『動くと、死にます。』の著者・小川一平さん

 黄色い表紙に黒い手書き文字で書かれた『動くと、死にます。』という衝撃的なタイトルの分厚い本がある。サブに「ひきこもり当事者は語ることが出来るのか」とある。著者は小川一平さん(33歳)。小川さんとは、あるひきこもり当事者会で主催者から紹介されて出会った。

“動けない存在”にも尊厳はある

 著書は彼が精神科病院に入院した1か月間の日記をベースに、1年かけて綴った彼自身の心のありよう、記憶、哲学、そしてさまざまな考え方をまとめたものだ。「難しくて、よくわからなかった」とその主催者は言った。ただ、そのとき小川さんと言葉を交わし、「自分の中に言葉を持っている人」だと感じた。そして温和な雰囲気を持っていながら、どこか哀しい目をしている彼が、いつまでも印象に残っていた。

「うまく話せるかどうかわからないけど、いつでもインタビューには応じます」

 誠実な口調だった。

 コロナ禍の間、時々『動くと、死にます。』を読んでいた。確かに難しいのだが、ゆっくり読んでいくと、不思議と気持ちが落ち着いた。彼の言語感覚による表現が独特なのだが、読み慣れるとそれが心地いいリズムになっていると気づいた。通常の生活に戻りつつあったこの春、小川さんに会ってみたくなった。連絡をとると快諾してくれ、ほぼ3年ぶりに再会した。カジュアルなファッションで現れた彼は、にっこり笑って挨拶をする。どこにでもいそうな30代の青年だ。

「この本を何とか世間に広げていきたいと思って、この数年、活動してきました。ひきこもりを経験してそこから脱した者ではなく、渦中にあって今なお“動けなさ”を抱えている者の発信ってあまりないと思うから」

 その「動けなさ」は、若いひきこもり男性だけではなく、例えば持病があったり高齢だったりする人にも通じるものではないか、そういった建設的になれない人たちがどう生きていくべきかを彼は考えているという。

 小川さんは1990年、共働きの両親の元に生まれた。幼少時、記憶に残っているのは保育園で、みんながやっているおままごとに参加できなかったことだ。

「子どもなのに、それぞれが父親、母親、子どもという役割分担をしておままごとをしている。でも僕はそこには入れなかった。一線引いて見ている役割しかできない。もともと一人っ子だし、ひとり遊びをしているほうが気楽でした。ブロックとかソフビ人形でよく遊んでいましたね」

 小学校では運動が苦手だったし、人との関係の中で自分の居場所や立ち位置をつくるのも得意ではなかった。友達はいたが、高学年になるにつれ、彼は違和感を覚えていく。

「5年生のとき、ふっと年齢に違和感があったんです。僕は5年生なのに2年生のように感じて、自分には成熟感が足りない、周りの年齢と合ってない。それで大きな疎外感があった。さらに中学2年のときにアトピーがひどくなって体調もすぐれなくなって……。そのころも中学生をやっている気がしなかった。漠然とした“足りなさ”を自分に感じていました」

 アトピーがひどくなって汗がかけないため体調もよくない。心身共にとにかくバランスが悪すぎると実感していた。心療内科に通ったが、療養するために学校を休み、そのまま不登校に。中学3年のときはほとんど登校せずに卒業、通信制の高校に入学した。週に2回、リハビリを兼ねて登校していたが、2年生の途中から通えなくなった。

両親は心の問題に寄り添ってくれず

「もともと両親は不仲でした。子どものころは両親のケンカが激しかったですね。きょうだいがいないから、僕はそれをひとりで見つめて心を痛めていた。このふたりはどうして結婚したんだろう、どうして離婚しないんだろうと思っていました。父はおおらかな田舎のおじさんという感じの人なんですが、母はけっこうヒステリックで、一度怒ると手がつけられなくなる。母の機嫌や気分が予想できないから、急に怒られて外に放り出されても何がいけないのかわからなかった」

 父とは小学生のころは会話をした記憶がある。だが中学生になって、彼が少しずつ心のバランスを崩すと、父はかける言葉がないと思ったようだ。自分の理解の範疇を超えているから、どう対処したらいいかわからなかったのかもしれない。おおらかでいい人だからこそ、自分の子の繊細さを受け止めきれなかったのだろう。母は、自身の両親が離婚し、人生の艱難辛苦を味わったため、「人は頑張ればどうにかなる」と信じているタイプ。ただ、父と同様、小川さんの心の問題に寄り添ってくれることはなかった。

「病院代は出す。親はそれで十分でしょと思っていたんでしょうね。時々、ひきこもり当事者の会などで、親がひきこもりについて勉強したり、子どもに協力したりという話を聞きましたが、羨ましかった。

 うちの親は僕には関心がなかったように見えました。それでも今も実家にいるわけですから、いさせてくれることに感謝はしています。親は僕を傷つけないように気を使っているのもわかりますし。ただ、きょうだいや相談できる親戚がいたら、何かが変わっていたのかなと思うこともありますね」

 20歳からの6年ほど、彼は月に1回、地元の保健所が開催するひきこもりの当事者会に行くだけで、あとはほとんど家にこもっていた。哲学書や古典文学を読みあさり、時折ひきこもり当事者会の新聞や親の会の会報に文章を掲載されたりもしていた。彼自身、さまざまな「当事者会」ともつながってみたものの、なかなかなじむことができなかった。そこでは強い者が、大きな声で発言する者が正義のように見えてつらくなった。

 彼は自ら調べて、行政への相談を重ねてきた。相談員に助けられたこともあれば、なかなか理解を得られないこともある。少しずつストレスがたまっていった。

「家庭内暴力というんでしょうか、物を壊したりしたことがあります。親に暴力は向かず、バリケードを張ってこもったり、自分に包丁をつきつけたりマンションの7階から飛び降りようとしたり。

 誰かに、僕の繊細さと弱さをわかってほしかったのかもしれない。自分のキャパを超えるストレスに見舞われていたんだと思います」

 そして5年前、彼が28歳のころ、ついに自分が“できないこと”の壁に押しつぶされるような気がして、さらなる希死念慮が止まらなくなった。

「こうなったら自分で死ぬしかない。いろいろシミュレーションをしていました。ロープで輪っかを作る、椅子を用意する、遺書を書く、おむつもしたほうがいいな、とか。いくつかの段階を経ていくうちに、本当にヤバいと思って警察に電話したんです。警察も、これはまずいと判断したんでしょう。母に連れてくるように要請しました。それでそのまま精神科病院に保護入院となったんです」

 父が会社を休んで、入院用の荷物を運んでくれた。彼の繊細な心を理解はできなくても、両親は親としてできるだけのことはしているのだ。それは彼自身も認めている。

入院中に書いた日記から著書を

「病名としては、抑うつ症、自閉症スペクトラム、適応障害といろいろついてはいますね。うまく人と関われないし、ストレスがかかったり身体が疲れていたりすると被害者意識が強くなりますしね。ものごとをマイナスに考えてしまうんです。例えば資格を取るための勉強をしていたこともあったんだけど、半年以上継続できない。途中でネガティブなことばかり考えてしまうんですよ。

 もし資格試験に受かったとしても、それを活かすためには仕事場に通わなければいけないわけでしょう。どこかでつぶれるなとわかってしまう。先の見通しを建設的に考えることができないんです」

 保護入院中の1か月を踏まえて、『動くと、死にます。』の著書ができたわけだが、そのベースとなった日記を見せてもらった。細かい文字でびっしりとその日のことや、自身の考えが綴られている。

 自らの心だけではなく、一般的な人間の心の動きについても、少しずつ、だがどこまでも掘り下げていくのが彼の習い性ともなっているようだ。それが彼の心を癒すのか、さらにストレスを積み上げていくことになるのかは私には判断できないのだが、彼はそうせざるを得ないのだろう。

 1か月で退院してからはデイケアに通ったり訪問看護を受けたりしていた。2年ほどは時々死ぬまでの手順を念入りにシミュレーションしていることがあり、自分でも「ヤバかった」と話す。

あらゆる共同体にも居心地の悪さを感じ孤立してしまう

 現在、彼は2週間に1度、訪問看護を受けている。大学受験の勉強だけは「半年以上続いている」という。日々、決めた勉強や読書をして、あとは2か月に1度、美術館巡りをしている。

「今は母とも良好な関係を築いています。母親としてではなく、母も僕と同じような病を抱えている人として接していると気が楽なんですよね。今も母は年に1回くらいキレていますが、客観的に見てなだめるようにしています」

 父とは険悪なわけではないが、あまり会話はない。母も仕事で忙しいので、基本的には食事も別だが、週に1回は一緒にスーパーで買い物をする。休日は母が料理を作ってくれることもあるという。

「僕が使ったお金は、毎月、レシートをつけて母に提出しています。使うといっても病院の費用や食材が主で、贅沢品は買わないし、そんなにお金を使うことはありません」

 見た目、彼のアトピーが特にひどいとは思えないが、今のところは薬を服用して落ち着いているそうだ。生活習慣病も気にはなっているのだが、運動をして汗をかくとアトピーがひどくなるし、痛し痒しだと彼は笑顔を見せた。

「僕は、たぶん他のひきこもりの方とは違いますよね」

 ひと通り話すと、彼は少し気楽になったのか世間話のような口調になった。

「いじめなど何か決定的なことがあってひきこもったわけではなくて、ひきこもる前から社会ではやっていけないと思っていたんですよ。学校や当事者会などの、あらゆる“共同体”にも居心地の悪さを感じ孤立してしまう。そういった、世界に確実にある“動けない存在”にどうしたら尊厳を与えられるかを考えていたんです。それがこの本なんです」

 彼は著書をあちこちに寄贈した。地元の市議会議員に送って、そこからの紹介で地元の図書館に置いてもらった。読んでくれた学者が大学の論文に引用したり、彼の主治医が「大人の発達障害」の学会で取り上げてくれてもいる。さらにその輪を広げていきたいと彼は言う。本を書いたことで、「少しだけ自信がついたかもしれない」と控えめに語る彼だが、名前を売りたいわけでもなく、自分の存在を知らしめたいわけでもない。

「ただ、ひきこもりという動けなさを抱えた存在がいること、そこに社会や人間が尊厳を与えることができたならば、障害のある人や高齢者、さらにはルッキズムで苦しむ人など、他の“動けない人”にとっても福音になるんじゃないかという思いはありますね」

 その後、彼は私のこれまでに興味を示してくれた。その優しいまなざしにつられて、あまり人に言ったことのない育った家庭での深い確執なども、いつしか話してしまった。彼は黙ってただ聞き、深くうなずいてくれる。私の言葉を自分の心でしっかり受け止めてくれるのがわかり、彼のノンバーバルな意志の伝え方の深さに驚かされた。まだ33歳。今まで独学で学んできたこと、考えてきたことはたくさんあるはずだ。この本をきっかけとして彼自身が世の中に発信できることはいくらでもあるのではないか。そして繊細で弱いと自らを称する彼は、実は柳に雪折れなしという強靱さを持っているのではないか。去っていく後ろ姿を見送りながらそんなふうに感じていた。

亀山早苗(かめやま・さなえ)●ノンフィクションライター。1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆

 

動けない存在にも尊厳がある【1/4】(イラスト/小林裕美子)

 

動けない存在にも尊厳がある【2/4】(イラスト/小林裕美子)

 

動けない存在にも尊厳がある【3/4】(イラスト/小林裕美子)

 

動けない存在にも尊厳がある【4/4】(イラスト/小林裕美子)

 

『動くと、死にます。』の著者・小川一平さん