山本譲二さんと悦子さんの結婚当初。山本さんは悦子さんに一目ぼれで、猛アタックしたという

 病は突然訪れる。それは芸能人も同じこと。励まし合い、助け合いながら病気を乗り越えたとき夫婦にはさらに強い絆が生まれる。「つらく苦しい闘病生活はお互いがいたからこそ頑張れた」そう語る山本譲二・悦子夫妻に当時を振り返ってもらった。

 山本譲二さんの奥さんは、元女優の植木絵津子さん。本名は悦子さんといい、山本さんは“悦ちゃん”と呼んでいる。

苦渋の決断で右耳の聴力を諦めた矢先、妻ががんに

「一目ぼれでね。本当にかわいかった! 俺は売れない歌手だったのに、悦ちゃんはドラマやCMにも出ていたんですよ。ヒモのような存在だった俺のことを見限らずにいてくれました」

 山本さんが36歳、悦子さんが31歳のときに結婚をした。2人の娘に恵まれ、演歌歌手としてベテランと呼ばれるようになり、そろそろ60代になろうかというときに、突然訪れた身体の不調。耳がおかしいのではないかと最初に気がついたのは悦子さんだった。

「良性の腫瘍だったけれど、手術をしなければ聴力が失われ、手術をすれば顔に麻痺が残る可能性があるとのことで」

 顔に麻痺が残れば歌えなくなるかもしれない。苦渋の決断で、右耳の聴力を捨てた。

 悪いことは続くというが、翌年には妻が乳がんに。「お母さんは死んじゃうの?」と聞いてくるまだ学生だった娘たちを励ましながら、自分でも、どうしていいかわからなかったと山本さん。

「手術、その後のホルモン療法中も、弱音は一回も吐きませんでした。悦ちゃんは俺の心の杖なんです。失くしてなるものかと思いましたが、僕にできるのは心の中で祈ることぐらいでした」

夫婦で続けざまにがんに、闘い続けた日々

手術の翌日の病室にて。痛くてたまらなかったけれど家族が支えてくれたと山本譲二さん

 家族の思いが通じたのか、悦子さんは乳がんを乗り切った。しかし夫婦の試練はまだまだ続く。69歳のときに今度は山本さんに大腸がんが見つかったのだ。7時間に及ぶ手術を受け、腸を20センチも切除。

「今までは、太く短い人生を送ればいいんだと言い続けてきたけれど、がんという現実を前にして、そんなのは強がりでしかなかったとわかりましたよ。病室の白い壁に向かって、家族のために生きていたいと手を合わせることもありました」

 そんな夫を悦子さんはどう見ていたのだろう。

「頑張れとか、1度も言わなかった。毎日病室に来ては、明るく振る舞って、ケラケラと笑って帰っていきました。

 自分もがんと闘った経験があるからこそ、術後の痛さ、つらさを知っている悦ちゃん。本当は痛くてたまらない俺。夫婦だから、余計なことを言わなくたって互いの気持ちがわかっているんだよね」

 それでも、気丈に振る舞っていた悦子さんの感情が一気に噴き出した瞬間が。

「抗がん剤治療は必要ないと聞いた瞬間に泣き崩れたんですよ。抗がん剤治療で俺が苦しまなくてすむ、転移の心配も少ないってわかって、安心したんだね。抱き起こしながら“悦ちゃんありがとう”って素直に言葉が出ました」

 それから10年以上、夫婦で病気と闘い続けてきた。

「つらいことが重なったけれど、そういう年回りなんだと思うんだよね。親が老い、自分や連れ合いの身体に不調が出るようになる。つらいことが起きるのは生きているから。俺は何とか苦しい時を乗り越えられた。

 それは、病気だけでなく、人生の大事なポイントで、いつも悦ちゃんに助けてもらってきたから。悦ちゃんあっての俺なんです。山本譲二は、これからもまだまだ歌いますよ

お話を伺ったのは……

山本譲二さん○30歳のときに『みちのくひとり旅』がミリオンセラーになり歌謡各賞を総ナメにし、演歌・歌謡界で確固たる地位を築く。最新シングル『睡蓮』好評発売中。USEN(C-42ch)『ジョージのぶち好きやけー!』、東海ラジオ『山本譲二の住まいるフレンド』放送中。糟糠の妻と支え合いながらがんを乗り越えた体験を綴った初エッセイ『いつか倖せ来るじゃないか』(KADOKAWA発行)。

取材・文/水口陽子