徳川家19代当主・徳川家広さん

「もう50年以上徳川宗家として生きてきましたから、慣れちゃいました(笑)」

 柔和な笑顔でそう語るのは、1月1日に徳川宗家19代当主を継いだ徳川家広さん(57)。18代当主で父親の恒孝さんが引退した後を受けた形だ。ネット上では早くも「19代目、家康にそっくり!」と話題を集めている。

徳川宗家としての半生

 1月8日からは、松本潤主演のNHK大河ドラマ『どうする家康』が放送スタート。“家康ブーム”の到来が予感されるいま、家広さんに家督継承にあたっての抱負や、徳川宗家としての半生を聞いた。

「学習院初等科の面接で“僕は19代目なんだよ”と言ったらしいんです(笑)。でもまったく覚えていないんですよ」

 関ヶ原の戦いを制して天下統一を果たし、江戸幕府を開いた徳川家康。日本人の誰もが知る徳川家に生まれ育った家広さんだが、意外にも「子ども時代に徳川家を意識したことはそれほどない」という。

「ご先祖様が……、なんて話は日常であまり出てきませんでしたね。ただ、祖父母の思い出話なんかは熱心に聞いていました。江戸時代よりも、明治から昭和にかけての戦前の、16代の家達のことなどを、祖母がよく話していました」

 徳川宗家の16代目にあたる家達氏は、今では知る人も少ないが、歴史上重要な人物である。

「徳川御三卿の一つ、田安徳川家に生まれた家達は6歳で最後の将軍・徳川慶喜の養子となって、宗家の当主となりました。徳川宗家、という言い方は、そのときからです。それまでは将軍家だったんですね。

 その後、帝国議会の貴族院の議長を30年も務めた家達ですが、16歳から約10年間イギリスに留学した国際派でもありました。それで家達が結婚して子どもができ、孫ができると、イギリス風の賑やかな団らんを楽しむ家風になったようです。当時の殿様やお公家さんの家庭では、かなり異色なようです。さらに私の父、恒孝も会津松平家の分家からの養子ですが、こちらも国際派だったので、堅苦しさは代を重ねるごとに薄まっているように思います(笑)」

偉人の子孫が集まる学習院では注目浴びず

 学習院には旧華族の子孫が多く、「徳川宗家」であるがゆえに注目を浴びることもなかった。父・恒孝さんが初等科で学んだ時代には、徳川さんや松平さんと、島津さんや毛利さんらがクラスメートで、まるで偉人たちの子孫が集まる漫画のような状況が繰り広げられていたという。

「私の代では、岩倉具視の子孫である岩倉君が同級生でした。学習院は、高校までは皇族でも特別扱いしません。そこがよかったんです」

駿府城公園にある、徳川家康像。家広さんと雰囲気が似ている!?

 父親の仕事の都合で、小学校1~4年をアメリカ・ニューヨークの郊外で過ごす。帰国後、高校卒業までは学習院で学び、卒業後は一般入試で慶應義塾大学経済学部へ。当時の夢は小説家。文芸サークルで仲間とともにSFやファンタジーの作品を書いていた。

「家庭教師のアルバイトもしていましたよ。英語は帰国生で自然に身についていたから逆に教えるのは苦手。数学は受験で苦労したので、上手に教えられました」

 大学卒業後は、ミシガン大学に進み経済学修士号を取得。

「慶應で勉強しなかったぶん、このころはうなされるほど勉学に励みました(笑)」

 その後は国際連合の専門機関である、国連食糧農業機関に勤務する。そして、再び渡米しコロンビア大学で政治学の修士号を取得することになるのだが、実はベトナム時代に、なんともロマンチックな運命の出会いを果たす。

今の奥さんとの出会い

「ローマ本部に勤務したあと、ベトナムの農林省に出向し現地で技術指導を行うことになりました。そのとき、現地で妻と出会いました」

 ベトナム語習得のため、家庭教師について勉強していた家広さん。いつもの先生が風邪で来られなくなり、代わりにやってきたのが、英語が堪能な今の奥さんだった。当時『徳川宗家がベトナム人女性と結婚!』と週刊誌などで報じられた。徳川の家系に初めて外国人が入るとあり、周囲の反対もあったと報道されたが─。

「もちろんびっくりはされましたが(笑)、家族に会わせてみると“いい子だね”と祝福してくれましたよ。ベトナムでは浄土宗と臨済宗の仏教徒がほとんどで、彼女は敬虔な浄土宗。お寺に参拝したときの手の合わせ方を見て、彼女なら大丈夫だと確信しました。それよりも、日本の生活になじめるかが心配でしたね」

 徳川家などまるで知らない妻。加えて当時のベトナムはまだインフラも完全には整備されておらず、牧歌的な雰囲気。現地で家族とささやかで温かい式を挙げたあとは、少しずつ都会に慣れてもらうためにバンコクで短い新婚生活を送ったという。

 帰国後は経済評論家や翻訳家、大学の客員教授として活動しながら、2019年に参議院選挙に立候補した。徳川家とゆかりの深い静岡選挙区からの出馬で、一貫して「脱原発」と「反改憲」を訴えた。惜しくも3位で落選したが、約400年前に確固たる意志をもって泰平の世を目指し戦った、家康の姿とも重なる。

メタバース、SNSで徳川家広報活動を

 現在は徳川記念財団の理事長も務める家広さん。19代継承を記念し、広島の老舗菓子店、にしき堂が製作した和菓子『楓果』の発売にあたっては、自ら何度も試食を繰り返した。「継承に関する儀式が重なった昨年が、いちばん忙しかったかも」という多忙な日々のなかで、SNSやYouTubeなど、これまでにないさまざまな試みにも精力的に挑戦してきた。

 コンピューター内に構築した、3次元の仮想現実世界で、日本初のメタバース『江戸バース』も、ユニークで新しい取り組みのひとつ。家広さんは、巨大な仮想空間上の江戸の町の監修を担当。昨年7月に江戸城周辺の土地NFTを販売したところ、なんと1時間で完売! 元サッカー日本代表の本田圭佑氏が購入したことでも注目された。

「現在も鋭意制作中で、今後は江戸城に入城もできます。大河ドラマの放送が終了する年末ごろ、全面的にメタバースとして開ける予定です」

 NHK大河ドラマで家康が主人公となるのは、1983年に滝田栄が演じた『徳川家康』から40年ぶり。家広さんは新しい“家康像”に期待を寄せる。

「おそらく乱世が大好きだったであろう信長や秀吉と違い、家康公は平和を切実に希求していたと思います。武田信玄や上杉謙信のような派手なエピソードはありませんが、若いときは苦労の連続で、優しい人柄。

 戦国時代ではかなり異質で、平和の時代を生きる私たちの感覚に近いのではないかと思います。そういう意味でも、現代の若者の代表である松本潤さんが演じられるのはぴったりなのかもしれません」

 ドラマの開始とともに、令和の新当主となった家広さん。

「これからは、もとの仕事だった文筆業を早く再開したいです」

 と語る、19代当主の今後の活動にも注目したい。

<取材・文/植木淳子>

'18年、6月末に西日本を襲った集中豪雨。避難所となっている矢野南小を訪れ、ツーショット撮影に応じる松本

 

2次会会場を後にする松本(左)と小栗(右)

 

2次会会場を後にする松本(左)と小栗(右)

 

2次会会場を後にする松本(左)と小栗(右)

 

NHK大河ドラマ『どうする家康』で主演・徳川家康を演じる松本潤 撮影/渡辺智裕(会見)