7月26日、那須町・御用邸近くの沿道に集まった人々に笑顔で手を振られる上皇さまと美智子さま

「覚えていてくれてありがとう」

上皇ご夫妻、4年ぶりの那須ご静養

 7月24日から28日まで、栃木県・那須御用邸に滞在された上皇ご夫妻。実に4年ぶりの那須ご静養では、例年より短い日程の中、地元ならではの場所を連日訪問された。

 ご到着翌日の25日には、上皇ご夫妻がご静養のたびに訪れる『那須平成の森』へ。

「御用邸用地の一部を開放する形で'11年に一般向けにもオープンされた、那須ならではの自然が魅力の施設です」(上皇職関係者、以下同)

 26日には那須の自然に関する展示を行う『那須高原ビジターセンター』をご訪問。

「おふたりは仲よく手を取りあって展示品をご覧になったそうです。27日の夕方には、一般客に迷惑をかけないよう、閉館後の『那須オルゴール美術館』へ足を運ばれました。連日のお出かけで、那須を満喫されたようです」

 奉迎に訪れた地域住民には毎回、車の窓を開けて笑顔で手を振るなど、終始お元気なご様子だった。

「美智子さまは猛暑を忘れさせるような爽やかなブルーのお洋服をお召しになっていて。移動中の車内ではマスクを外し、微笑んでくださいました」(近隣住民の女性)

 国民と意欲的に触れ合う理由について、皇室解説者の山下晋司さんは、こう語る。

「御用邸でのご静養には地元の方々の理解と協力が不可欠です。今回、積極的に人々と触れ合われたことにも“ご近所の皆さんへの感謝”という側面があると思います。また、上皇后陛下がマスクを外されたのは“マスクなしのお顔を拝見したい”との国民の希望をくんでのことだったのでは」

4年ぶり「那須ご静養」大満喫の合間に漏れた“本音”

『那須平成の森』を訪問された上皇ご夫妻。お声がけされた女性は感涙していたという(7月25日)

 那須での積極的なご交流の合間には、美智子さまの胸中が垣間見える場面もあった。『那須平成の森』でのことを振り返る。

「上皇ご夫妻は同年代の女性にお声がけされていました。上皇さまが“どちらから?”と、お尋ねになると、続いて美智子さまも“おいくつ?”などとご質問をされて……」(居合わせた女性、以下同)

 対話している女性は感涙に咽んでいたという。

「会話の終盤、女性から“お大事になさってください”と伝えられた美智子さまは、“覚えていてくれてありがとう……”とおっしゃっていました」

 美智子さまのさりげないひと言には“特別な思い”が込められていて─。

「お代替わりから4年、公務からも遠のき、コロナ禍も重なったことで美智子さまが公の場にお出ましになる機会は激減しました。上皇さまのご退位後は、天皇家との“二重権威”を懸念する声もあり、ご夫妻ともに外出することに慎重になっておられるのです」(皇室ジャーナリスト、以下同)

 人々と直接交流することが難しくなったことで、美智子さまは複雑な思いを抱えていらっしゃったようだ。

「平成時代、美智子さまは国民と直接会って触れ合うことを特に大切にされてきました。“常に国民とともにある皇室”を意識されていましたから。しかし、国民との接点が減ったことで“世間から忘れられてしまわないか”と不安を感じておられたのかもしれませんね」

 那須での歓迎と国民の感涙は、美智子さまの心を潤したことだろう。

山下晋司 皇室解説者。23年間の宮内庁勤務の後、出版社役員を経て独立。書籍やテレビ番組の監修、執筆、講演などを行っている

 

聖心女子大学時代の美智子さまは勉強もスポーツも万能で、その名は学外にも響いていた

 

憧れの存在であり続ける美智子さま

 

「チェリー・ブロッサム・チャリティ・ボール」でのひとコマ。美智子さまの手をとられて楽しそうに踊られる上皇さま(1993年4月16日)

 

 

東宮御所のキッチンで、ご家族に手料理を振る舞われた美智子さま(1961年6月)

 

上皇后美智子さまやご家族と一緒に静岡・須崎御用邸近くをご散策される3歳の佳子さま。小室眞子さんと姉妹おそろいのコーディネートで愛らしい