い色を対象的に着こなされる雅子さまと紀子さま。平成10(1998)年5月/JMPA

 飾りが簡素である代わりに首周りで遊ぶのが“雅子さま流”。

「外交官時代から、さまざまな色や柄のスカーフ使いがお上手でした。皇室入り後は、『園遊会』などの華やかな場面では大きなボウタイのついたブラウスを着用されたり、2連のパールネックレスを選ばれたり。もちろん、スカーフをお召しになることもありました」

 数あるコーディネートの中でも、特に佐藤さんの記憶に残っているのは、

「初めて海外を訪問された'94年11月、サウジアラビアにある『赤い砂漠』での緑のロングジャケットです。デザインしたのは伊藤和枝さんですが、イスラム教徒にとって聖なる色とされている緑を選ばれたのは、“皇室外交”という夢を抱いて結婚された雅子さまを象徴するエピソードです。'90年代の雅子さまは、実にさまざまなデザインのファッションを楽しんでいらっしゃいました」

 '01年5月には第一子のご懐妊が発表された。マタニティファッションといえば、ゆったりとしたドレスを着ることが多いが、雅子さまは妊娠されている間もスーツスタイルを守り通した。

「ロング丈のジャケットは、お腹の膨らみを目立たせないようにウエスト部分が絞られています。ご出産後、普通のスーツにリフォームすることを念頭に置いて作られていたのでしょう。お召しだったタイトスカートからは、“お仕事”に対する意識の高さがうかがえました」

「気分が上向いている」と感じた“インナー”

 同年の12月1日に愛子さまをご出産。母となられた雅子さまは、公私ともに白やベージュなどの淡い服装をお選びになる機会が増えていった。「生まれてきてありがとう」と涙ぐまれた、愛子さまのご誕生に際しての記者会見でも、パステルブルーのスーツを身にまとわれている。

 しかし、'04年7月に『適応障害』と診断された後、ファッションにも変化がみられた。

「ご体調が優れなかったときはグレーやネイビーなどのダークトーンをお召しになることが多かったように思います。特に、ネイビーに白のストライプが入ったジャケットがお気に入りで、何度もお召しになっていました。ただ、愛子さまの学習院幼稚園や同初等科の入学式、'06年のオランダご静養など、重要な場面での“勝負服”はいつも白でした」

雅子さまがご静養の際によくお召しになっていたストライプ柄のスーツ。平成18(2006)年7月/JMPA

 ‘10年3月には、初等科2年生の愛子さまに関して、鞄を投げるなど乱暴な生徒がおり、通学に不安を抱かれていると宮内庁・東宮職が公表した。雅子さまは毎日のように、愛子さまに付き添って登校された。その時はいつも、ネイビーやグレーなどの暗い色の服を身に纏われていた。

「付き添い登校が終わった'12年ごろ、学習院大学で行われたイベントにお出ましになった雅子さまのスーツのインナーがサーモンピンクだったことは、印象強く残っています。それまでの洋服は基本的に寒色系をお召しになる機会が多かったので、“気分が上を向いているのかもしれない”とうれしくなりました」

 ‘13年には、東日本大震災の被災地である東北3県を回られたが、ご体調には波がある状態が続いた。新年一般参賀や各行事の折に、見覚えのあるドレスをお召しになることも。

「ギリギリまでご体調を見て公務への参加を決められる場合、事前に衣服を新調するのは難しくなります。お出ましになることを目標にするのが精一杯だったのかもしれません。ファッションの優先順位は次第に後回しになってしまったように感じました」

雅子さまの“働く服”は今も昔も変わらない

 令和になってからも、10〜20年前に着用されたお召し物をリメイクして着こなされる場面を見かけるが、

「お代替わりにともなって、スーツやドレスを新調されたようです。例えば'19年10月の『海外日系人大会記念式典』でのオレンジ色のスーツは、新調されたのではないでしょうか。鮮やかな色のお召し物は、多くの人を明るい気持ちにさせてくれたと思います」

 ‘20年に入ると、新型コロナウイルスの影響によりお出ましの機会が激減。国民との交流がとても困難なまま迎えた'21年の元旦、両陛下は約6分半にわたる新年ビデオメッセージを公開された。天皇陛下と皇后陛下が並んでビデオメッセージを出されるのは皇室史上、初めてのこと。

新年のビデオメッセージにはやさしい色味のスーツで臨まれた。令和3(2021)年1月/宮内庁提供

「雅子さまは、18年ぶりにご自身の声で国民に語りかけるという大役を果たされました。お召しになったのは、柔らかいピンクベージュのスーツ。甘くも辛くもなく、押しつけがましくない絶妙な色味に、優しくてあたたかいお人柄が伝わってくるようでした」

 ご成婚30年。平坦とは言い難い道を歩んでこられた雅子さまに対して、佐藤さんは最後にこう締めくくる。

「お好きな服を自由に着こなしていただきたいです。雅子さまにとっての“働く服”はきっと、今も昔もお変わりないのだから」

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