松本明子

 “不作の年”といわれた'83年デビューのアイドルたち。そう言われながらも、売れていくことに奔走してきた松本明子が、デビューからバラエティーアイドルへの転換期を語る。

「実家で保管してあった、40年前のデビュー当時の衣装で歌います! 太ってしまったので、布地を足してお直ししましたけど」

 と笑う松本明子(57)。

松本明子、憧れの博品館でライブに喜び

 '83年デビューの仲間7人が再集結し、アイドルの聖地・銀座 博品館で復活コンサートを決行したのが2018年。あれから5年、また同じメンバーと同じ劇場で、デビュー40周年イベントを開くことに。

「デビュー当時に“不作の年”と言われてまともにコンサートもできなかった私たちにとって、博品館はやっぱり憧れの場所なんです」

 約5年前、同期が久しぶりに顔を合わせた、レストランでのランチ会でのこと。

「みんなで何かやりたいね」

「小さなライブハウスだったらできるかなぁ」と和気あいあいと話していたその場で、「私がいきなり博品館に電話をかけたんですよ(笑)。2日間だけなら会場が空いていると言われたから、有無をいわさず仮予約を入れて」

 メンバーからは、

「そんな大きい会場、無理!」

「お客さんが集まらなかったらどうするのよ」

 と批難の嵐。だが結局、演出はもちろん、会計や物販など裏方仕事まですべて自分たちで企画した手作りの初公演が大成功! 今回、ファン待望の5年ぶりの公演となる。

「松田聖子さんに憧れて17歳でデビューしましたが、大きなステージで歌う夢が叶ったのは30年越しのこのときが初めて。デビュー曲は最高順位が131位でしたし、経費削減のためか当時は衣装もペラペラでした(笑)」

 と振り返る。堀越高校芸能コースに通っていたものの、仕事がほとんどなく皆勤賞状態。デパートの屋上や競艇場で、たまに歌わせてもらえる程度だった。

「同い年の堀ちえみちゃんや早見優ちゃんは、忙しくてほとんど学校に来られないんです。そんな売れっ子さんたちのために、自主的にテスト範囲のノートを事務所にファクスしてあげてました(笑)。ヒマすぎて、生徒会活動にも積極的に参加してましたね」

 そんなころ、かの有名な“4文字事件”を起こす。放送禁止用語を訳もわからず生放送で叫び、そこからぴたりとテレビに呼ばれなくなってしまった。

「国立にある渡辺プロダクションの寮から学校に通っていたんですが、仕事がない自分が恥ずかしくて。寮に帰るのも嫌で、国立駅のベンチに座って時間をつぶしてました

 同じ寮には、『まちぶせ』がヒット中の石川ひとみ、おニャン子クラブで大人気だった河合その子、お笑いコンビのABブラザーズでブレイクした中山秀征らがいた。

「売れたみんなが寮を出て都心に引っ越していく中、私だけ寮が取り壊しになるまで住んでたんです(笑)」

 見かねた中山から「バラエティー班においでよ」と誘われたことを機に、歌とは別の才能が開花。デビューから10年目でようやく道が開けた。

「故郷に錦を飾るまでは帰れない、という思いだけが当時のモチベーションでしたね」

 フリフリのかわいらしい衣装で歌う長年の夢が50代でやっと実現し、成人した息子から「お母さん、キラキラしてるね」と言われる今。お神セブンで50周年、60周年を迎えることが新たな夢だ。

(取材・文/植木淳子)

 

'89年、ラジオ番組のパーソナリティーを務めてからバラエティー路線に変更した松本明子

 

松本明子

 

コンサートは9月29日と30日に銀座博品館で。「部活動や学校祭みたい」と全員口をそろえる