車での移動中、美智子さまはマスクを下げて沿道の人々に笑顔でお手振りを(8月24日)

 8月22日から約1週間、長野県に滞在されていた上皇ご夫妻。おふたりが出会った“思い出の地”でもある軽井沢でのご静養は、実に4年ぶりだ。

思い出の地・軽井沢でのご静養の上皇ご夫妻

 22日の午後1時ごろ、JR軽井沢駅には、おふたりの姿を見ようと多くの人々が集まった。奉迎に訪れた女性は、そのときの様子を次のように振り返る。

「駅頭に姿をお見せになると、歓声が上がりました。おふたりはそれに応えるように、出迎えた人々に近づかれ、笑顔で手を振られていました。お元気そうな姿が見られて感激です」

 23日は、戦後、旧満州から引き揚げた人々が切り開いた大日向開拓地をご訪問。

「1947年、先の大戦の影響が色濃く残るこの地を、昭和天皇が初めて訪問されました。それを引き継ぐ形で、上皇ご夫妻も皇太子夫妻時代から同所をたびたび訪れては、この地で暮らす人々との交流を重ねておられます」(皇室ジャーナリスト、以下同)

 曇り空が続いていたが、ご夫妻がお出ましになった途端、晴れ間がのぞいたという。

「一面に広がるキャベツ畑の中を、ご夫妻は手を取り合って散策され、美智子さまの“青空が出てまいりました”とのお言葉に、上皇さまは“青空ね”などと返されていて、終始和やかなご様子でした」

 24日は午後5時過ぎ、閉館後の『軽井沢高原文庫』にお忍びで訪問された。

 この施設は、有島武郎や堀辰雄など、軽井沢にゆかりのある文学作品や文豪に関する展示を行う博物館だ。

 館長を務める大藤敏行さんいわく、同館と上皇ご夫妻の交流は'85年の初訪問以来、長きにわたる。

「おふたりとも軽井沢ゆかりの文人に関心がおありのようで、ご訪問は今回で6度目になります。前回お越しいただいたのは4年前でした。

 現在は遠藤周作の生誕100周年の記念展が開催中で、おふたりは熱心に展示をご覧になっていました。美智子さまは特に、代表作である『沈黙』のコーナーに興味を示されていて。“これが原稿ですか?”と質問されました」

仲むつまじいご様子で

さまざまな種類の木々が茂る自然の中に佇む『軽井沢高原文庫』(公式SNSより)

 入り口の階段を、お手を取り合って上られるなど、変わらずお元気で仲むつまじいご様子だったというおふたりだが、4年という月日は切ない変化をもたらしたようだ。

「'98年から当館の館長を務めており、上皇ご夫妻へのご説明も担当していた加賀乙彦先生が今年1月に93歳でお亡くなりになりました。今回はご鑑賞後、おふたりと懇談の時間があったのですが、美智子さまは“加賀さん、残念でしたね……”と、心から悼んでおられるご様子でしたね」(大藤さん)

 同館の“名物館長”であった加賀さんは、文学に詳しいだけでなく、小説家として数多くの作品を残した。

「本がお好きな美智子さまにとって、文学の知識に長けた加賀さんは“先生”のような存在だったのではないでしょうか。美智子さまの少女時代の思い出を収録した『橋をかける』では、《読書は私に、悲しみや喜びにつき、思い巡らす機会を与えてくれました》と本への思いが綴られています。軽井沢ゆかりの文学を広く伝えることに尽力し、自身もまた数多くの作品を残した加賀さんと、まだまだ語り合いたかったのだと拝察します」(前出・皇室ジャーナリスト)

 美智子さまの喪意は、天国にいる加賀さんにも届いたことだろう─。

 

聖心女子大学時代の美智子さまは勉強もスポーツも万能で、その名は学外にも響いていた

 

憧れの存在であり続ける美智子さま

 

「チェリー・ブロッサム・チャリティ・ボール」でのひとコマ。美智子さまの手をとられて楽しそうに踊られる上皇さま(1993年4月16日)

 

 

東宮御所のキッチンで、ご家族に手料理を振る舞われた美智子さま(1961年6月)

 

上皇后美智子さまやご家族と一緒に静岡・須崎御用邸近くをご散策される3歳の佳子さま。小室眞子さんと姉妹おそろいのコーディネートで愛らしい