小柳ルミ子

 アイドルブームは「三代目三人娘」から始まった。1971年に歌手デビューした天地真理、小柳ルミ子、南沙織の3人だ。

 その先陣を切ったのが小柳で、以来、半世紀以上にわたってスターであり続けている。最近は女性誌のインタビューで「引退」を考えたと告白。しかし、桑田佳祐が自分を絶賛してくれているコラムを読み、思い直したという。

「別れるときは死ぬとき」

 そんな彼女が引退どころか「自殺」すら考えた時期がある。

「何度も死のうと思った。どうやったら簡単に死ねるか、毎日そんなことばかり考えていて……」(『人生最高レストラン』TBS系)

 と、かつての離婚騒動を振り返っていたのだ。

 彼女は1988年11月に13歳下のダンサー・大澄賢也と出会い、年明けに結婚。そのあいだに出場した『紅白』では『愛のセレブレイション』を一緒に踊り、結婚式でも踊った。

'89年に結婚した小柳ルミ子と大澄賢也。'00年に離婚

 3年後に始まった『セイシュンの食卓』(テレビ朝日系)ではふたりが踊りながら料理を作る「ルミ子&賢也の愛の料理」が話題に。大澄と似ているというだけでダンナ小柳(電撃ネットワーク)と名乗る芸人まで出現した。

 とまあ、このまま永遠に踊り続けるかにも見えたふたりだが、夫婦というより、母と息子、客とホストみたいだという声も。小柳は実の母親にすら、

「あらまあ~、アンタ捨てられるよ」

 と、心配されたという。また『東京ラブストーリー』で知られる漫画家・柴門ふみも、'90年のエッセイ本『恋愛論』のなかで言及。

「別れるときは死ぬときです」

 という小柳の発言について《(別れるときは)坊やが自立に目ざめたとき》だろうと皮肉った。これに対し、小柳は'92年に出した『超常識的恋愛論』のなかで反論。実際、添い遂げる自信はあったようだ。というのも、彼女は宝塚音楽学校を首席で卒業しながら、わずか2か月で退団して芸能界入り。清純派からセクシー路線への変更も自らの意志で決行した。40歳のときには大手事務所から電撃的に独立。節目ごとにやりたいことを貫き、成功させてきたからだ。

 が、結婚についてはそうはならず、大澄の浮気から夫婦仲がこじれ、泥沼の離婚騒動が繰り広げられた。彼女は別れる条件として、1億円の慰謝料を支払うか、バックダンサーに戻るかを要求したともされる。

 一方、大澄に同情するとすれば、小柳は喜怒哀楽が激しく、あふれ出る感情を自身でも持て余すタイプ。『超常識的恋愛論』の感想のなかにも、あまりにも恋愛至上主義的なイケイケぶりに「読むだけでぐったりしてしまいました」という声を聞いた。その人いわく「賢也クンも大変だったのでは」とのことだ。

恋愛感情をオタク趣味でバランスを?

 結局、夫婦関係は約11年で終了。小柳はウェブマガジンの取材に、

《私の性格上“人生には全うできないこともあるんだ”ということを受け入れるのに3年もかかってしまいました。初めての人生の挫折といえばそうですね》

 と、語っている。

 ただ、この挫折から得たものもあるのだろう。2007年には、27歳下の俳優と婚約したが、入籍前に解消。ここ数年はサッカー観戦への熱中ぶりで注目されている。

昨年開催のカタールW杯では全64試合をリアルタイムで視聴するため自作の放送スケジュールを公開して話題に

 これは大きすぎる恋愛感情をオタク的な趣味に向けることでバランスをとっているのではないか。離婚後は歌いながら泣き出すこともしばしばだったが、最近はそうでもない。今後も泣くよりは踊る人であってほしいものだ。

ほうせん・かおる アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。著書に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)。

 

70歳とは思えない美肌のすっぴん姿を公開した小柳ルミ子(本人のインスタグラムより)https://www.instagram.com/p/Cn5zxYFJsaG/

 

2021年『ハードロックカフェ』の50周年記念イベントで、アンバサダーを務めたメッシの背番号入りTシャツを着て登壇した小柳ルミ子

 

小柳ルミ子が敬愛するリオネル・メッシ