クラッシュ・ギャルズのライオネス飛鳥と長与千種(撮影/矢島泰輔)

 '80年代半ばに、少女たちの期待と憧れを全身全霊で受け止めて、輝いていたあの2人が帰ってくる──。

 長与千種(58 以下、千種)とライオネス飛鳥(59 以下、飛鳥)によって結成された女子プロレスのタッグ、クラッシュ・ギャルズ。また、Netflixでは彼女たちの宿敵であった極悪同盟のダンプ松本(62)を題材とした作品『極悪女王』の配信が予定されており、クラッシュ・ギャルズ役の俳優たちが登場することも話題となっている。

 クラッシュ・ギャルズ結成から40周年を迎える今年、10月には大規模なイベントが控えている2人に、改めて当時を振り返ってもらった。

熱烈なファンたちがどこにでもいた

千種 あのころの苦労といえば、試合数だね。

飛鳥 年間最多310試合。平均でも280。

千種 1年は365日しかないですよ?(笑)

飛鳥 だから、遊ぶ時間なんてなかった。千種と2人で行動すると目立つんで、プライベートは別々だったけど、自分は(同期の)大森ゆかりと原宿の竹下通りに行って、店に入って洋服を買おうにもゆっくり見てる時間がないから、「そこにあるぶん全部ください」みたいな。でも、着てどこかに行く時間がないっていう。

千種 自分は、自宅近くのショッピングモールに出かけるくらいだったな。でも、買い物に行ってもやっぱり目立ってしまうから、逃げて帰るような感じだった。

飛鳥 ファンの熱狂ぶりもすごかったしね。移動するとき、マネージャーと私たち2人でタクシーに乗ったら、ファンの子たちがウワーッと集まってきちゃって、タクシーのフェンダーミラーが折れたり。地方巡業先で泊まるときなんか、自分たちが浴場を使うときは貸し切り状態にしてもらっていたんだけど、ある旅館の脱衣場になぜか大きな壺があって。そこにファンの子が隠れていたこともあった。

千種 あった(笑)。移動手段の新幹線とか飛行機で、自分たちと同じ車両や便にずーっと乗って追っかけてくる人たちもいた。ほんと、いつ誰につけられているかわかんないから、家に帰るのも怖かった。

飛鳥 地方といえば、忘れられない思い出があって。旅館で、千種とマネージャーと3人の部屋の日があったんだけど。自分より先に寝入った2人が、寝言を話し始めてね。しかもそれが会話になっていて、成り立ってたの(笑)。

千種 ほんとに!? 今初めて知ったよ。そこまで疲れてたんだね、きっと。

飛鳥 すごく忙しくさせていただいたのは感謝しているし、客観的に見ても当時の私たちって人気があったと思う。なのに、全女(所属していた全日本女子プロレス興業の略称)は基本、普通の指定席やエコノミーしか用意してくれなかった(笑)。

千種 そうそう! あれさ、なんで?

飛鳥 ニューヨークとか海外にも行かせてもらったけど、そのときも用意されたのはエコノミーだった。今思うと、全女はそういう不思議なことが多かったね。

千種 こういう取材でよく聞かれるのは、全女の掟として有名だった「3禁(酒、たばこ、男)を破ったことはありますか?」っていうやつだけど……。

飛鳥 自分はお酒かな。もちろん20歳を過ぎてからだけど。たばこと男性はないけど、お酒は誘われて飲みに行ってた。でも、酒の席はあまり好きじゃなかったな。

千種 自分はその、お酒とたばこじゃないやつを……。まぁ、そういうこともあったよ。

飛鳥 ええ!! これは大スクープだね(笑)。で、どうなったの?

千種 もういいってば(笑)。私がフッたの、相手のほうが根性なしだなぁと思って。自分たちはメンタルも鍛えられる仕事をしてたんで、どこかで相手にも自分と同等の強さや底力を求めてしまった。若さゆえ……だね。といっても、結局休みがないし、地方巡業があると1か月はザラに会えないから、続かないんだけどね。

飛鳥 基本、遠距離恋愛になっちゃうから。今みたいに携帯もメールもなかったしね。

千種 一回、相手と給料を目の前で比べたことがあって。

飛鳥 アハハ!

千種 「せーの」で出して、圧勝しました。そんなにもらっていたわけでもないんだよ(笑)。でも、そこで相手のメンツがつぶれちゃって。いろいろ勉強になったな(笑)。

熱が38℃あっても休めなかった

千種 プロレスラーになってなかったら、何になってた?

飛鳥 想像がつかないなぁ。生まれて初めてなりたいと思った職業が、女子プロレスラーだったから。

千種 私はお医者さんになりたかった。小さいころは喘息があったので、常にお医者さんが近くにいたから、なりたいと思ったんだろうね。亡くなった飛鳥のお母さまが、看護師長をやってらっしゃったじゃない?

飛鳥 そうだね。

千種 あるとき、医学書を1冊いただいたの。21歳ごろね。医学書なので生々しい図柄もいっぱい載ってるんだけど、移動中のバスでずっと読んでた。勉強になるなあ、って。

飛鳥 へー、初めて聞いたよ。

千種 医学書を読んでたプロレスラーなの(笑)。お母さまには身体がしんどいときに栄養剤を教えてもらったり、点滴を打ってもらったこともあるし、本当にお世話になりました。

飛鳥 医学書は知らなかったけど、点滴をよく打ってもらってたのは知ってる。昔はそういう身体の管理は自分でしないといけなくて、専属トレーナーももちろんいないし、巡業が多いから、ケガをしても継続的な治療ができなかった。だから、あの時代のプロレスラーってみんな古傷がある。千種もひざが悪いし、自分は両ひざ人工関節だし。

千種 そりゃあ、ちゃんと身体をいたわらずにあれだけの試合数をこなしていれば、何かしらの古傷は残るよ。休んでいられなかったんだから。

飛鳥 熱が38℃あっても、試合してたし。

千種 「とりあえず現場に行って治そうか」っていうのが、全女の常識でした(笑)。

飛鳥 「具合が悪いんで休ませてください」なんて、一回も言ったことないよね。自分たちクラッシュ・ギャルズの看板で地方興行が回っていた時期もあったし、自分たちの試合をすごく楽しみにしてくれている人がたくさんいたわけだし。

千種 そう思ったら、一生懸命頑張るしかなかったよね。行ったら行ったで、みなさんが喜んでくださる。そうするとね、つらさが相殺されてゼロになった。そんな、当時の私たちを喜んでくださったみなさんが、楽しんでくれるであろうイベントを、10月1日に横浜武道館で開催するけど。

飛鳥 本当はね、35周年のときに何かをやろうっていう話を千種からもらっていたんだけど、なんだかんだで実現せず。今年はちょうど40周年だし、私は7月28日に還暦を迎えるっていうこともあって、今の年齢で現実に立ち向かうために、もう一丁踏んばらないといけないなっていうことをお互いが感じた。

千種 自分はまだプロレスに携わっていて、よく「クラッシュ2人がそろってるところが見たいです」というメッセージをいただくのね。あのころ少女だったみんなは大人になった。そろそろ、自分の人生のアーカイブをもう一回楽しんでもいいんじゃない?って思う。

飛鳥 いまだに「2人がそろった姿を見たい」ってずっと思ってくれてる、その声に背中を押してもらえたっていうのもある。

千種 あのころ応援しに来てくれた彼女たちがいなかったら、自分たちは主役になれなかった。

 自分たちのファンは同世代が多かったから、同じようなライフステージで一緒に人生を歩んできた気持ちでいる。つまり、彼女たちも主人公の1人であって、どのピースが欠けてもダメなんだよ。家族のこととか更年期でモヤモヤする、なんて人にぜひ来てもらって、昔みたいに大声を出してほしいな。コロナ禍で抱えた何年か分のフラストレーション、一緒に飛ばそうじゃないかって。

飛鳥 更年期をクラッシュして吹き飛ばそうか。

千種 あっ、それはいいフレーズだね!(笑)

クラッシュ・ギャルズの歩み

1963年 ライオネス飛鳥、東京都で生まれる
1964年 長与千種、長崎県で生まれる
1980年 2人が全日本女子プロレス興業に入団
1983年 クラッシュ・ギャルズを結成
1984年 『炎の聖書』で歌手デビュー。リングの外でも人気を博し、アイドルとしても活動する
1986年 飛鳥が芸能活動の引退を申し出たため、活動を一時休止する
1989年 長与がプロレスを引退し、解散。続いて飛鳥も引退
1993年 長与がプロレスラー復帰
1994年 飛鳥がプロレスラー復帰
1995年 長与が代表兼選手として『GAEA JAPAN』を旗揚げ
1998年 飛鳥が『GAEA JAPAN』のマットに登場
1999年 10年ぶりに一騎打ちをする
2000年 『GAEA JAPAN』旗揚げ5周年大会にて、『クラッシュ2000』として復活
2005年 『クラッシュ2000』を永久封印。『GAEA JAPAN』が解散。
長与がプロレスの引退を発表(スポット参戦は継続中)。
長年の首の故障などを理由に、飛鳥がプロレスを完全引退
2005年 タレント活動と並行して、飛鳥が銀座で会員制スナックを開店
2016年 長与が代表として新団体『Marvelous』を旗揚げ
2023年 クラッシュ・ギャルズ結成40周年の記念イベントを10月に開催することを発表

CRUSH GALS 40th Anniversary スペシャルライブ -THE TOP-
10/1(日)/横浜武道館 (神奈川県)/問い合わせ クリエイティブマンプロダクション TEL:03-3499-6669(月・水・金 12:00~16:00)

(取材・文・資料提供/伊藤雅奈子)

 

クラッシュ・ギャルズが社会現象となっていたころのグッズ(撮影/矢島泰輔)

 

クラッシュ・ギャルズが社会現象となっていたころのグッズ(撮影/矢島泰輔)

 

クラッシュ・ギャルズが社会現象となっていたころのグッズ(撮影/矢島泰輔)

 

クラッシュ・ギャルズが社会現象となっていたころのグッズ(撮影/矢島泰輔)

 

ライオネス飛鳥(撮影/矢島泰輔)

 

長与千種(撮影/矢島泰輔)

 

ライオネス飛鳥(撮影/矢島泰輔)

 

ライオネス飛鳥(撮影/矢島泰輔)

 

長与千種(撮影/矢島泰輔)

 

クラッシュ・ギャルズのライオネス飛鳥と長与千種(撮影/矢島泰輔)

 

クラッシュ・ギャルズのライオネス飛鳥と長与千種(撮影/矢島泰輔)

 

クラッシュ・ギャルズのライオネス飛鳥と長与千種(撮影/矢島泰輔)

 

クラッシュ・ギャルズのライオネス飛鳥と長与千種(撮影/矢島泰輔)

 

クラッシュ・ギャルズのライオネス飛鳥と長与千種(撮影/矢島泰輔)

 

クラッシュ・ギャルズのライオネス飛鳥と長与千種(撮影/矢島泰輔)

 

クラッシュ・ギャルズのライオネス飛鳥と長与千種(撮影/矢島泰輔)

 

クラッシュ・ギャルズのライオネス飛鳥と長与千種(撮影/矢島泰輔)