木村拓哉、工藤静香

嫌いな女、嫌いなママタレ、嫌いな夫婦などのアンケートで必ず上位にランクインする常連になってしまいました」(芸能記者)

 4月14日に53歳の誕生日を迎える工藤静香。最近ではすっかり嫌いな女の常連に。

 1984年に芸能界デビューしてからもう半世紀近く芸能界に君臨し、今でこそ嫌われ者の称号を与えられているが彼女に言わせれば「嫉妬」。そんな彼女の生きざまに迫る。

清原亜希とグループデビュー

 工藤のデビューはおニャン子クラブだと思われがちだが、実は違う。冒頭の芸能事情に詳しい記者が明かす。

「1984年にミスセブンティーンコンテストに当時14歳の工藤さんが応募したのが芸能生活の始まりとされていますが、実は小学生のときから劇団東俳に所属しています。芸能界に興味はあったのでしょうね」

 特別賞を受賞した工藤は同コンテスト出身の清原亜希(当時は木村亜希)らと『セブンティーン・クラブ』を結成し、1985年1月にデビューするも2枚のシングルを発表し解散する。

「コンテスト当時、スタッフが楽屋を通りかかったら同オーディションで一緒だった渡辺美里さんとケンカしていたという有名なエピソードがあります。渡辺さんはその後『My Revolution』が大ヒットし大物歌手となりますが、自分よりも目立ちそうなライバルを相手にするのはなかなかの根性を感じます」(前・同)

おじさんたちが寵愛したおニャン子時代

 1986年、『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)の公開オーディションで合格し、おニャン子クラブの会員番号38番となった工藤。

「秋元康、後藤次利、現フジテレビ社長の港浩一、とんねるずなど、当時、実力を持っていたフジテレビの男たちに“姫”と呼ばれていたぐらいですから、おじさんたちへの食い込み方はすごい」(前・同)

 どのようにしておじさんたちのハートを射止めたのか。

「工藤さんは、とにかくマメ。生意気な態度をとりながらも手作りお菓子などを配るなどのギャップがあるんです。番組内でクイズに答えられずに発言した“だって私バカなんだもーん”には、おじさんたちが目をハートにしていました。とんねるずの石橋さんはおニャン子メンバーから嫌われていたけど、秋元康の嫁となる高井麻巳子と渡辺満里奈と工藤静香だけは石橋を無視しなかったそう」(番組関係者)

 この人、と思った人間にはとことん懐くのが静香流!?

『嵐の素顔』でデコトラクイーンに

おニャン子クラブから’87年にソロデビューしたころの工藤静香

 おニャン子クラブが解散し、ソロデビュー曲は作詞に秋元康、作曲に後藤次利という当時のゴールデンコンビがタッグを組んだ『禁断のテレパシー』。衣装は徐々にアイドル的なものから肩パッド入りの紫スーツなどに変化し、他のアイドルとは一線を画し始めていく。

「当時、アイドル四天王と呼ばれた中山美穂さん、南野陽子さん、浅香唯さんが爽やか路線の正統派アイドルで売っている中、工藤さんは陰がありそれが魅力で人気を博していました。歌唱方法も『嵐の素顔』あたりからアイドル歌唱からドスのきいた声を出すように。

 さらに衣装も本人のこだわりで紫などが多く、トサカを立てた前髪に茶髪のロングヘアはヤンキーたちから絶大な支持を得ました。最近は見かけなくなりましたが、当時はトラック運転手が自分の好きなアイドルのペイントをトラックに施す“デコトラ”という風習があり、工藤さんをペイントしたトラックは群を抜いて多く、デコトラ界のクイーンと呼ばれていました」(芸能記者)

 ヤンキーたちから絶大な支持を得た工藤。強いファン層に支えられていく。

木村拓哉と工藤静香(2006年)

男に染まってナンボの“尽くし系”

 工藤静香といえば恋多き女としても有名。

「最初に工藤さんが交際を認めたのは少年隊の植草克秀さん。車好きの植草さんのポルシェの助手席に乗っているところを写真誌に撮られました。植草さんの影響で車好きになった工藤さんは自身もポルシェを2台所有するほど入れ込みました」とはライターの当山みどりさん。付き合う相手の趣味嗜好に染まっていくのは見た目にも現れていく。

「植草さんと破局後は俳優の的場浩司さんと交際宣言をした工藤さん。当時、工藤さんは22歳。もともとヤンキー風の見た目でしたが、レディース映画に出演するなどし、ヤンキー風味を高めて的場さん好みに。さらには植草さんの影響で購入したポルシェのガラスをフルスモークのヤンキー仕様に変えていました」(週刊誌記者)

 その後、X―JAPANのYOSHIKIと交際したときは、そっくりなヘアスタイルが話題に。

「現在の夫木村拓哉さんと付き合い始めたころは日焼け厳禁のヤンキースタイルから一転、小麦肌のサーファースタイルに。自らを“尽くし系”と称する工藤さんだけに交際相手には全身全霊を捧げるのでしょうね」(当山さん)

 根底に流れるのはやっぱりヤンキーイズム!?

「木村静香」として家庭第一

 木村拓哉と結婚してからは家庭を第一に仕事をセーブしていたという工藤。

「栄養バランスを第一に考えた食事で、添加物は一切使わないという徹底ぶり。Koki,さんの主演映画『牛首村』のスタッフによると、工藤さんの料理は薄味すぎて味がしないとか。

 2人の娘を幼いころからインターナショナルスクールに通わせるなど教育熱心だと思われていますが、実際に強要したのは水泳だけ、と話しています。その理由も“命を守るため”だといいます。

 今の工藤さんの目下の関心事は娘の交際相手選びだとか。家では“テメー”とか“チクショー”とか飾らない言葉を使っていると話していましたが、その単語を“飾らない言葉”と表現するあたりがなんとも工藤さんの憎めないところですよね(笑)」(芸能ライター)

1996年の二科展で、父の勘七さんと親子入賞を果たした工藤静香。左は美人母の武子さん

“スナック画”と呼ばれる絵

 画家として二科展に1回の特選、14回の入選実績を持つ工藤。

「1990年から10年連続で入選しているその独特のタッチの絵画は別名“スナック画”と呼ばれています。地方のスナックに掛けられてそうな絵ということだそうです。どこまでもイメージを崩さない工藤さんはあっぱれです」(当山さん)

 工藤静香にインタビューしたこともあるという芸能評論家の舞田稔さんは、

彼女は時代の権力者を嗅ぎ分ける能力が抜群に高い。普段は生意気な態度をとって猫のようだけれど、自分に得があると判断すると犬のように懐く。懐かれたほうは自分だけに甘えてくる彼女がかわいくてもっとかわいがる、という。それと彼女を表すのに欠かせないのがヤンキーの魂が根底に流れているということ。木村拓哉さんは実は気が弱いなんて言われていますから、工藤さんくらい強い姉さん女房が合っているのでしょう」

 と、評する。世間になんと言われようが愛する家族に慕われているのだからやっぱり工藤静香という生き方は最強なのかもしれない。

◆工藤静香の芸能界年表◆

・1970年ー4月14日、青森県出身の板前の父と、美容師の母の長女として生まれる。東京都羽村市で過ごす
・1984年ー第3回「ミスセブンティーンコンテスト」に出場し、特別賞を受賞
・1985年ー1月、清原亜希らとともに『セブンティーン・クラブ』を結成。レコードデビューを果たすが2枚で解散
・1986年ー5月、『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)のおニャン子クラブ公開オーディションに合格。会員番号38番となる
・1987年ー5月、生稲晃子らとともに『うしろ髪ひかれ隊』として活動
・1987年ー8月、『おニャン子クラブ』解散と同時に『禁断のテレパシー』でソロデビュー/5クール連続でテレビドラマに出演するなど女優としても活動を始める/画家として二科展に出品するなど芸術方面でも活動を始める
・1988年ー『MUGO・ん…色っぽい』で初の1位を獲得/「愛絵理」名義で作詞活動を始める
・1989年ー『恋一夜』、『嵐の素顔』、『黄砂に吹かれて』と50万枚以上の大ヒットを連発。大ファンの中島みゆきに楽曲提供を求め、以降親交を深めていく
・1994年ーYOSHIKIがロサンゼルスで飲酒運転とスピード違反で現行犯逮捕。同行していた工藤静香の存在も報じられ、交際宣言/デビュー以来付き合いのあった後藤次利のもとを離れセルフプロデュースを始める
・1997年ーとんねるずの石橋貴明とのユニット『LittleKiss』を結成し、歌唱中に実際にキスをするパフォーマンスが一部で話題に
・2000年ー12月5日、当時SMAPメンバーとして人気絶頂の木村拓哉と結婚
・2001年ー5月、長女Cocomi出産
・2003年ー2月、次女Koki,出産
・2016年ー12月、夫・拓哉が所属するSMAPが解散
・2018年ー5月、次女Koki,がモデルデビュー
・2022年ー4月、長女Cocomiがフルート奏者としてデビューアルバムを発売

しれっと解禁!? 木村拓哉が中国版Twitter「微博」に載せた工藤静香とのツーショット写真

 

 

木村拓哉と工藤静香(2006年)

 

2008年、千葉の海でサーフィンを楽しむ木村拓哉と工藤静香

 

2015年11月、CocomiとKoki,の送迎をする木村拓哉と工藤静香