貴乃花光司

 貴乃花光司の次女・白河れいがそこそこ活躍している。4日にはファッションイベントに登場して「初めてのランウェイ」と話題に。昼のバラエティー番組『ぽかぽか』(フジテレビ系)の月曜レギュラーとしても出演中だ。

 ほかに、明石家さんまや松本人志といった大物芸人のトーク番組にも出演。家族の話で笑いをとった。

 これは「花田家の物語」が今も有効なことを示している。ただ、その物語は大きく変質してしまった。

“迷走”の始まりは?

 本来、国技といえる相撲とともに存在していた物語なのに、いまや角界には誰もいない。その象徴が、長男の花田優一だ。靴職人といいつつ、絵を描いたり、歌をうたったり。せめて下駄でも作ってくれたら花田家の跡取りっぽいのだが、元力士の娘ともすぐに離婚してしまったし、相撲には縁も興味も薄いのだろう。

 では、この物語の迷走はどこから始まったのか。

 多くの人が思い出すのは宮沢りえとの破局だろうが、あれはむしろ物語を強化するものだった。破局の原因はもっぱら両家の対立とされたし、彼はその後「平成の大横綱」となり、国民的ヒーローとして伝説をつくっていく。

 これに対し、注目したいのは元妻・河野景子とのあれこれだ。

 1995年、フリーアナだった彼女は8歳下の若き横綱と結婚。挙式披露宴はテレビ中継され、移動の際の車中キスや、頑ななまでの妊娠否定(4か月後に優一が誕生)が話題になった。

 この結婚は彼女の「押しの一手」で成就したとされるが、どこまで相撲への愛や理解を持っていたかはよくわからない。貴乃花が親方になっても、部屋には住まず、離婚後にはおかみ生活を振り返り、

「このまま終わっちゃうの、私の人生」

 という思いだったとも明かした。優一が相撲以外の道を選んだのも彼女の意向が大きかったようで、花田家の伝統を断ち切る役どころをこなしたともいえる。

子どもたちが受け継ぐ「河野景子の遺伝子」

 その点、貴乃花の母・藤田紀子のほうがおかみとしての仕事はしたし、なんといっても息子ふたりを横綱に育てた。故人となった元夫を嘘つき呼ばわりしてけなすなど、人間的にどうかとも思われる面もあるが、花田家の伝統にはかなり忠実だったわけだ。

 ではなぜ、貴乃花は河野景子を選んだのか。それは彼女が「しゃべりのプロ」で局アナ時代にはチーママとあだ名されるほど仕切り上手だったからだろう。

河野景子

 何しろ、彼は口下手なうえに、忖度がまったくできない。2017年には、横綱白鵬の大記録がかかる日のテレビ解説を務めながらその立ち合いのずるさを批判しまくった。その4か月後、相撲協会主流派との対立が表面化。翌年、彼は協会を追われることになる。

 つまり、妻に広報担当的な役割を期待したとも考えられるが、彼女はそれより部屋の外での講演活動に熱心だった。そもそも、彼女がアナウンサーを目指したのは、

「海の向こうで活躍したい」

 という子どものころからの夢によるもの。局アナ時代には、志願してパリ支局に勤務したりした。

 こういう華やかさへの憧れは、靴修業でイタリアに渡った優一にも、ジュリア・ロバーツみたいな女優になりたいという白河れいにも受け継がれている。「花田家の物語」は今後、河野景子の遺伝子がどうなるかというスケールのものになっていきそうだ。

 そして、どこか喜劇めいてきた物語において、貴乃花はもはや娘の芸能活動に使われる「ネタ」でしかない─。

ほうせん・かおる アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。著書に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)。

 

'90年代、すったもんだを繰り広げた宮沢りえ。ゴルフ場での激やせ姿は当時の週刊誌がこぞって取り上げた

 

貴乃花と破局後の宮沢りえ

 

1992年、貴乃花・宮沢りえ婚約会見