宮崎駿氏とジブリ最新作の映画『君たちはどう生きるか』(右はスタジオジブリ公式ツイッターより)

 スタジオジブリの新作アニメ映画「君たちはどう生きるか」がとった、“宣伝しない戦略”に学ぶ4つのこととは?(写真:ロイター/アフロ)
スタジオジブリのアニメ映画「君たちはどう生きるか」の初動が好調だ。公開4日間の観客動員135万人、興行収入21.4億円となっており、「千と千尋の神隠し」を超える勢いだという。

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 本作は、ポスターとタイトル以外の情報を一切出さないという、“宣伝しない戦略“を取っている点でも話題になった。

 過去19年、広告業界に身を置いていた筆者としても、ここまで宣伝しない映画作品は前代未聞であり、“宣伝しない戦略”が、果たして吉と出るか凶と出るか、興味津々だった。

 初動を見る限りは大成功だったと言える。筆者としては、ここまでうまく行くとは思っておらず、予想を大きく裏切られる形となった。この結果は、今後の広告・宣伝のあり方を考えるうえで多くの示唆に富んでいるように思える。

歴代の人気邦画10作品中、実に4作品がジブリ

 本作の好調の要因を考えるにあたって、劇場映画(邦画)の過去のヒット作品ランキングを見ておきたい(下表)。

 

 実に、興行収入上位10位までの9作品がアニメ作品で占められており、実写映画は「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」の一作品のみ。さらに上位中4作品がジブリ作品となっている。

 なお、宮崎駿氏の前作(といっても10年前だが)「風立ちぬ」は10位以内にはランクインしていないが、14位につけており、十分にヒットしたと言える。

 アニメ、特にジブリ作品は老若男女が楽しめる作品が多い。なかでも子連れの家族の動員が見込めるため、ヒット作が生まれやすいと言える。

 好調なのは「アニメだから」「ジブリ作品だから」「(10年ぶりの)宮崎駿監督の作品だから」というのが大前提としてある。

 しかし、それだけで宣伝しなくてもヒットしたことを十分説明できているとは言い難い。

「スラムダンク」とは似て非なる宣伝戦略

 プロデューサーの鈴木敏夫氏は、昨年公開されたアニメ映画「THE FIRST SLAM DUNK」(以下「スラムダンク」)をモデルにして、“宣伝しない戦略”を採用した――と語っている。「THE FIRST SLAM DUNK」は、150億円の興収を記録し、歴代ランキングで9位に付けており、大ヒットしたと言ってよい。

 ただし、「スラムダンク」と「君たちはどう生きるか」では、実際の展開は大きく異なっている。

「スラムダンク」のほうは、公開1カ月前に声優やビジュアルは公開されていたし、予告映像も公開しており、劇場でも映像は流されていた。入場者特典として、ビジュアルカード、ミニポスター、ステッカーなどを配布するというプロモーションも展開されていた。

 あらすじが公開されていないことが話題になったが、本作は過去のコミックやアニメの蓄積があり、映画単独の作品ではないため、「どんな映画なのか?」ということは、情報が出なくてもある程度推測することは可能だった。「スラムダンク」の場合は、「情報を出さない」というよりは、「情報を小出しにする」戦略だったと言えるだろう。

 一方の「君たちはどう生きるか」は、事前に公開された宣伝素材としては、鳥と思しきイラストが入ったポスター1種類のみであり、本当に宣伝は行われず、ポスター以外の情報もまったく出ていない状況だった。劇場パンフレットも、公開日ではなく、公開後の発売予定となっており、発売日さえ知らされていないという状況だ。

「スラムダンク」のヒットの要因として挙げられるのは、「口コミ効果」だ。本作は公開初日に、ツイッターのトレンドランキングで1位を記録し、見た人の絶賛する評価が拡散した。映画レビューサイトでも、Filmarksで4.4、映画.comで4.2、Yahoo!映画4.3で(2023年7月23日時点)の高評価を得ている。

「君たちはどう生きるか」もツイッターのトレンド入りはしていたが、作品の評価は賛否両論だった。映画レビューサイトの評価は、Filmarksで3.8、映画.comで3.5、Yahoo!映画で2.9の評価で、やはり賛否両論になっている。

 近年、映画に限らず、口コミがヒットの要因となっていると言われる。特に、ポジティブな口コミの連鎖が起きることが、潜在顧客を劇場に足を運ばせる動機付けとなっていると言われている。

 上記のことを考えると、「君たちはどう生きるか」の初動の好調は、予想外だったと言ってもよいだろう。

「君たちはどう生きるか」の初動はなぜ好調だったのか?

「君たちはどう生きるか」成功の理由は他の記事でも語られている。

「君たちはどう生きるか」"NO宣伝戦略"の成功理由~事前情報のなさが生み出した新鮮な感動体験~

 事前情報のなさが作品への渇望感を生み、新鮮な気持ちで作品を鑑賞する環境を作っているというのは紛れもない事実であっただろう。

 情報過多の現代においては、逆転の発想で、むしろ発信する情報を絞ることで、行動喚起を促すことができる場合がある。

 実際に、映画やドラマのような映像作品に限らず、村上春樹氏の新作小説やApple社の新商品など、十分な知名度、強いブランド力、ロイヤルティ(忠誠度)の高いファンを獲得している商材やコンテンツにおいては、情報が自走するため、広告・宣伝への依存度を下げることが可能になる。

 忘れてはならないのは、本作は作品の内容以外にも、話題になる要素は多数存在しており、実際に公開後にはさまざまな情報が飛び交っているという点である。

「10年ぶりの宮崎駿監督作品」というだけでも話題性は十分であるが、声優は菅田将暉、柴咲コウ、あいみょん、木村佳乃、木村拓哉――と豪華メンバーを取り揃えているし、主題歌は米津玄師が歌っており、これらが話題の増幅を後押ししている。

 上記以外に、吉野源三郎氏の同名(原作とは言えない)の小説との関係性も話題になっている。

 口コミについても、公式情報が出ていなかったためか、ネタバレ投稿は少なかったし、実際にネタバレ投稿がしづらい内容となっている。賛否両論の評価も、まだ観ていない人々の「自分で実際に見て確かめよう」という意欲を喚起したと言えるだろう。

 また、7月は3週連続で日本テレビ系列「金曜ロードショー」で、スタジオジブリ作品が放映され、実質的に「君たちはどう生きるか」のプロモーションとなっていたという点も忘れてはならない。

 さまざまな要素が好循環を生み、結果的に好調な初動が実現されたと言える。

 今後の観客動員数は、正直なところ未知数であり、現時点で成否を判断することはできないし、他の映画作品や、映画以外の商材について本作のやり方を「成功モデル」として一般化することには、慎重であるべきだろう。

同時に見えてきた広告・宣伝の課題

 いずれにしても、本作は「広告・宣伝をやらない」という戦略の壮大な実験だったと言える。

 そうした中、逆に広告・宣伝活動を行ううえで、下記のような示唆も得られた。

1. 広告・宣伝を行わない(あるいは絞り込む)場合、「情報への渇望感」と「情報の自走」が重要である
2. 「良質な口コミ」はヒットにおいて不可欠な要素とまでは言えない
3. 情報感度の低い人たちにこそ広告・宣伝は有効
4. 「情報の出し方」には高度なスキルが求められる

 1については、映画以外にも言えることだが、広告・宣伝をやらないことで「誰からも注目されない」という事態も起こりかねない。

 情報を出さない、あるいは限定的に出していくことによって、人々の興味・関心が喚起されるためには、先述のように、十分な知名度、強いブランド力、ロイヤルティ(忠誠度)の高いファンを獲得していることが重要である。

 それを実現するためには、長期的な取り組みが必要であり、一朝一夕に達成できるものではない。今回の成功は、スタジオジブリの40年近くに渡る実績の蓄積によってなし得たわざだと言えるだろう。

 2に関して、SNSの普及によって「良質な口コミを得ることが成功の秘訣」と言ったことが言われるようになったが、必ずしもそうとは言えないようだ。

「君たちはどう生きるか」の評価は賛否両論だったが、「新解釈・三國志」(2020年公開)、「大怪獣のあとしまつ」(2022年公開)は「否」の意見が圧倒的に多く、「酷評された」と言ってもよい。しかし、両者ともに興行収入では健闘している。

 3について、初動においては、東京などの大都市圏の集客力が強く、地方が弱かったという傾向が見られたという。

 実際に、SNS上で地方の劇場では空席が目立ったという口コミも散見された。一方、私自身を含め、都心で観賞した人は「満席だった」という報告が多かった。

 これまでは「情報は情報感度が高い人から低い人へと流れていく」というのが、口コミマーケティングの一般的な考え方だったが、情報の伝達にはタイムラグがあったり、情報の伝達には分断が生じたりするというのが現実的なところのようだ。

 それを考えると、高齢者や地方在住者といった都会の口コミが届きにくい層、SNSやサイトを積極的にチェックしていない層には、広告という形で情報を送り届けることも有用ではないだろうか。

 全体のまとめとして、4について考えたい。

 これまで、広告・宣伝費は最初の段階で大枠が決まっていることが多かったし、金額は予想、あるいは計画される売上とおおよそ比例していた。

作品や商材によって有効な戦略は異なる

「スラムダンク」から「君たちはどう生きるか」に至る“宣伝しない戦略”を見て、「情報を出さない」「出す情報を絞る」という方法が、規模の大きな作品でも、あるいはそういう作品であるからこそ、高い効果を発揮しうることが判明した。

 今後、「予算ありき」で宣伝計画を立てるのではなく、「情報をいかに出すのが有効か」という判断に基づいて、宣伝予算、宣伝計画を立てることが重要になる。

 作品や商材によっておかれた環境、有効な戦略は異なる。うまくやるためには、担当者にはこれまで以上に高度なスキルが求められることになるだろう。

「君たちはどう生きるか」が今後どのような情報の出し方(あるいは出さないやり方)を取るのか、それによって継続的なヒットを生み出せるか否かという点も非常に興味深いところである。本作の今後の推移を注視していきたい。


西山 守(にしやま まもる)
Mamoru Nishiyama
マーケティングコンサルタント、桜美林大学ビジネスマネジメント学群准教授
1971年、鳥取県生まれ。大手広告会社に19年勤務。その後、マーケティングコンサルタントとして独立。2021年4月より桜美林大学ビジネスマネジメント学群准教授に就任。著書に単著『話題を生み出す「しくみ」のつくり方』(宣伝会議)、共著『炎上に負けないクチコミ活用マーケティング』(彩流社)などがある。