森喜朗元首相

 森喜朗元首相の発言がまたもや物議を醸している。

 1月25日に都内ホテルで行われた日印協会の会合に出席した森氏。「ロシアのウクライナ侵攻」について触れた内容が、その日のうちに『共同通信』や『朝日新聞デジタル』にて伝えられると瞬く間にネット上に拡散されたのだ。

 その問題とされた発言が以下の通り(『朝日新聞デジタル』より)。

せっかく(これまでロシアと良好な関係を)積み立ててここまできているのに、こんなにウクライナに力入れちゃっていいのかな。ロシアが負けるってことはまず考えられない。そういう事態になればもっと大変なことが起きる。そういうときに日本がやっぱり大事な役割をしなきゃならん。それが日本の仕事だと思います。】

 聴衆を前にして揚々と語る森氏の姿が容易に想像できる。

 2022年2月末から現在も続く、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻。アメリカ・BBCによると、同年11月時点での両軍の死傷者は約20万人にも及ぶという。

 日本政府は当初よりロシア批判の姿勢を見せ、岸田文雄首相もまた5月に《ロシアによるウクライナ侵略は、断じて許されません。無辜(むこ)の民間人の殺害など、重大な国際法違反を繰り返しています。》との声明を出している。

 そんな中での元首相による“ロシア擁護”とも、政権批判ともとられかねない発言。同会合には岸田首相も出席したようだが、滞在時間は5分ほどとのことで耳には届かなかったのは幸か不幸か。

首相としての初外遊がロシア

「おそらくは森さんなりの国際情勢を見据えた発言なのでしょうが」と苦笑いするのはキー局報道部の政治記者。

 確かに内容を紐解けば、日露の“友好関係”の維持を訴えた上で、最後には「日本の役割」や「日本の仕事」と世界における今後の“日本の立ち位置”を示した発言にも思えなくはないが……。

 2000年4月、脳梗塞で倒れた小渕恵三元首相の後を継いで、急きょ内閣総理大臣に就任した森氏。同じく健康上の理由で退いたボリス・エリツィン元大統領の代行を務めた後に、2000年5月に正式就任したのがウラジミール・プーチン大統領。

 そして、森氏が首相として初の外遊先に選んだのがロシアであり、プーチン大統領との“新任”同士の首脳会談が実現したのだ。

「約1年間の在任期間でしたが、プーチンとの面談回数は当時のビル・クリントン大統領を上回ったほど。首相退任後も何かにつけてはロシアに渡り、“非常に尊敬している人物で、私の最も重要な友人”とプーチンとの友情をアピールしていました。

 おそらく“ロシアとの友好関係を築いたのは自分の実績”との自負があり、今なおプーチンとは“同期”のお友達で、また相手も自分に対して同様の思いを抱いていると信じているのかもしれません」(前出・政治記者、以下同)

 2019年にも、悲願だった『ラグビーワールドカップ・日本大会』開幕戦の招待状を手渡したという森氏だが、プーチン大統領の来日はついぞ叶わずーー。

ロシアのお友達なら“助言”を

 そんな森氏とプーチンの背景もあってのことだろう。同氏から飛び出した「ロシア負けない」発言に対して、ネット上では総ツッコミが起きている。

《それであんたたちはロシアから何を得たの?北方領土の1つも取り返せないくせに!私腹でも肥やしたのかしら?》

老害!過去にしがみついて自己評価はいいが情勢は刻々と変化している。かなり高齢により視野が狭まってきているようですね》

《森さんもロシアのお友達ならプーチンに「そろそろいい加減にしたらどうだ、ん?ウラジーミル」といってあげればいいのに。本当の友達ならね》

 2022年11月にも『日本維新の会』鈴木宗男参院議員のパーティーに出席した際に、プーチンに批判が向いていることに触れて【ゼレンスキー氏は、多くのウクライナの人たちを苦しめている】と、逆にウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領を批判するような持論を展開した森氏。

「さらにはプーチンのメンツを慮ってか、“核を使うかもしれない”との問題発言も飛び出した。もちろんロシアとの距離を縮めた政治家として、一定の理解や評価する声も聞こえるのは確か。

 そでれも、一連の発言は“お友達への肩入れ”と受けとる方が多いでしょう。思い出は年を重ねるほどに美化されやすい、とも言いますからね」

 お友達に直接、連絡をとってみてはどうか。

 
2021年11月29日、イスから立ち上がる際には杖を使うなど、体調はあまり優れない様子の森元首相。演説は10分ほどだった

 

五輪・パラ関連イベントで楽しげな森喜朗組織委会長と小池百合子都知事

 

森喜朗

 

ロシア連邦のウラジーミル・プーチン大統領。2017年にナショナルジオグラフィックが放送したインタビュー番組『プーチン大統領が語る世界』より