明石家さんま、大竹しのぶ

 大竹しのぶが自らの誕生会の様子をインスタグラムで公開した。元夫の明石家さんまや長女・IMALU、そして最初の夫とのあいだの子である長男・二千翔さんが集合。バーベキューなどを楽しんだようで、

「みんなのスケジュールを合わせるのはなかなか難しく(略)そう考えると大事な時間です」

 と、綴ったが─。数日後には、さんまがラジオでこれをネタに。なんでも猛暑のなか、ひとりで肉を焼く担当にさせられたそうで、

「改めて離婚してよかった、と思った。離婚してなかったら、毎日こんな生活や」

 と、ぼやいた。

大竹にとっても「よかった」離婚

 ちなみに、ふたりの出会いは1986年にヒットしたドラマ『男女7人夏物語』(TBS系)。かれこれ40年近く、こういう夫婦漫才的なやりとりを公私にわたってやってきたわけだ。

 もっとも「離婚してよかった」は芸人・さんまにとっての「真実」でもある。結婚していた期間、彼はつまらなくなったと言われ、好感度ランキングでも順位を下げた。離婚した途端、お笑いモンスターぶりが復活したことを覚えている人も多いだろう。

 一方、大竹にとってもこの4年間は大きかった。

 彼女は'82年にTBSのプロデューサーと結婚。しかし、5年後にがんで先立たれてしまう。長男を授かった時点ですでに余命宣告されており、シングルマザーになる覚悟で出産したという。先立たれたつらさを癒してくれたのが、最初の夫の友人でもあったさんまであり、血のつながらない長男のことも彼は可愛がった。

 とはいえ、超一流の芸能人同士がひとつ屋根の下でうまく暮らしていくのは難しい。しかも彼女は「恋多き女」系で、それを芸にも活かしていくタイプ。さんま同様、別れることで、仕事に没頭できるようになったのである。

話題になったIMALUの楽曲

 なお、ふたりは芸人と女優という夫婦のハシリでもあり、多くの後輩たちがこれに続いた。

 惜しむらくはIMALUが芝居やお笑いの才能をあまり受け継いでいないことだろうか。しかし、彼女は意外と歌がうまい。『紅白』歌手の母よりも上だと思えるほどだ。

 ヒット曲はないものの、セカンドシングルの『そんな名前 欲しくないよ』はちょっと話題になった。作詞も本人で、さんまの座右の銘でもある「生きてるだけでまるもうけ」に由来するともいう自らの名前のことをネタにしているのかと思いきや─。「別れ」という言葉(名前)なんて欲しくないという、やや無理のある内容だった。

IMALU

 一方、さんまは離婚するにあたり「別れ」を別の言葉に書き換えた。額にバツ印を書いて、会見に登場。のちにこんな自慢もしている。

「バツイチっていう言葉はもともとあったんですけども、流行らせたのはボク」

 いや、言葉だけでなく、このカップルは離婚のイメージも大きく変えたのではないか。お互いのよりよい生き方のために、別れを選び、適度の距離感を保ちつつ、子どもも含めて「家族」がそれぞれ幸せでいられるようにやっていくという離婚のかたち。簡単なことではないが、ふたりが新たな離婚スタイルをつくり、世の中に影響を与えたことは間違いない。ところで、大竹は数年前の時点ですら、結婚や恋愛について、

「決めてはいません。何が起こるかわからないのが人生だから」

 と語っている。

 いわば、いつどこに転機があるかわからないという人生観。こういう人こそが、世の中に転機をもたらすのだろう。

ほうせん・かおる アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。著書に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)。

 

1990年10月、子どもの運動会に参加した明石家さんま

 

1990年10月、子どもの運動会に参加した明石家さんまと大竹しのぶ

 

1990年10月、子どもの運動会に参加した明石家さんま

 

1990年10月、子どもの運動会に参加した明石家さんまと大竹しのぶ

 

「バツイチ」に市民権を与えた明石家さんま、大竹しのぶ

 

二千翔さんを自転車に乗せて父兄参観に出席する明石家さんま(1990年6月17日)

 

IMALU(当時4歳)の幼稚園の運動会で親子競技に参加する大竹しのぶ(1993年10月9日)