(左から)冨士眞奈美、こぶ平時代からよく共演した、現・林家正蔵

 女優・冨士眞奈美(85)が語る、古今東西つれづれ話。芸能活動復帰後の心境を打ち明ける。

娘のリズのために芸能界復帰を決めた冨士眞奈美

 私は結婚を機に、芸能活動を休止した。結局、夫とは離婚。それで再開することになったけれど、どうしても復帰したかった──というわけではなかったの。だって、娘のリズはまだ8歳よ。「これからお金がいるので仕事をしなきゃいけない」というのが、本音だった。慰謝料も養育費もなしで別れたので、親子2人に未来はなかったから。

 離婚してすぐに舞い込んだお仕事が、俳優座養成所時代の同期である柳生博さんが夫役の『エプロンおばさん』('83年 フジテレビ系)。柳生さんはスタイルがいい……というよりも、のんびり、ひょうひょうとしていたから、頼りない夫役が映えるのね。

 対して、私は漫画チックな役どころだったから、対照的な構図がおもしろくて、私たち出演者は大いに楽しい現場だった。

 柳生さんは、「僕は太らないんだ」なんてよく自慢していたけど、まさか後年、あんなに髪の毛が薄くなるとは思わなかったわ。俳優座時代は好男子、ふさふさのサラサラだったのよ。

『エプロンおばさん』の下宿の住人役で出演していたのが、林家こぶ平(現:九代目林家正蔵)ちゃんだった。

 こぶ平ちゃんはとても品を感じさせる青年だった。お父さんの三平さんによく高級レストランや料亭に連れていかれて、マナーや礼儀、噺家としてのふるまいなんかを教え込まれたそう。娘連れの私を見つけると、必ず娘に3000円くらいぽち袋に入れてお年玉をくれた。そういうところは、さすが代々続くおうちの子だなぁなんて感心した。

 復帰後の思い出深いお仕事といえば、TBSのお昼のワイドショー『新伍のお待ちどおさま』('85~'90年)にレギュラー出演したことも忘れられないわね。好きなようにしゃべらせてもらって、とても楽しかった。

 それに、結婚生活という肩の荷が下りたからか、束縛されていたころの鬱憤を晴らすかのように、毎日、新宿をアジトに飲み歩いてもいた。

 リズに言わせると、自宅の階段の踊り場で寝ていたこともあったらしい。そういえば、トラックをヒッチハイクして自宅に帰ってくる──なんてこともあった。いま考えると、“怖いもの知らず”という言葉では片づけられないほど、自分にあきれちゃう(笑)。

世の女性に伝えたいこと「よ~く目を凝らして生きて」

 時代はバブル真っただ中だったこともあり、ずいぶん無駄遣いをした。

『お待ちどおさま』で共演していた美輪(明宏)さんとは、収録が終わると買い物を楽しんだりもした。美輪さんが運転する車の助手席に乗せてもらって、新宿伊勢丹、毛皮専門店なんかに行ったりね。

 いろいろな場所を回るんだけど、運転マナーの悪い車に遭遇すると、美輪さんは窓を開けて「この野郎! どこ見て走ってんだ!」とバス・バリトンで威嚇したりしてね。とっても愉快な買い物道中だったわ。

 派手に遊んだけど、どういうわけか男っ気はなかった。離婚も経験したし、男性にはこりごりしていたのね。

 でもね、男から解放されるというのは、女にとってはと~~っても大事なことだと思う(笑)。これはぜひとも世の女性たちに伝えたいことだわ。自分を拘束するものがない世界というのは、こんなにも自由なのかと思った。

 でも。「あなたはよく口説かれていたけど、それに応じていなかった。でもだから、控えめな質のいい男性がいても、それにも気づいていなかったのよ」とリズから指摘され、ハッとした。そう、中には拘束しないいい男性もきっといたんだって。

 過去を振り返ると、私はたしかに自分に熱心に寄ってくる男性の中から付き合う人を選んでいた。本当にすてきな人を見逃していたんだろうなって気がついたときには、みんな人のものになっていた。だから、よ~く目を凝らして生きていかないとだめよ。

 女性のみなさん、私のように男性たちに絶望しないでね。私は少しあきらめるのが早すぎたなぁ(笑)。

(構成/我妻弘崇)

ふじ・まなみ●静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。