武藤千春さん

「タレント」「歌手」というかつての肩書や経歴を捨てて第2の人生を選んだ元芸能人たち。まったく異なった世界へ飛び込んだ彼、彼女らを待っていたのは芸能界以上に厳しい「現実」、そして想像以上の「やりがい」だった―。人気ボーカル&パフォーマーから畑仕事をして農ライフを実践中の武藤千春さんにインタビュー!

 日本を代表するガールズグループで16歳から4年間、活躍してきた武藤千春さん。紅白や武道館ライブなどでのコンサートも経験し、第一線で活躍してきた。子どものころから好奇心が旺盛。とにかく何でもやりたいと思う気持ちが強かったそうで、アーティストもその内のひとつだった。

「不安よりもワクワク感の方が大きかった」

「運が良かったというか、オーディションに受かって、そのまま走り出しました。最高の環境の中で、パフォーマンスを続けられたことは何物にも代えがたい経験でした。ただ、10代も終わりのころにふっと思ったんです。アルバイトをしたこともなく、同世代の子はいろいろと経験しながら社会人になっていくけれど、私はちゃんとした社会人になれるのかなって」(武藤さん、以下同)

 そう思う背景には、アーティストとしての自分に不安があったから。

「今は最高のパフォーマンスを提供できるけれど、30代、40代、50代になった自分は、このクオリティーを提供するのは無理とわかってしまったんです。限界が見えてしまった。だったら、一直線に突き進むのではなく、もうちょっと新しい自分の可能性も見つけようと思ったわけです」

 そして、卒業を決意。しかしまだ19歳、早くにやめてしまうのは惜しくなかったのか。

「ファンの方がいてくださる間に、何か直接関わりが持てるようなことがしたかった。洋服が好きでお店に勤めようかとも考えたけれど、だったら自分でブランドを立ち上げるのも面白いかなって」

 後ろは振り向かない。今、面白そうだなって感じたことをとにかくやってみる。

「新しいことを始めて新しい景色が見られる、そのワクワク感が不安より大きい。それに、やってみて、もし自分に向いていなかったら、またやり直せばいい。できなかった、ダメだったというのも自分の新たな発見です」

 長野県・小諸に住み、野菜作りを始めたのも、たまたまだった。

「祖母が故郷の小諸で暮らしたいからということで、私がついていきました。そうしたら、コロナ禍になってしまい東京に戻れなくて。時間をもてあましていたので、あいている畑で野菜を育ててみたんです」

「生きてる」の概念

 始めてみたら、思いのほかハマった。

「東京では、特に野菜の旬を意識しなかった。お腹を満たすために適当に食べていました。でも自分で一生懸命に作ると、食べることも丁寧になる。自然が相手だから、天気とか季節の移ろいとか、そういうことに敏感になって暮らしも丁寧になる。そんな生活が心地よくて、農ライフの虜になりました。まさか自分がね、とびっくりです」

 “東京から来た女の子”を、周囲の農家の人はどう見ていたのだろう。

「見守ってくれていたというか、口出しはしないけれど、聞くと丁寧に教えてくれました」

 気がつけばいつの間にか農業に携わる一員として迎えられていた。

梅の実の収穫や、ぶどう畑など、いろんな野菜、果物の育て方を学ぶ武藤千春さん

「畑仕事って一年中忙しいようですが、作付けを工夫して作業のない時期をつくったり、自分の暮らしを自由にデザインできる。農ライフを楽しみながら、別なことにもトライできるのが私には合っていた。最近は廃棄野菜を何とか使えないかと農家さんと話しています。形が悪いだけでおいしい野菜を捨てちゃうなんてもったいないですよね」

 武藤流の自由な発想で、ぜひ既成概念を覆してほしい。

「芸能の世界からの転身で、よく驚かれますが、新しい経験には学びと変化と刺激があります。やりたいなと思ったことを面白がってやっていく、そうやって楽しんで幸せを感じる。ちょっとオーバーな表現ですが、それが生きてることだって思ってます」

 今日も武藤さんは、澄んだ空気の中、トラクターを運転している。

武藤千春さん
1995年生まれ、東京都出身。16歳から19歳まで人気ガールズグループに所属し紅白歌合戦、武道館コンサートなどで活躍。卒業後はアパレルブランド「BLIXZY」を設立。現在は東京と長野で2拠点生活を送りながら、野菜やワイン用のぶどうの栽培に取り組む。小諸市農アンバサダーに就任。'22年にはアーティスト活動もスタート。

取材・文/水口陽子