岸田文雄首相秘書官の差別発言による岸田政権への打撃は深刻だ

 岸田文雄首相が2月4日、LGBTQなど性的少数者や同性婚のあり方をめぐる「差別発言」をした荒井勝喜首相秘書官(55)=経済産業省出身=を即時更迭した。ただ、事の重大さから政権崩壊への“蟻の一穴”にもなりかねないだけに、政府与党幹部らは頭を抱えている。

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「旧統一教会(世界平和統一家庭連合)」や「政治と金」が絡む醜聞による昨年末までの4閣僚辞任に続く、政権を揺るがす不祥事。通常国会での2023年度当初予算案審議の混乱だけでなく、国際社会で「人権軽視の日本」との批判を招くのは確実で、いったんは下げ止まった内閣支持率が再下落すれば、自民党内でも岸田首相の早期退陣論が台頭しかねない。

オフレコ取材で同性婚「見るのも嫌だ」

 荒井氏の差別発言は週末を控えた3日夜に飛び出した。同氏は、首相官邸でオフレコを前提とした取材を受けた際、「(同性婚カップルが)隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ。秘書官もみんな嫌だと言っている」と発言。同性婚の合法化に関しても「認めたら、日本を捨てる人も出てくる」などと語った。

 岸田首相が1日の衆院予算委員会で同性婚をめぐり「家族観や価値観、社会が変わる課題だ」と答弁したことについての質問に答えたもの。本来は政府要人のオフレコ取材での発言は、個人名を特定するような報道は控えられている。しかし「あまりにもひどい発言」として、取材した毎日新聞が荒井氏に通告したうえで実名報道した。

 あわてた荒井氏は3日深夜、改めて記者団のオンレコ取材に応じ「やや誤解を与えるような表現をし、大変申し訳なかった。特別差別的な意識を持っているわけではない」「完全に個人の意見だったが、撤回させていただく」などと平身低頭で謝罪した。

 しかし、政府与党内では直ちに「更迭するしかない」との声が噴出。事態を深刻に受け止めた岸田首相は4日朝、地方視察への出発時に首相公邸で記者団に対し「言語道断だ。厳しく対応せざるをえない」と沈痛な表情で語り、4日午後には視察先で更迭を明言。同日夜までに経産省秘書課長の伊藤禎則氏(51)を後任に就けた。

 首相秘書官が失言で即時更迭されるのは「過去に例がない」(内閣官房)。荒井氏は2008年に、岸田首相が内閣府特命相だったときに部下として仕え、現在の嶋田隆首席秘書官の経産事務次官時代は直属の総務課長。このため、岸田首相と嶋田氏の双方から信頼される「首相秘書官の軸」(官邸筋)と位置付けられていた。

 荒井氏は、岸田首相の演説の“スピーチライター”も担当し、安倍元首相の国葬での岸田首相の弔辞も荒井氏がまとめたとされる。まさに「首相の身内の暴言」となっただけに、人権を重視する欧米各国は「岸田政権の人道軽視の表れ」と受け取る向きが多く、今後の岸田外交にも悪影響を及ぼすことは間違いない。

相次ぐ「秘書官チーム」の失態が政権危機に直結

 1月に岸田首相に同行して欧米を歴訪した長男・岸田翔太郎首相秘書官が、公用車で観光地を訪れたとされる問題が批判されたことに続く、官邸秘書官チームの失態。与党内では「政権危機につながる事態。秘書官1人を代えて収束する問題ではない」(自民幹部)との声が相次ぐなど、岸田政権への打撃は「過去最大」(同)とみられている。

 これを踏まえ、岸田首相の最側近で“知恵袋”とされる木原誠二官房副長官は、5日午前のNHK番組で、「きわめて深刻に受け止めている。多様性を尊重し、包摂的な社会をつくろうと一貫して取り組んできた岸田政権の方針とまったく相いれない」と深刻な表情で語った。

 そもそも岸田内閣は、昨年8月の改造後、「旧統一教会との癒着」「政治と金の醜聞」で、年末までに4人の主要閣僚が辞任(更迭)などを余儀なくされてきた。しかし、岸田首相は、いずれも当事者の「説明責任」を優先し、国会などでの対応をみたうえで事実上更迭するという対応が、「優柔不断ですべてが後手」(立憲民主幹部)と批判された。

 そうした経緯もあり、しかも荒井氏の発言は「明白な差別で時代錯誤そのもの」(官邸筋)だっただけに、岸田首相も「直ちに対応をしなければ、政権崩壊につながるとの危機感」(同)から、即時解任を決断したのが実態とみられる。

 荒井氏は、神奈川県出身で高校卒業後、横浜市役所に勤務してから早大政治経済学部に進学。奨学金を得ながら卒業し、1991年に通商産業省(現経産省)に入省した苦労人。その経歴から「異能の官僚」とも呼ばれ、将来の事務次官就任が有力視されていた人物だ。

 荒井氏の差別発言に対し、性的少数者の全国組織「LGBT法連合会」は4日、「時代錯誤の認識だ」と批判する声明を公表。とくに、荒井氏が同性婚の法制化などについて「秘書官室もみんな反対する」と述べたことについて「5月の広島G7サミット議長国として国際的に日本の立場が問われる発言。岸田首相の見解が問われる」と指摘し、差別禁止法を今国会で制定するよう求めた。

 一方、憲法学者で東京都立大学の木村草太教授は4日、自身のツイッターで岸田首相が「言語道断」と荒井氏を更迭したことについて、「では現内閣が、同性婚法案を国会に提出しようとしない理由は、荒井氏の発言とどう違うのだろうか?」と指摘した。

 また、同性愛を公表した立憲民主の石川大我参院議員も4日、自身のツイッターに、荒井氏が「同性婚を導入したら国を捨てる人もいる。首相秘書官室全員に聞いても同じことを言っていた」と発言したとされることについて、「首相秘書官室全員の懲戒免職を求める」と書き込んだ。

順調だった予算案審議に混乱も

 こうした各方面からの厳しい批判や反発は、国会運営にも跳ね返ることが確実だ。1月23日に開会した通常国会は、来年度当初予算案の基本的質疑を終え、一般質疑にさしかかったばかり。児童手当の所得制限廃止問題や防衛増税など審議すべき課題は山積しており、「審議時間が足りない」(立憲民主)のが実態だ。

 6日の衆院予算委一般質疑では、「差別発言の詳細やその経緯」などをめぐって与野党が対立、審議が中断するなど混乱した。これと並行して岸田首相は記者団に対し「今後も国会審議を通じて丁寧に説明していく」と硬い表情で繰り返した。

 今後の国会日程をみると、8日には少子化対策や防衛増税などをテーマとした予算委集中審議が設定され、10日は地方公聴会が実施される。ただ、今回の官邸の失態で、これまできわめて順調だった予算案審議の混乱も想定されるだけに「事態は深刻」(自民国対)だ。

 1月のメディア各社の世論調査を分析すると、焦点の内閣支持率については「一部の調査で過去最低を更新したが、トータルでみると支持率は下げ止まり、回復傾向にあった」(政治アナリスト)のが実情だ。

 だからこそ、岸田首相も「地道に成果を挙げれば、国民の信頼も回復する」と自らを鼓舞し、年明け以降、政権維持への自信をにじませていた。それだけに、今回の荒井氏の暴言による政権への打撃の深刻さには「首相自身が打ちのめされている」(首相周辺)とされる。

 このため、今後の内政・外交両面での政策決定などで岸田首相の求心力喪失が際立てば、「本物の政権危機が到来する」(岸田派若手)ことは避けられそうもない。


泉 宏(いずみ ひろし)Hiroshi Izumi
政治ジャーナリスト
1947年生まれ。時事通信社政治部記者として田中角栄首相の総理番で取材活動を始めて以来40年以上、永田町・霞が関で政治を見続けている。時事通信社政治部長、同社取締役編集担当を経て2009年から現職。幼少時から都心部に住み、半世紀以上も国会周辺を徘徊してきた。「生涯一記者」がモットー。