井崎義治流山市長

「母になるなら、流山市。」「父になるなら、流山市。」――。そんなキャッチコピーを掲げる流山市が話題を集めている。

 同市は、総務省が発表する「人口動態調査」で、'16年から'21年まで6年連続で全国の市の中で「人口増加率首位」を維持。この10年間で、流山市の人口は3万8000人も増加した。驚くべきは、子どもの数だ。'05年に7997人だった0歳~5歳の人口は、'22年はほぼ倍増の14439人にまで伸長。少子化問題が喫緊の課題となる昨今、流山市は“例外”といえる成果をあげているのだ。

20年間で人口が約4割増え、税収も約8割増加

「少子化を止める方法は、給食費や保育園の無償化といった給付型・配布型の施策も大事ですが、仕事をしながら子育てができるインフラ整備も欠かせません。流山市は、後者に注力してきました

 そう語るのは、流山市の井崎義治市長(69)。'03年に流山市長になって以降、一貫して流山市の魅力を向上させ続けてきた改革者だ。

「保育園に入れなければ、共働きの子育て世代はその街に住みたいとは思いません。車を購入したら駐車場が必要なように、安心して子どもを育てながら働くためには、保育園の整備と拡充が必須です」(井崎市長、以下同)

 '10年に市内に17か所しかなかった保育園の数は、井崎市長の号令によって、'22年時点で100か所にまで増加した。保育士を確保するため、「処遇改善」として市から保育士1人に対し毎月4万3000円の補助、さらには同市であらたに保育士になると最大30万円を受け取れる「就労奨励金」('22年度で終了)や、月額最大6万7000円の「家賃補助」といった保育士を厚遇する施策を打ち出し、実現させた。

「令和4年度は、流山市の税収入の約13%を使って、共働きの子育て世代の基本的インフラである保育所整備等を進めました」

 朝、流山おおたかの森駅にある送迎保育ステーションを訪れると、その本気度がうかがえる。出勤する保護者は駅の近くで子どもを預け、子どもたちはそこからバスに乗り込み、それぞれの保育所などに送り届けられる。夕方になると、仕事帰りの保護者が子どもたちを駅でピックアップする。自宅から保育所まで700メートル以上離れていることが条件だが、流山市民はこのサービスを1日100円(月額最大2000円)で利用できるという。

保育士を厚遇することによって保育園の人材不足問題を解消し、待機児童ゼロを実現 ※写真はイメージです

「以前は、保育園まで遠回りして送り届けてから出勤して……朝からクタクタになることも少なくなかった」とは、利用者のお母さんの声。2年前まで都内に住んでいたそうだ。保育士の確保と保育園のインフラを整備した結果、保育園“難民”となった首都圏の子育て世代が、都心から20キロ圏にある流山市に次々と移住。人口増加率と合計特殊出生率が紐づき、少子化が叫ばれる中でも人口が増えることを流山市は証明した。

流山市の税収の5割は市民税です。共働きの子育て世代は、2インカムの方々ですから担税力があります。流山市は、この20年間で人口が約4割増え、税収も約8割増加しました。約8割も増えているからこそ、先述したようなインフラ整備を実現することができた」

 また、人が増えると労働力の確保もしやすくなる。楽天やアマゾンなどの商品を発送する巨大物流倉庫を運営する、日本GLPや大和ハウス工業をはじめ、昨今は流山への企業の進出も活発化しているという。

「共働き世代に選ばれる街づくりと、そこで子育てができる環境を整えることは、少子化対策の両輪」と井崎市長が語るように、いかに戦略性をもって、グランドデザインを描くかが大事なのだ。

 実は、井崎市長の前職は、都市計画コンサルタントだった。'89年にアメリカから帰国すると、流山を移住先として選んだ。その理由を問うと、「都市計画コンサルタントとして、流山の未来に可能性を感じた」。そう井崎市長は微笑む。

 だが、当時の流山市は、つくばエクスプレスが開通するという楽観視からか、旧態依然とした市政が続いていた。居ても立ってもいられなくなった井崎市長は、'99年、無所属ながら流山市長選に立候補する─が、次点で落選。それからは、一層草の根で市民と対話を重ね、4年後の市長選で、見事に当選を果たした。

認知度の低さをチャンスに変えた「マーケティング課」

「当時の流山は認知度が低く、誰に聞いてもイメージは湧かないというものでした。しかし、私はチャンスだと思った。イメージが悪いと払拭することに時間がかかるが、“白紙”となるとこれから作り上げていける

 その言葉どおり、流山市役所には、日本の自治体で唯一の「マーケティング課」が存在する。一般的に、自治体がPR活動をする場合、観光課などがその任を担うわけだが、都市計画コンサルタントだった井崎市長は、「戦略的な経営感覚を持った市町村にならなければいけないと考え、そうした意識を持ってもらうためマーケティング課を創設した」と説明する。

「よく“子育てするなら流山市”と言われるのですが、そうではないんです。なぜ“母になるなら”と“父になるなら”にしたかというと、子どもを産み育て、母として父として充実した自分の人生を歩むことができる――流山市はそういう街を目指しているからです」

 人生のステージでは、単身者から夫婦へ、そしてパパママへという具合に、役割が変わっていく。だが、ママになっても、ひとりの人間、女性として、自分の人生は地続きでつながっている。

「子どもができると離職される方も多い。そのため流山市では、女性のための創業セミナーやスクールを開催。この7年で175人が卒業、45人が創業しました。子どもを産み育てると同時に、自己実現もできる。なので、“母”と“父”という言葉にこだわりを持っているんです」

流山市のイメージと知名度をアップし、ブランド化を推進するためのマーケティング課

 ひいてはそれが、「流山市に住んで良かった」というシビックプライドにつながり、流山市を盛り上げる力になる。まさに経営戦略である。

 では、こうした取り組みは他の自治体でも可能なのか? そう井崎市長に尋ねてみると、

「流山市はつくばエクスプレスが走っていて、東京に近いからできる、と思われがちです。しかし、ニセコ町や小布施町など、国内には独自の方法で地域経済を活性化させた成功例が少なくありません。それぞれの自治体に合った戦略があるはず

 そのうえで、「財政に余裕のある豊かな自治体はできるが、ない自治体はあきらめるしかない。そんなことがあってはならない」と付け加える。

流山市独自の“サポート職”も

不公平感をカバーするために、国のナショナルミニマム(国家が国民に保障する最低限の生活水準)があるべき。例えば、防衛費を倍増すると掲げても、何の根拠に基づいて倍増なのか説明がなければ、そのエビデンスがわかりません。倍増というあいまいな表現にすることで本来、保育のインフラに投じることができたかもしれないお金が不明瞭なまま使用されてしまう

 政府は、少子化対策を長年講じてきたと釈明する。しかし、効果が出ていないのだから、普通の企業であれば「見直す」のが当たり前だろう。そんな中、それすらしない。流山市でいうところの経営戦略が「ない」のは明白で、悲しいかな、それが日本政府の少子化対策の現状だ。

 あと5年もすれば、日本の人口は毎年、世田谷区の人口に相当する100万人ずつ減っていくといわれている。

「子育てしやすい制度とインフラを整える。この2つをしっかりやれば、少なくとも子どもが減り続けるということはなくなると思います。不安を払拭するために、政治はあるはずです」

 現在、流山市は子どもの数が大幅に増加したことで、過大規模校が生まれている。加えて、小中学校の教員確保という課題に直面している。

2023年時点では、世帯数・人口数ともに毎年増加している流山市。市役所も活気にあふれている

「市独自の『学校サポート教員』『学校サポート看護師』などを配置する対策を講じている最中です。また、文部科学省が掲げる『学校教育における外部人材活用事業』については有意義なものと考えております。今後も流山市では、安心して子育て共働き世代が暮らせる市政に挑戦していきたい

 取材の終盤、「人口が増えれば、それに付随する新たな課題が生じる」と語る井崎市長が印象的だった。少子化対策を考えるうえで、見習うべきお手本がいる。そして、“その後”も視野に入れた戦略が必要だということを、先を行く流山市は教えてくれる。


取材・文/我妻アヅ子