1984年に行われた『メガロポリス歌謡祭』で表彰されて喜ぶ10代の中森明菜

「テレビを見ていたら、CMで明菜ちゃんの歌声が流れてきて、思わず聴き入ってしまいました。'82年のデビュー曲『スローモーション』です。CMに出ているのは若い女優さんで、明菜ちゃんは出ていないのですが、彼女の曲をこうして耳にすると、やっぱり復帰が待ち遠しいですね」

 そう長年の女性ファンが話すのは、中森明菜について。

 '17年の年末に開催したディナーショーを最後に、歌手活動を休止状態だが、'22年8月にSNSのアカウントを新規開設。事務所の移籍を公表して、同年12月には公式サイトを新設し、新たなファンクラブも立ち上げた。

「新事務所に移籍したと発表したのですが、旧事務所とのファンクラブ会員情報や権利関係の引き継ぎが、うまくいかなかったようです。ただ、現在は旧事務所のサイトは削除されており、楽曲がCMで使われていることを考えると、今の窓口は新事務所に一本化できたということなのでしょう」(音楽業界関係者)

CMに出演する女優の表情や表現力に、明菜の曲が合致する

 CMの放送は2月下旬から。健康食宅配『ファンデリー』による冷凍食品宅配サービス『旬すぐ』のCMだが、どうして明菜の曲を採用したのか。同社の広報に聞いてみると、

近年では、昔にヒットした曲がSNSで再ブレイクすることもあり、明菜さんの『スローモーション』も候補のひとつに挙がりました。その中で、CMに出演する女優さんの表情や表現力に、明菜さんのこの曲が合致するとして採用しました。曲の選定は、放送直前まで悩みましたが、CMを見た方から“懐かしい”といった声をいただいており、とてもうれしく感じております

『旬すぐ』のテレビCM(『ファンデリー』公式ユーチューブより)

 とのこと。週刊女性も、その反響を確認するため、SNSをのぞいてみると……、

《CMで流れている明菜ちゃんのスローモーション、懐かしいけど、やっぱりいい曲》

《テレビCMで明菜が流れるのはいつぶりだろう》

《明菜さんの歌声、CMで思いがけずに聞いたので涙が止まらなかった》

 といった声がズラリ。多くのファンが“復活”を待ちわびるが、それはこの人たちも。

田原俊彦のケータイに残された明菜の留守電

「昨年末のNHK紅白歌合戦で復帰する説も囁かれていて、それは実現しませんでしたが、明菜ファンを公言するマツコ・デラックスさんは、生放送のサプライズで明菜さんが出るかもしれないから紅白を見ていたと、テレビで明かしていました。

 稲垣吾郎さんも大ファンで、明菜さんの復帰説が報道されると、自身のラジオで話題にしていました。明菜さんが活動休止になる前年の'16年に開催したディナーショーには多くの芸能人が駆けつけていました」(スポーツ紙記者)

 かつて、多くの音楽番組で共演した田原俊彦も、明菜のカムバックを望む1人。

「2月26日にトシちゃんが都内でバースデーイベントを開催したとき“最近やっとユーチューブの撮影に慣れてきたから、今後はゲストを呼びたい”と明かしていました。その流れで“いちばん呼びたいのは、やっぱり明菜だね!”なんて言って盛り上げていましたよ」(田原のファン)

田原俊彦

 '80年代は『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)、『ザ・ベストテン』(TBS系)といった歌番組が全盛の時代。トップアイドルの田原や明菜は、それらの番組に出ずっぱりだった。

「テレビ東京系の歌番組『ヤンヤン歌うスタジオ』では、トシちゃんと明菜ちゃんがコントを披露していたのを覚えています。トシちゃんのほうが少し先輩ですが、同時代の“アイドル仲間”として、明菜さんのことを今も気にかけているんだと思います」(同・田原のファン)

 還暦を過ぎながら、今もキレキレのダンスを披露し、第一線でビンビンに活躍する田原は、これまでも“盟友”にラブコールを送っていた。

ある歌番組にゲスト出演することになった田原さんが、ディレクターたちと事前の打ち合わせで、視聴率を取るなら明菜さんもゲストに呼んだほうがいいと言い出して、明菜さんの魅力を熱弁し始めたんです。それで勢いづいたのか“オレが明菜を説得してみせる!”と言って、スタッフたちの前で電話をかけてみせたのです。でも、残念ながら、かけた番号がもう使われていなかったようで……。ただ、その数年前には田原さんのケータイに“トシ元気? いつも番組、見てるから”という明菜さんからの留守電が入っていたそうなので、絆は感じますよね」(テレビ局関係者)

 明菜の現状はどうなっているのか。

ラジオ番組で“明菜に質問”ができる

 前出の女性ファンは、

新しいファンクラブ会員向けのサイトでは、明菜ちゃんのボイスメッセージや直筆メッセージが公開されているんです。ただ、メッセージの中には《元気になって、どこでも行けるようになりたい。なにより、みなさんに会いたいよ。でも、何も出来ないかも》といった弱気な内容もあって。まだ万全とはいえず復帰はもっと先の話かも……

 明菜はこれまで2度、歌手としての活動を長期にわたって休止している。いずれも体調不良のためとされてきたが、何の病気で、どんな病状なのかは明らかにされていない。

そんな明菜ちゃんに、ファンが質問できる機会がやってきたんです。4月以降にファンクラブ会員向けにラジオ番組を予定しているんですよ。今は明菜ちゃんへの質問を募集中です。ラジオ局から放送という形ではないんでしょうけど、とっても楽しみにしています」(同・ファンの女性)

 ファンクラブ会員のみが質問を応募できて、締切は3月15日。その告知ページには《中森明菜の長年の夢であるラジオ番組》とあり、《気ままなおしゃべり》がしたいとも書かれている。

 ただ、明菜は'80年から'90年代にかけて『ニッポン放送』や『TOKYO FM』などでラジオのレギュラー番組を持っていた。それが“長年の夢”とは、どういうことか。

 明菜を知る芸能プロ関係者は、こう推測する。

人前で歌うことは好きな子でしたし、ファンを大切にする子でした。ファンあっての自分だということをよく理解しているんです。ですが、'90年代の後半からは、悪い評判を耳にすることも増えました。仕事をドタキャンしたとかね……。それ以降はラジオのレギュラーを持たせてもらえなかった。番組に穴をあけられては困りますから

 以前、設立されたばかりの新事務所に、どうして旧事務所から移籍したのか、その理由を問い合わせたとき、こんな回答を得ていた。

中森としては、なんらかの形でファンとの交流をしたいという思いを長い間抱えており、前事務所では満足できなかったということです

 ラジオなら、リスナーからの質問を読み、それに回答するといった“交流”がある。一向に体調が回復しない中、明菜が懸命に手繰り寄せた再出発という一縷には、

ずっと待ってくれているファンのため、まずはラジオで恩返しを……

 そんな彼女の思いが詰まっていて─。

'85年に公開された、主演映画『愛・旅立ち』撮影でロケ休憩中の明菜

 

グアムで行われたスポーツ番組で近藤真彦(左)とはしゃぐ明菜

 

'85年、グアム島で行われたスポーツ番組で、交際していた近藤真彦と見つめ合う明菜

 

1985年公開の映画『愛・旅立ち』で共演した近藤真彦と中森明菜